第5話 貴女の為にできること
『聖獣に楯突くなど不敬だ』と言って食われるかも知れない。
それでもエミーリアは毅然とした態度でラズの前に立った。
「確かに最初お会いした時はちょっと頼りないなって思いました。 ですがウィルバート様は杖一本で私達を守って下さいました。 それにラズ様のような立派なフェンリルと対等に話せるなんて、誰にでも出来ることじゃありません。 それでもラズ様は、ウィルバート様では腑抜けだと仰るのですか?」
『……』
「あんなにおいしい料理を作ってくれて、すごく気持ちいいブラッシングまでしてくれる、最高の聖獣番じゃないですか! 先程のお言葉、撤回してください!」
「も、もう止めてください!!」
次々と出て来る称賛の嵐に耐えられなくなったウィルバートは、耳まで真っ赤にしてエミーリアの口を手で塞いだ。
さっきまでの殺気立った雰囲気は跡形も無くなっていた。
『……あの状態の主を沈め、我に説教しようとはなかなか度胸のある娘だ』
ラズはエミーリアを見てクツクツと笑う。
『まぁ娘の言う通り、今の主は聖獣番としての役目を十分に果たしている。飯に関しては今までで一番旨いしな』
「ウィルバート様、聞きましたか?」
「は、はいっ?」
「ラズ様がウィルバート様の事を褒めて下さいました!」
「……え?」
ラズの賛辞を聞いて瞳を輝かせたのはエミーリアの方だった。
「私を勇気付けてる場合じゃありません。 ウィルバート様も自信を持って下さい。 貴方ほどすごい人は他にいないんです!」
まるで自分の事のように喜ぶエミーリアを見てウィルバートは目が眩んでしまう。
(彼女になら利用されるのも悪くないか)
これ以上踏み込んではいけないと決めていた筈なのに、ふとそんな事を思ってしまった。
惚れたからって、彼女に溺れて盲目になっていた訳ではない。
ちゃんと一線引いて、彼女の動向を見て本性を暴こうとしていた。
聖獣番はその気になれば、魔力を持つ聖獣を従えこの国を支配することだって容易い事だ。
そんな力を持つ自分を甘い言葉で唆し、利用しようと目論む人間が殆どだというのが初代からの教えだった。
だからずっと
なのに彼女は……。
誰かに認めてもらえる事が、こんなにも嬉しいなんて。
彼女を手放したくない。
誰にも渡したくない。
我ながら単純だと自嘲しつつも、何だか清々しい気分だった。
ウィルバートはフッと小さく笑って呟いた。
「ならこの力を貴女の為に使おう」
ウィルバートはエミーリアにもう一度ケープをかけ、ラズの背中に乗せた。
「え、ウィルバート様?」
「聖獣が捕まってると聞けば探してやらなきゃいけません。 なので、エミーリアさんも僕の同行者として一緒にヴェッチェル家に行きましょう」
「それって……」
「口実になるでしょう?」
そう言ってウィルバートはエミーリアの背後に飛び乗り、彼女の肩を抱いて引き寄せた。
横向きに座るエミーリアが落ちないようにする為だと言われたが、急に密着度が上がり、エミーリアの心臓は痛いぐらいに早鐘を打つ。
彼は想像以上に筋肉質で、逞しい体つきだった。
野盗達を退治した時のあの素早い動きが出来るのも、相当な努力と鍛錬を積んだ成果だろう。
聖獣番とは、聖獣達に守られる立場にあるのではない。
聖獣達を守れる強さを持つ者が、聖獣番として認められるのだ。
そんなすごい人がすぐ隣りにいて、家族を救おうとしてくれている。
こんな幸せ者は他にいない。
エミーリアは目頭を熱くした。
「……本当に私も同行しても良いのですか?」
「はい。 聖獣と一緒に妹君も探してみましょう。 ケットシー、近くにいるかい?」
ウィルバートが天を仰ぎ呼びかけると、目の前にふわっと白い煙が巻き起こる。
その煙の中からストンと降りてきたのは、白水晶を額に付けた金の瞳を持つ黒猫だった。
