第6話 潜入捜査開始

 ケットシーが用意したという馬車の乗り心地は、非の打ち所がない程に素晴らしかった。

 座席の座り心地まで調整できるなんて、魔法というのは本当に便利だと思う。

 

「ウィルバート様、これからどうやってヴェッチェル家の屋敷内に侵入するんです?

「勿論、玄関からです」

「玄関? そんな真正面からいったら断られるませんか?」

「だからこうして変装するんです。 今回は伯爵家だと伺ったので、同等かそれ以上に見えるようにしたんです」

「でもそれって、バレたら大変なのでは……」

「聖獣番は王族と同列の立場なので、そこは心配いりません」

「え……?」


 ウィルバートの説明に、エミーリアはサァっと青ざめた。


「これまで数々の無礼をお許し下さい!」

「何を謝るんですか?! こんなの肩書きだけで中身は引き籠もりです!」

「ですが……」

「まぁ……本音を言うと、かっこいい所を見せたいとは思いました」


 まるで恋する乙女の様に、ウィルバートは口元を手で隠し顔を赤くする。

 これから潜入捜査に行こうというのに、密室の中はとても甘い空気に包まれた。  

 

「せ、潜入捜査って一体どんな事をするんですか?」

「シンプルですよ。 現場にはラズがすでに待ってると思います。 そこに僕が行って、権力で何とかします」

「権力……?」

 

 ウィルバートの口から一番似合わない単語が出てきて、エミーリアは目を丸くした。 


 聖獣と共に、この国を戦禍から救ったのが初代聖獣番だ。

 当時の王は聖獣番にカルカラの土地の譲渡と合わせて、国家再建に参与してほしいと懇請したという。

 だが政や争い事を嫌う聖獣番はそれを拒否。

 カルカラに聖獣達を集め、ひっそりと暮らすことを選んだ。

 ただ国民が聖獣達に危害を加えたとなったら話は別だ。

 いかなる理由であっても、聖獣番はその者に相応の報復を行使出来る。

 それがトリスタンを守護する聖獣番と、国王との唯一の公約である。

 その後、トリスタンはフェンリルを模した国章を掲げ再建し、聖獣番には公約の証に国章を刻んだ懐中時計が与えられた。

 

「この懐中時計を提示されたら聖獣保護へ捜査協力しないといけないんです。 極力使いたくないんですが、最近は密猟も増えてますから……」


 公約が締結されたのも数百年も昔の話。

 今の国民に、この平和が聖獣番によってもたらされたものだという意識は殆ど無いだろう。

 寧ろ物珍しさから聖獣を捕獲する人間の方が多いだろう。


 するとガタン、と馬車が止まった。

 窓から外をみると、緑色に塗られた壁が特徴的な三階建ての屋敷が見えた。

 いよいよ潜入捜査開始だ。


「本日はどういったご要件でしょうか?」


 ゆっくりと玄関の扉を開き、ウィルバート達を出迎えた初老の使用人は、二人を見ても嫌な顔一つせず出迎えた。

 ヴェッチェル家は商家なので、上客には腰が低い。

 ウィルバートの読み通り、使用人は彼を伯爵位以上の客とふんだのだろう。

 

