第4話 勇者とは


「ま…魔王…」

「ご明察、じゃあ死のうか」


 僕が声を出してしまった。だから僕が殺されてしまった。

 魔王は僕に向かって手を突き出して、真っ黒の槍を虚空から放ちました。


——娃綺ちゃん、ごめんね。


 槍が心臓を突き刺し、血がドクドクと溢れ出します。身体が燃え上がるように熱く、それが急激に冷えていき、意識がなくなって——。

 

 僕の胸に、温かいものが寄り掛かります。小さくて、白いそれは、人の形をしていました。


「ぶっ、ぶはっ…」


 それは赤い液体を吹き出しました。力無く崩れ行くそれとともに、地面に座り込みます。


「シーナさん…」

「おい…なんだよこれ…」


 僕を庇って槍に刺されたのは、シーナさんでした。あんなに怯えていたのに、あんなに怖がっていたのに、きっと死にたくないだろうに、僕を守るために、役立たずの僕を守るために、彼女は。


「死んだら神聖術使えないじゃないか」


 悪魔が何か言っています。そんなものを無視して僕は、シーナさんが何か言おうとするのを、全神経を使って聞こうとしました。


「うち……ぽけっ……と……ま……しょ……せき……」


 胸の内側のポケットにある何かを取って欲しいと言うことです。僕はシーナさんの外套の中を探って、丸い石のような物を取り出しました。


「まぁいいや」

「ぶはっ…」


 シーナさんの胸から生えていた槍が、奴の手によって抜かれました。大量の血が、宙空に飛び散りました。


「シーナさんっ!!」

「み……んな……て……つな……い……で……」

「感動のシーン邪魔して悪いけど、そろそろ終わらせるね」


 僕たちは手を繋ぎました。僕がシーナさんの手を、叶太くんが僕の手と、蹲る澪さんの手を。

 突如、僕たちの全身が光に包まれました。





 次に目を開けた場所は、木でできた小屋の中でした。

 ガラスのない窓の外は真っ暗です。


 寝ていたのではありません。時間は一秒も経過していません。しかし、目を開けたら小屋の中にいました。


 その証拠に、魔王の槍に突かれたシーナさんが温かいのです。


「シーナさん!!」


 シーナさんに呼び掛けると、彼女は細々と目を開けて、虚な瞳で僕を見ました。

 まだ生きてる…でも…。

 彼女の胸には小さな穴が空いています。そこから血が滲み出て、聖職者の正装が赤く染まっています。


「しゅ……よ……」


 シーナさんが何か言い始めました。僕は何もすることが出来ず、それを聞いていることしか出来ませんでした。


「わ……が……くる……し……み……を……いや……し……に……ひ……りん……ぐ……」


 シーナさんが言い終わると、黄緑色の温かい光が彼女を包み込みました。安心するような、癒されるような光に、彼女がいなくなってしまうのかと思い、僕は必死に縋りつきました。


「シーナさん…まって……まだ何もしてないじゃないかっ!あんなに旅を楽しみにしてたのにっ、まだ死んじゃだめだよ!」

「おい佑、今の、魔法何じゃないか?」

「何バカなこと言ってるんだ!シーナさんがこんな状況なんだぞ!ふざけるのはやめろよ!」


 魔法?何が魔法だ。全くふざけてる。人の死に際さえ自分の妄想にすり替えるのはやめろ。ゲームか漫画か知らないが、僕はもううんざりなんだ。こんな風に人が死んでしまうのも、全てふざけたその考えが原因なんだ。何が勇者だ。何が魔王だ。人が死んだんだぞ。もう妄想はやめてくれ、夢なんて覚めてしまえ、早く現実にもどってくれよ。