「彼らにいつもの魔法をかけてくれ。 うんと強力なものを」
ケットシーと呼ばれる黒猫がニャア、と応えた。
するとケットシーの額に埋め込まれている宝石が輝き出す。
その光は野盗達の頭部付近を包み込むと、あっという間に彼らを眠らせてしまった。
「今の、魔法ですか?」
「えぇ。 ケットシーは聖獣の中でも使える魔法が多いんですよ。 これで今日の事は忘れてくれる筈です」
野盗達を包んでいた光が消えると、ケットシーは褒美をくれと言っているかのように、エミーリアの膝に乗ってウィルバートにすり寄った。
「帰ったらおやつをあげるから屋敷で待っててくれ」
そのおやつが余程魅力的だったようだ。
ケットシーは目を輝かせ、満足気に煙の中へと消えてしまった。
「これで記憶操作も終わりました。 後は通りすがりのどなたかに任せましょう」
と言ってもここは瘴気に覆われた森の中。
果たして人が現れるだろうか。
ここは彼等の運に任せよう。
『さぁ、今度こそ行くぞ』
ラズがゆっくりと身体を起こすと、ウィルバートはエミーリアが落ちないようぎゅっと肩を抱いた。
そしてエミーリアの頭部に頬を寄せ、穏やかな口調で呼び掛けた。
「明日迎えに行きますから、待っててくださいね」
今まで以上に優しく甘く囁かれ、クラクラと目眩がする。
さっきからウィルバートの様子がおかしい。
今まで目を逸らしてばかりだったのに、いきなり距離を縮めてくるなんて驚きだ。
羞恥心と動揺を隠したくて、エミーリアは熱くなった顔を両手で覆う。
そんなエミーリアを見て、ウィルバートは『可愛い』とまた呟くのだ。
お陰で益々顔が上げられない。
結局屋敷に着くまでウィルバートの腕の中で縮こまったままだった。
だがようやく未来に小さな灯りが灯り、解決への道が見えた気がした。
◇◇◇◇
そして約束の朝。
エミーリアの父リスタンは、眉間に深い深い皺を寄せ、部屋中を彷徨い歩いていた。
「エミーリア、本当に聖獣番様はお前を迎えに来るのかい? もはや空想の人物とまで言われる御方だぞ。 騙されてはおらんか?」
「えぇ、大丈夫です」
リスタンはどうやら昨晩聞いた話が未だに信じられない様だ。
それもその筈。
国の英雄の末裔が自分の娘を助けに来るとは思えない。
だがエミーリアは、その不安を払拭しようと力強く拳を握る。
「それよりもステラが戻ってきたら結婚式ですよ? お父様こそちゃんと食べて体調を整えて貰わないと!」
「し、しかしだな……、従者になってまで伯爵家に探りに行くなど、本当に大丈夫なんだろうな?」
「これですか? ちゃんと従者に見えてるなら大丈夫です!」
今のエミーリアは腰近くまである髪を一括りにし、使用人用のウエストコートを着ている。
ウィルバートの隣りに立つ従者に見えるよう、変装をしていたのだ。
「ウィルバート様はとても強いんですよ。 必ず戻ってきますから」
ステラが行方不明になってもう三日が過ぎた。
リスタンの頬は痩せこけ、すっかり意気消沈している。
家族思いの優しい父は、母が亡くなった時も床に伏せてしまう程に落ち込んだ。
今回はまだマシだが、それでもいつか倒れてしまうのではとエミーリアは気が気でなかった。
だがそれもきっと解決するはず。
エミーリアは両手でリスタンの手を握り、ニコリと笑って見せた。
「ステラはきっと無事です。 だからお父様はここで私達を迎える準備をしてて下さい」
「エミーリア……」
リスタンは目尻に涙を浮かべ、ギュッとエミーリアを抱き締めた。
昨晩、エミーリアは久しぶりに穏やかな気持ちで眠る事ができた。
ウィルバートが迎えにくると約束してくれたからだろう。
もう一人で頑張らなくていいのだ。
ただ帰りの道中のことを思い出すと、途端に身体が火照りだす。