「唐突で申し訳ありません。 この屋敷の主と話がしたいのですが」

「……お名前を伺っても?」

「こういう者です」

「!!」


 ウィルバートが例の懐中時計をちらつかせた。

 すると使用人は落ち窪んだ目を大きくさせる。

 伯爵クラス、しかも商家の使用人となると、この懐中時計が何を意味するのかをちゃんと知っているようだ。

 反応を見て、ウィルバートは口元に指を当てて声を上げないよう忠告をする。


「僕がここに来たことは公にしないで頂きたいんです。 何せここでしか話せないような取引をしたいので」


 すると使用人は黙ったまま何度も頷き、屋敷の中へとすっ飛んでいった。


「……もしかして、取引って聖獣のことですか?」

「はい。 ここに聖獣がいることは立証されてますので」

「いつの間に?!」

「既にラズがこの屋敷の屋根に上がっているんです。 彼は鼻がきくので、ほぼ間違いありません」


 次の瞬間、エミーリアはヒュッと息を呑んだ。

 『どう報復してやろうか……』と、ウィルバートが冷淡な笑みを浮かべて屋敷を眺めていたのだ。

 聖獣番の本質なのか、聖獣に関わる話になると好戦的になるようだ。

 だが早々に殺気立っていては相手も警戒してしまう。

 そうなれば妹の捜索にも支障をきたしてしまう。

 エミーリアは、意を決してウィルバートの腕にギュッとしがみついた。


「ウィルバート様、落ち着いて下さい!」

「え、エミーリアさん?!」

「まだ怒るには早いです。 しっかり証拠を掴んでからにしましょう!」


 ついでに上目遣いでみれば、一瞬にしてウィルバートの殺気を霧散させる事に成功した。

 エミーリアの静止力には、想像以上に効力があったようだ。


「大変お待たせ致しました!」


 すると萌黄色のベストのボタンが今にもはち切れそうな、胡散臭い男がいそいそとやってきた。

 後ろに撫でつけた薄茶色の髪に、切りそろえられた口ひげ。

 ウィルバートを見た途端に手揉みをするこの男が、ヴェッチェル・レイドリー伯爵だ。


「これはこれは聖獣番様! まさか貴方のような御方が我が屋敷に来ていただけるとは、身に余る光栄です!」

「こちらこそ突然で申し訳ないです。 貴方とぜひお話を、と思いまして」 

「なんなりとお申し付け下さい! 聖獣番様のお眼鏡にかなうものを直ちにご用意しますので!」

「では、聖獣を」

「……はい?」

「どうもここから仲間の気配がする様なので、ぜひ確認させて頂きたいのですが?」

「……っ!」


 物腰柔らかな口調。

 だがその瞳に熱は感じられない。

 今にも射抜かれそうな鋭い視線にレイドリーはヒッっと小さく慄く。


 すると突然頭上からガシャアン!!っと大きな破壊音が聞こえた。

 パラパラ、と上から土やコンクリートの欠片が落ちてくる。

 まさか。


「熊……、いや、白銀の狼?!」


 驚いて見上げると、ヴェッチェル家の屋根の上で、ラズが雄々しき姿でこちらを見下ろしていたのだ。


「あぁ、やはりいましたね。 では、中で交渉を始めましょう」


 勿論レイドリーに拒否権はなかった。



 額から汗を流すレイドリーの案内で屋敷の中を歩く二人。

 豪奢な調度品やゴテゴテとした壁の装飾の数々から、派手な暮らしぶりが伺える。

 レイドリーはユーステン家と同じ貿易商を営む人物の一人だ。

 だが通常の輸入だけでなく、他国で制限がかかっているような商品でも、規制をかわして輸入し売りさばいていると噂されている。

 ついでこちらの悪事も暴けないだろうかと、エミーリアはレイドリーの背中を睨んだ。


「お父様! 聖獣番さま!!」


 階段を上りきり渡り廊下に出た所で、背後から絡みつくような甘ったるい声に引き止められた。

 振り返るとそこにいたのは、エミーリアが今一番制裁を加えたい人物だった。


「アリシア・ヴェッチェルと申します。 忙しい父に代わって私がご案内致しますわ」


 そしてにっこりと笑みを浮かべ淑女の挨拶をする。

 服装も夜会の時のような胸元の開いたドレスではなく、珍しく清楚で上品な装いだ。

 『聖獣番ならこんな女性が好みでは』とでも思ったのだろう。


「そ、そうでした! 私は少し用事を思い出しましたので、案内は娘のアリシアに。 アリシア、決してご無礼のないように!」

「勿論ですわ、お父様」


 レイドリーは軽く会釈をし、そそくさとこの場を去っていく。

 父の姿が見えなくなると、早速アリシアはウィルバートの腕をぐいと自分の豊満な胸へと抱き込んだ。


「さぁ行きましょう! まずは眺めの良い二階のテラスから如何です?」

「ぼ、僕は別に屋敷の見学に来たのでは……」

「はい! 聖獣を助けに来たんですんよね! ですがテラスもすぐそこですし、少しだけお話でもいたしましょう!」


 アリシアの勢いに押され、女性に免疫のないウィルバートの顔からは聖獣番としての威厳が完全に剥がれ落ちてしまった。

 赤くなったり青くなったりと狼狽えるウィルバートを見て、アリシアはフフフ、とウィルバートに寄り掛かる。


「うぶな方なのですね。 そこも素敵ですわ……」


 アリシアに捕まり動けなくなったウィルバートは、視線で必死にエミーリアへ助けを求める。

 だがエミーリアは気づかない。

 さっきからレイドリーの動きの方が気になっていたからだ。


「アリシア様」

「……何ですの?」

「私、少々体調が優れませんのでお手洗いをお借りしたいのですが」


 声をかけられたアリシアは一瞬顔を顰めたが、二人きりになるチャンスだと気づき、パッと表情が華やいだ。


「あらあら! それでしたら一階にいる使用人に聞いてくださる? 私達は一足先に聖獣を宥めにいって参りますわ」

「ありがとうございます」


 どうやらウィルバートに夢中で、この従者がエミーリアだということに全く気づいていないらしい。

 ある意味潜入は大成功と言えるだろう。


「では失礼致します」


 単独行動に許可が下りた。

 エミーリアはアリシアに連れ去られるウィルバートを囮にして、レイドリー達の後を追いかけた。



 エミーリアはレイドリー達に気づかれないよう、地下へと続く階段を下りていく。

 おどおどとした若い使用人がガチャン、と重厚な扉の鍵を外した。

 その扉の向こうには、生臭い匂いの漂う地下牢が並んでいた。

 重苦しい空気の中、エミーリアは気づかれないよう息を潜めて慎重にレイドリー達に近づく。


「今すぐ聖獣を隠せ! 見つかったらお終いだ!」


 レイドリーは使用人を叱りつけ、先を歩かせる。

 するとある一つの牢屋の前で立ち止まった。

 

「ガルルル!!」


 突然の唸り声にぎょっとして、エミーリアは慌てて口を塞いだ。


 よく目を凝らすと、そこには鎖に繋がれやせ細った錫色のパンサーが、緑色の瞳を光らせ牙を向いていたのだった。


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