第7話 弓術


「ユウさん、おはようございます」

「お、おはよう」


 目を覚ますと、オーシャンブルーの瞳が僕を見つめています。この綺麗な瞳には、未だに慣れません。

 零れ落ちる白銀の髪が、曙光に照らされて白く煌めきます。ベッドから起き上がり、しなやかな白磁の肌を見せる彼女にも、慣れるはずがありません。

 今日出発できて本当に良かった。このままここで足止めを食らったら、僕の理性に歯止めが効きませんから。いえ、これは本音でなく、僕の余裕の現れです。彼女を魅力的に思えば思うほど、間違いなど起きないと確信し、僕の娃綺ちゃんへの想いが究極的な物に近づいて行くような気がするのです。


「シーナ、先に水浴びに行っておいで」

「はい、では行って来ます」


 シーナは外套だけを羽織って外に出ました。その間に僕は、やることをやっておきます。これは紳士の嗜みであり、決して猥褻な類の話をしているのではありません。勘違いしないで頂きたい。


 シーナが帰って来たら入れ替わりで僕も水浴びをします。石鹸など持っていないので、あまりさっぱりしません。神聖術に身体を清めるものはないのか、と聞いてみれば、あるけど使えないと言っていました。


 水浴びから帰ると、小屋の前にハルが立っていました。


「よぉ、兄ちゃん」

「おはよう、ハル」


 小屋に入ると、シーナは既に準備を終えていました。僕も直ぐに支度して、小屋を出ました。


「兄ちゃんたち飯食ったか?」

「いえ、食べるものがなくて」

 

 少しずつ食べていた兎肉は昨日の夜に切らしてしまっていました。


「じゃあこれ食っとけ、元気でるぞ」


 ハルは僕たちに干し肉を投げ渡しました。


「何の肉?」

「猪だ、魔獣だがな」

「昨日の?」

「昨日のじゃねぇよ」

「干し肉は数日干す必要があるんですよ」


 流石サバイバル名人です。今回はサバイバル名人が二人なので、心強い限りです。僕も色々と勉強して初心者の域は脱したいところです。


 干し肉は獣の味がしました。





 ハルは森の歩き方を熟知していました。危険な植物、危険な虫、危険な動物の足跡や糞。それだけではありません、食べれる植物や綺麗な水を探す方法、夜を明かすのに適した場所も知っていて、サバイバル名人のシーナですら目を見張る知識があったそうです。


「しっ、止まれ」


 ハルを先頭に、シーナ、僕と続いて歩いていると、ハルが静止の合図を出します。

 魔物を探知する能力に長けており、今までに魔物と鉢合わせたことは一度もありません。

 

「ここでやり過ごす、しゃがんでいろ」


 おそらく危険な魔物が居るのでしょう。この辺りでは、蛇や熊の魔物が一番危険だと言います。


 魔物は野生動物の突然変異と、植物の突然変異があり、それらは生きる時間に比例して強くなるといいます。突然変異によって生成された魔石が成長するからだそうです。

 人間に突然変異が起きない理由は、レベルと言う概念のお陰だ、とシーナは言っていました。


「おい、その座り方はよせ、それじゃ咄嗟にうごけねぇ」

「あっ、すみません」


 周囲を確認し終えたハルがシーナを見て注意しました。シーナは女の子座りをして居たのですが、それがいけなかったみたいです。

 この森を五十キロ、これは精神的にくるものがあります。


 ハルが歩き出しました。やり過ごせたようです。


 それから数時間歩いて、また止まりました。今度は背中に掛けていた弓を手に取り、矢を一本口に挟みました。

 獣道から外れて木々の隙間に身体を預けて、口に挟んだ矢を番えて、引き絞りました。

 一瞬の沈黙の後、矢を放ちました。引き絞っていた手は後ろへ流れ、鋭い風切り音がします。


「鳥だ。魔物だな」

「す、すごいね、見えなかった」

「目は良い方だからな」


 僕は弓を使おうと思っていた以前の自分を叱り付けたい気分になりました。こんな芸当僕に出来るでしょうか。


「弓、興味あるのか?」

「え、どうして」

「オレのことジロジロ見てるからよ」


 剣でも弓でも、使えるようになって置くべきだとは思っています。職業のない自分は、とにかく戦える術を手に入れなければなりませんから。

 頷くと、ハルは小さく笑って言いました。


「なら、ちょっとだけ教えてやるよ」


 どう言う風の吹き回しか、ハルが弓について教えてくれることになりました。

 しかしその前に野営地を決めねばなりません。


「これはロックバードと呼ばれる魔物です」


 ハルが獲った獲物をみて、シーナが言いました。元が鳥類、それが突然変異を果たして、次に魔力の属性変異が起き、こうなるそうです。まるで石の鎧をした鳥です。石と石の隙間に、矢が刺さっています。