目も合わなかったウィルバートが、まるで聖騎士の様に優しく接してきたのだ。
今まで恋人のいなかったエミーリアは、ウィルバートの行動一つ一つにドキドキさせられた。
またそれが嫌じゃないから困るのだ。
今日はこれまで通りに話せるだろうか。
エミーリアは熱くなった顔を手で仰ぎつつ、彼の到着を待った。
すると、使用人が慌てた様子で部屋に入ってきた。
「旦那様、エミーリアお嬢様、大変です!」
「どうかしたの?」
「その、聖獣番と名乗る御方が来られたのですが……」
予め使用人にはウィルバートが来ることは伝えてある。
なのにこんなにも動揺するなんておかしい。
エミーリアは急いで玄関へ向かい扉を開くと、その理由に頷けた。
玄関先に黒塗りの美しい二馬引き馬車が止まっている。
ただ紋章が入っていない為、何処の貴族が現れたのかと人だかりができていたのだ。
「エミーリアさん、お待たせしました」
エミーリアの姿を見て現れたのは、礼装一歩手前のモーニングコート姿のウィルバートだった。
しかも今日は眼鏡もかけている。
昨日のリラックスした服装とは打って変わって、何処かの公爵かと見間違える程に気品のある美しい男性へと変わっていた。
(かっこいい……かっこよすぎだわ!!)
そして心の中で盛大に叫んだ。
聖獣番というからフード付きの大きなローブを纏ってくるのかと思っていたが、そのイメージはもう古いらしい。
「ウィルバート様、今日は眼鏡なんですね……」
本当は『似合ってる』と言いたかった。
だが気恥ずかしくて、ひとまず無難な話題を振った。
「顔バレ防止なんですけど、ダメですか?」
「いえ、とってもお似合いです!」
「……ありがとうございます」
今の彼は、照れ笑いすら『あぁぁっ』と目を覆いたくなる程にかっこいい。
聖獣番だという事を忘れてしまいそうだ。
「……エミーリア、本当にこの方なのか?」
派手な登場で不審に思い、エミーリアにこっそりと耳打ちしてきた。
先に気付いたウィルバートがゆっくりとリスタンに近づき、胸に手を当て恭しく頭を下げる。
「挨拶が遅れてしまい申し訳ありません。 五代目聖獣番を務めますウィルバートと申します。 どうかお見知りおきを」
「は、はぁ……」
共に頭を下げるも、リスタンの表情は冴えない。
そこでもう一押し、ウィルバートは極上スマイルで話しかける。
「大事な娘さんは必ずお守りします。 ですから、どうか身体を休めておいてください」
彼の笑顔と声には不思議な魅力があるのだろう。
リスタンは安堵の表情で深く腰を折った。
「では行きましょうか」
するとウィルバートは、エミーリアに手を差し伸べた。
「え?」
「……すみません。 僕みたいな人間が差し出がましいとは思うんですが、エスコートさせてもらえませんか?」
まるで今から夜会に出向くかのような申し出に、エミーリアは思わず目を見開いた。
「私、こんな姿ですよ? 従者がウィルバート様の隣に立つなんて、不敬に……」
「そんな事ありません」
ウィルバートは清々しいくらいにそれを否定し、エミーリアを真っ直ぐと見つめる。
「寧ろ隣りにいてください。 貴女の言葉が僕に力を与えてくれるんです。 ……せめて、馬車に乗るまででいいので……」
眉を下げ、頬を染める表情も中々格好いい。
変装の効果なのか、振る舞い一つ一つが凛々しく見えてくる。
ここで断って救出作戦に支障がでてもマズイ。
「……わかりました。 では、よろしくお願いします」
エミーリアは嬉しそうに笑うウィルバートの手をとり一歩を踏み出した。
後に、謎の貴族とそれにエスコートされる従者との関係が、女性たちの間でキャッキャと噂されるようになるとは夢にも思っていなかった。
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