「ユウ…さん…しんせい…じゅつです…」

「え?」

「かはぁっ、はぁっ、はぁっ」

「大丈夫!?」


 急に咳き込み始めたシーナさんは、忙しなく胸を上下させました。さっきまで微動だにしなかった身体が、突如動き始めました。


「きずを…ふさぎ…ました…みお…さん…まりょ…くを…」

「澪さん!」

「え…あ…」

「何してる!早く魔力を送って!」


 澪さんは、焦点の合わない瞳で虚空を見ていました。まだあの衝撃が残っているのか、汚れた口元も拭いていません。

 僕は彼女を叩き起こす勢いで手を引っ張りました。澪さんはようやく目を醒まして、シーナさんの傷にまた目を回しました。

 もう一度同じ指示をすると、澪さんは未だに呆然とした顔のまま、シーナさんに魔力を送りました。


「主よ…せい…なる…ちから…の…おみち…びき…」


 シーナさんはそれから長々しい呪文を唱えました。それが唱え終わると、いっそう強い光がシーナさんを包みました。

 シーナさんは険しい表情から、穏やかな表情になって、安らかな寝息を立て始めました。


 僕はシーナさんをベッドに運びました。

 こんなに小さくて、こんなに軽いシーナさんが、僕を守るために身体を張ったなんて、情けないにも程があります。僕は何のために男に生まれて来たのでしょうか。彼女のような、力無い者を助かるためではないのでしょうか。それができずして、なぜ娃綺ちゃんと一緒にいようと思えるのでしょうか。


 僕は強くならねばなりません。そうしなければ、魔王も倒せないし、娃綺ちゃんに二度と会えないし、目の前の女の子さえ守る事が出来ないのですから。





 澪さんは魔力を譲渡した後、数分間眠りに落ちました。

 それから目が覚めてもあの悪夢は忘れられなかったのか、気分を悪くして、叶太くんと共に外へ出て行きました。

 僕はシーナさんの寝ているベッドに背を預けて、彼女が目を覚ますのを待っていました。


 どれだけ時間が経ったでしょう。小屋の外はもう明るくなっています。

 扉が空きました。そこに居たのは叶太くんでした。


「まだ起きないのか?」

「うん…」

「そうか、ちょっと話がある。来てくれ」


 僕は小屋から外に出ました。初めて外の風景を見たので、ここが村の中と言うことは初めて知りました。

 小高い丘の上から見える景色は、まるで何百年も昔にタイムスリップしているような景色でした。

 

 あまり遠くに行かないで欲しいと思いましたが、そんなことはなく、叶太くんは扉前の階段に腰掛けました。

 僕が隣に座ると、一つ息を吸って、陽気な風に言いました。


「魔王、やばかったな!」

「うん…」


 彼は努めて明るく言いましたが、僕はそんな気分にはなれません。

 倒すべき相手が、まるで倒せるビジョンが見えないなんて、絶望でしかありません。


「あんなの無理ゲー、つか、俺はもう降りるわ」

「えっ…」


 降りる。諦める。僕はその言葉を信じることは出来ませんでした。


「なに…いってるの…」

「いや、普通に死にたくないし、負けイベが即死亡とかやってらんねぇっていうか」


 死にたくない。そんなの僕もそうだ。でも、故郷に会いたい人がいるなら、安心させたい人がいるなら、普通頑張るものじゃないの?