「こんな緻密な射撃…すごい技術ですね…」

「はっ、オラァ天才なんだよ」


 取った獲物は直ぐに血抜きをして、川で洗って解体も済ませます。

 それから近くの洞穴で、野営の準備を始めました。

 

「主よ、豊饒なる天と地を繋ぐ恵をここに集わせ給へ、エアコンプレッション」


 突如爆発音が響き渡ります。


「えっ!?シーナ、大丈夫なの?」

「はい、自然音で動物が寄ってくる事はありませんから」

「余程つえーのじゃなきゃな」


 今の銃声のような音は、自然音と言うのでしょうか。疑問が残りますが、まぁ大丈夫でしょう。


「て言うか今、何したの?」

「空気を凝縮する神聖術で火を付けました。原理は分かりませんが、力を込めると物は熱くなるんです」


 空気圧だけで熱を生み出す神聖術。神聖術って何なのでしょうか。身体を癒す力だけではないことは分かりますが。

 僕が目を丸くしているのを見て、親切心なのか、シーナは僕の手を掴んで説明し始めました。


「やったことありませんか?こうやって手を握って、ぎゅーってやるんです」


 シーナは僕の手を両手で強く握りしめました。確かに熱くなってきます。でも、一人でできるのでは?


「ほら、熱くなりました。これを空気に応用するんです」

「う、うん、知らなかったなぁ」


 僕は何も知らなかった事にしました。この力より、遥かに強い力が掛かっていただろうことも、知らないことにします。


「神聖術っておもしれぇな」

「ふふっ、そうです、神聖術は素晴らしいのですっ、ユウさんは先ず神聖術を初めて見ませんか?」


 シーナは手を掴んだまま上目遣いで言いました。もしやハルに対抗心を抱いているのではないでしょうか。弓よりも神聖術が凄いのだとアピールしたくて、こんな大それたことをしたのでは。