「叶太くんだって、家族とかいるでしょ?その人達に会いたくないの?」

「そりゃ、会いてーよ」

「なら——」

「だからって、命張ってまで会いてーわけじゃねー」

「はぁ?なんで?家族のこと嫌いなの?」


 彼は、直樹くんとは違う。会いたい人がいる。心配してくれる人がいる。未練があるのに、なんで戦おうとしないんだ。


「別に、でもあんま家族と仲良くねーし。心配かけるより、俺が死んで悲しませる方が嫌だろ」

「そんな…理由で…」

「言っとくがな、俺はこの世界にも守りたいもんが出来ちまった」

「え?」


 彼は立ち上がって言いました。朝日に照らされる彼の眼差しは、決して臆病者のそれではありませんでした。


「何があっても、澪は死なせねぇ。魔王が命を狙って来ても、地獄の底まで逃げ延びてやる」


 彼には、家族よりも大切な人が、もう側に居たみたいです。


「ごめん、そんな理由なんて言って」

「良いんだよ、お前も、何があっても帰りてぇ理由があんだろ」

「うん」

「俺こそ悪かった。軽いノリでこんなことすんじゃなかった。はぁ…直樹の奴は賢いな…」

「そ、そうだね」


 叶太くんは階段を降りました。僕と彼の間には、既に透明の壁が隔たっている気がしました。


「もうお前らとは別れるよ」

「え?そんな急ぐことじゃないよ」

「いいや、もうお前らとは居られない。これは俺なりのケジメだ…それに」


 叶太くんは僕の後ろ、木の扉を睨みつけました。


「まさか、シーナさんを疑ってるのか!?」


 怒りが沸々と湧き上がりました。身を挺して僕を庇ったシーナさんが、僕たちを裏切る筈ないじゃないか。


「違う違う、でも何があるか分からないからな」


 彼は、とにかく疑わしいと考え得るものを全て排除したいのでしょう。シーナさん然り、シーナさんの持ち物然り、僕然り。

 何だか叶太くんは少し変わった気がします。何と言うか、強くなった気がします。


「ちょっとまってて」


 僕は扉を開いて、シーナさんの持ち物を探りました。ジャリっと金属貨幣が音を立てました。それを持って叶太くんの所に戻りました。


「半分持って来なよ」

「いや、良いのかよ無断で」

「僕たち四人の物をシーナさんが管理してただけだ。だから半分は君たちのだよ」


 僕は中から金貨を十枚取り出して、袋ごと叶太くんに渡しました。

 

「悪いな、こんなにさせて」

「いいんだ。でも、もし日本に帰りたくなったら協力して欲しい、僕一人ではとても敵いそうにないから」


 そう言うと、叶太くんは小さく笑って僕に背を向けました。


「佑ならできるよ、そんな気がする」





 僕が小屋の中に入ると、シーナさんが目を覚ましていました。


「シーナさん!」


 急いで駆け寄ると、シーナさんは弱々しい笑みを浮かべました。


「大丈夫なの?」

「はい…こんな怪我…日常茶飯事です…」

「そ、それは…そうなの?」


 あの状態から回復してしまったのを見ると、シーナさんが言っていることが冗談に思えなくなります。

 シーナさんはまた笑って言いました。


「叶太さんたち…行ってしまわれたの…ですね…」

「あ、うん。ごめんね、僕みたいなのしか残らなくて」

「良いんです…ユウさんが…わたくしに…タメ口を使っているくらい…些細なことです…」

「あっ、すみませんでした」

「ふふっ…冗談です…とっても嬉しいし…とっても悲しいです…」


 どっちが?と聞くのは無粋でしょう。叶太くんと澪さんが居なくなったのは、絶望的な状況ですから。


「これから、どうするの?」

「ユウさんが…まだ戦う意思が…あるのなら…ご同行します…」

「無かったら?」

「この身が…滅びようとも…魔王を討ちます…」


 シーナさんの決意は確固としていました。僕と同い年くらいの女の子が、あの恐怖に抗おうとする様は、心強くもあり、寂しくもありました。


「僕も同じだ。魔王を倒して、故郷に帰る」

「ありがとう…ございます…わたくしの…持てる全てで…ユウさんを…お守り致します…」

「そんな事しないで、僕は勇者じゃない、君が命をかけるほど僕は大切じゃない。だから、危なくなったら真っ先に逃げてくれ。今日みたいなことは、二度としないで」


 自分のためにシーナさんを犠牲にしたくないのです。

 そう言うと、シーナさんは、小さな白い手を毛布から出し、その手で僕の手を掴んで、弱々しく言いました。しかし、その言霊は僕に強く語りかけているようでした。


「あなたは…勇者です…」

「違う、僕は巻き込まれただけだ」

「いいえ…あなたの…心が…勇者なのです…。あなたの…心の強さが…魔王を…討ち滅ぼすのです…。だから…わたくしは…あなた様に…この身を…」


 僕は同じ言葉を、シーナさんに掛けて上げたい気持ちでした。僕がただのヒトでも、勇者であると言うなら、シーナさんも同じく勇者である筈ですから。

 僕がそれを言う前に、彼女はもう一度深い眠りに就きました。


 

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