「ハルから教われるのは数日しかないから、その後じっくり教えてもらうよ」

「うっ、そうですか…」

「はっ、おもしれぇとは言ったがな、こんなの火打石で出来るだろ」


 ハルさん?それは言わないお約束では?ほら見なさい、シーナが落ち込んでいるではありませんか。


「そうですよ、どうせ火属性魔術の方が魔力消費も少なくて、音も出さずに簡単に火起こしできますよ」

「ち、因みに、どのくらい魔力使った?」

「えっと…こ、このくらい」


 シーナは人差し指と親指で小さな円を作りました。


「シーナの総魔力量は?」

「こ、このくらい」


 円の大きさは変わりませんでした。シーナは、火起こしの為に全魔力を使ったと言います。シーナって案外ポンコツなのでしょうか。


「もっ、申し訳ありませんっ、寝れば回復致しますのでっ!」

「魔除けは?」

「それは…そもそも杖なしでは使えません…」

「そうか…まぁ火起こしは火打ち石でやるから、シーナは魔力を温存しといてね」

「は…はぃ…」


 今シーナに何を言おうとも、気を持ち直すことはないでしょう。シーナには夕食の準備をしてもらって、ハルから弓を教えてもらいます。


「おっ、ようやくか、早くしねぇと日ぃ暮れるぞ」

「ごめんごめん」

「はっ、面倒臭ぇお嬢様だな」


 ハルの指導は特段厳しい訳ではありませんでした。

 まずは弓の持ち方、手の置き方、弓矢の掴み方など、基本事項を教わります。

 身体のバランス感覚がないと、先程ハルがした射撃は出来ないようで、とにかく姿勢を正して射ることから始めます。

 しかしこれが難しく、弓を引き絞りながら長時間維持するのは簡単ではありません。照準がぶれますし、身体がピクピク震えます。


「筋肉ねぇなー男の癖に」

「面目次第もございません」


 筋肉がないならつけるしかありません。とにかく弓を放ち、この動作を身体に覚え込ませます。

 十メートル先の木に当たったら、次は十五メートル、と五メートルずつ伸ばして行きながら、練習を続けます。


 森の夜は暗く、月の光も届きません。弓の練習もそこそこに、僕たちは洞穴に帰って来ました。


「お帰りなさい、夕食出来てますよ」


 洞穴は焚き火の熱で暖かくなっていました。木組に吊り下げられた鍋がぐつぐつと沸騰しています。

 鍋や食器は、ハルが持って来てくれました。そのおかげで、三日越しの汁物が味わえます。

 合掌してスープを一口。鳥の出汁が口の中に広がります。温かさが全身に広がって、腰が抜けてしまいそうです。


「うめぇなっ、これっ」


 珍しくハルのテンションが上がっています。急いで食べる様子は年相応で可愛らしいです。


「あの鳥がこんな美味くなるもんなのか?」

「鳥は下処理が大切なのです。鳥に限りませんがね。あとで教えて上げます」

「おうっ、教えてくれっ」


 ハルは食い気味に言いました。シーナの作ったスープを大分気に入ったようです。

 確かにこれほどの料理を旅の中で食べられるのは、幸福なことかもしれません。美味しいご飯は元気は出ますから。


「ユウさん、どうですか?」

「おいしいよ」


 シーナは不安げに聞いてきました。心配する必要のない、完璧な味です。


「ユウさんたちは食事には煩いと、文献に書いてありましたから」

「それ、何年前の文献?」

「三百年前です。なので我が家は、料理の修行も代々行われており、料理の腕もこの国で随一なのです」


 三百年前から、日本人はグルメだったと言うことでしょうか。

 にしても、転生者の胃袋を掴むために三百年もの研鑽を積んで来たなんて、逆に可愛く思えてきます。

 そこまでの功績を前の勇者は上げたのでしょう。三百年間、感謝の気持ちが受け継がれるほどの、大変素晴らしい功績を。


「オメェら一体何の話をしてんだよ」


 ハルは懐疑的な視線を僕達に向けました。勇者についてはバレていないでしょうけど、三百年だとか、不可解なワードは何個かありますから。


「我が家の歴史を語っていたのです」

「やっぱりお貴族様じゃねぇか」

「聖職者にも家系はあるのですよ?」

「はっ、でも金持ちにゃ変わりねぇだろ」


 ハルはそう言ってスープの具をかき込みました。貧民は富裕層を恨み、富裕層は貧民の気持ちがわからない。身分格差があるこの世界では、それが尚のこと激しく、両者の溝は深まるばかりです。


「おかわり、入りますか?」

「ん…」


 シーナが言うと、ハルは無言で器を差し出しました。

 両者の間にできた深い溝は、このように着実に埋めていくしか、方法はないのです。





 朝になりました。魔物に襲われることもなく、一夜を明かすことができました。近くの川で軽く身体を清め、僕たちは洞穴を後にしました。

 

 ハルが言うには、危険な魔物のテリトリーや険しい地形を避けて歩いているので、単純に五十キロの距離ではないそうです。天候が良く、ハプニングもなければ、あと三日で着くと言います。それでもあと三日。森を歩くというのは、それだけ慎重になる必要があるのです。

 彼女だけなら、ともすれば二日で着くらしいのですが、如何せん僕やシーナがいるので、そういう訳にも行きません。


 僕の前を歩くシーナは、小さな歩幅で頑張ってハルについて行きます。かと思えば、食べられそうな野草やキノコを摘んでいます。全く彼女は逞しいです。

 一番足を引っ張っているのは僕かもしれません。ですが一応、一番大きな荷物を運んでいるのは僕です。

 女の子相手に醜い対抗心を燃やしているところで、ハルが静止の合図を出しました。


「しっ…勘づかれた…」


 僕とシーナは息を飲みます。勘づかれた。探知能力に優れたハルの目を潜り抜けたのか、ハルと同等かそれ以上の探知能力を備えた魔物がいるのか。どちらにしても危機的状況であることは察せました。

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