第3話 それは魔法にかけられたみたいで

「それでは失礼しますね」


 そう言ってウィルバートはさらりとエミーリアの髪を一束掬った。

 同時にエミーリアの心臓も跳ね上がる。

 だがウィルバートは黙ったまま、持ってきた籠から香油を取り出しエミーリアの髪に馴染ませていく。


「大丈夫です。 痛いことはしませんから」


 ウィルバートはエミーリアの髪を丁寧にブラッシングし始めたのだ。

 エミーリアの髪は元々クセが強いので、いつも一つに括るかバレッタで留める程度に済ましがちだ。

 だがウィルバートの手にかかると、それがみるみる内にほぐされていく。

 その手際の良さはまるで理髪師、いやそれ以上だ。


 いつの間にか緊張も解れている。

 気持ちいいような、擽ったいような、夢見心地という感覚を初めて味わった気がした。



「終わりましたよ」

「え……?」

「これをどうぞ」


 ウィルバートは寝落ち寸前だったエミーリアに小さな手鏡を渡した。

 

「……これ、本当に私?」


 魔法をかけられたのかと思った。

 ウィルバートのブラッシングによってエミーリアの髪は上質な蜂蜜のように輝き、波打つような艷やかな曲線まで描いている。


「……やっぱり可愛い」


 消えそうな声だったが、今度はすぐ側で呟いたのでエミーリアの耳にも届いた。

 持っていた手鏡に、頬を染めながら笑うウィルバートの顔が映りこむ。


 なんて不器用な笑い方だろう。

 だがそれがとても愛おしく思えた。

 ネガティブ発言のおかげで表情が崩れがちのウィルバートだが、元は端正な顔立ちの青年だ。 

 男性との接点が無かったミーリアにとって、美青年の笑顔は想像以上にグッとくるものがあった。


(ダメダメダメ! ステラを探しに来たのにときめいてる場合じゃないわ!)

 

 エミーリアは慌てて両手で顔を覆い、心の中で邪念を振り払う。


――『お姉様こそもっと自分を磨いてください! せっかく美しい髪と白い肌をお持ちなんですから!』――


 そういえばステラがそう言って褒めてくれた事があった。


 母が亡くなってから、エミーリアは家族を守る為に必死に駆け回った。

 自分の事はいつも後回しにして、領主の仕事や家族の体調管理に尽力した。

 だからといってそんな生活が嫌だと思った事は一度もないし、家族の笑顔が見れるのが嬉しかった。

 そして家族も、そんなエミーリアを大切にしてくれている。

 

 だがステラもこれからは最愛の人と新しい家庭を築くのだ。

 そろそろ自分を見つめ直す時間があっても良いのかもしれない。

 そんな事を考えていると、ふとウィルバートの顔が曇った。


「……勝手な事をしてすみません」

「そんな事ありません! ただ自分がここまで変われるなんて思わなかったから驚いてて……」

「貴女は厄介者なんかじゃありませんから」

「え?」


 ハッキリと告げられた彼の言葉がエミーリアの心を揺さぶった。


「貴女は家族思いで素敵な人です。 だから自分をちゃんと愛してあげてください」


 それを伝えたくてわざわざブラッシングを施したのか。

 なんて不器用な伝え方だろう。


「わかりました。 ちゃんと自分を大事にします」


 今度は鏡越しではなく、くるりとウィルバートへと振り返る。

 途端に目を逸らされたが、耳まで赤くなっているのが分かった。

 きっと彼の精一杯の思いやり。

 益々愛おしさが増した。


(何だか髪だけじゃなくて、全身に魔法をかけられたみたいだわ)


 じわじわと身体が温かくなっていく。

 何とも心地良い熱だった。

 そんなエミーリアとは対称的に、ウィルバートはふと表情を曇らせた。


「エミーリアさん」

「……何でしょうか?」

「外が完全に暗くなる前に、家まで送りますね」

「え……」

「いくら聖獣が住む地と言っても、それを狙う輩も多いですから、一人で帰すわけにはいきませんので」

「でも……」

「すぐ支度をしてきますので、エミーリアさんはここで待っててください」

 

 そしてウィルバートはまた部屋を出ていってしまった。

 気づけば側で身体を横たえていたラズも居なくなっている。

 リビングに一人ぽつんと残されたエミーリアは、顔の横髪の先に触れる。

 

 やはり気は変わっていなかった様だ。

 聖獣も、聖獣番も、人間を好ましく思ってないのだろう。

 ならこれ以上踏み込むべきではない。

 今度こそ諦めようと、自分に言い聞かす事にした。



◆◆◆◆



 エミーリアが部屋で悶々としている頃、ウィルバートは一人で自室の机に突っ伏し頭を抱えていた。

 そこへラズがのそりと近づく。


『おい』

「どうしよう……このままだと僕は死んでしまうかもしれない」

『いきなりどうした』

「可愛すぎて心臓が止まるかと思った」

『……うん?』

「ああ言ったものの、多分言い寄ってくる輩を増える筈だ。 ろくでもないヤツは即エサにしなきゃだな」

『……』

「何とかして遠くから見守れないかな。 あぁでも彼女が誰かと一緒にいる姿なんてみてられないしな……」  

『主よ、心の声がだだ漏れだぞ』

「ラズ?! いつからそこに居たんだよ!!」

『……始めからだ』


 どうやらラズの相槌は全く耳に入ってないなかったらしい。

 ラズの冷ややかな視線によって、ウィルバートは徐々に冷静さを取り戻して、ガシガシと頭をかいて大きな溜息をついた。


『まさか主がそこまで人間に入れ込むとはな』

「何がいいたいんだよ」

『あの娘に惚れたんだろう。 せっかくお膳立てしてやったのに無駄にしおって』

「だからあんないかがわしいこと言ったのか?! 心臓が止まるかと思ったぞ!」

『別にあの娘もまんざらでもなかっただろう』

「それは妹君を助ける為だからだ。 人の心を弄ぶんじゃない」

『なぜだ。 先代も頑なだったが、人間というものは番を求める生き物だろう。 何故相手を見つけぬのだ』


 ウィルバートはクローゼットからフード付きの外套を取り出して袖を通す。


「……人間ってのは色々あるんだよ。 好きだからって必ずしも報われるとは限らない。 それに僕はこの仕事が好きなんだ。 ラズ達を置いて行く気もない」

『我は聖獣番などいなくとも生きていけるぞ』

「それは僕のご飯もブラッシングも必要ないってことか?」

『駄目だ! それは困る!』

「ははは」


 流れ作業の様に革張りのウエストポーチを取り付け、そこへ赤い石が埋め込まれた杖を腰から下げた。

 そう、自分にはこの道しかない。

 だから彼女を幸せにすることは出来ない。

 トリスタンの国民と自分は、住む世界が違うのだから。


「……そうだ。 ラズは今朝作ったパウンドケーキはまだ食べてないよな?」

『あぁ。 それがどうした』

「折角だしあれをお土産に渡そうと思って」

『おい! まだ食べるなといったのは主だろう! いつ食べるのかと楽しみにしてたのだぞ!』

「また焼いてやるから今回は我慢してくれ」

『何もそこまでしてやる必要はないだろう!!』

「どうせこれで彼女との縁は切れるんだ。 なら最後ぐらい僕の手料理が彼女の身体の一部になってほしいんだ」

『……怖っ!!』

「何がだ! 彼女だっておいしいって言って食べてくれたんだから、これだって気に入ってくれるはずだ」

『ちがう! 嗜好の話ではなく主の思考の話だ!』

「……先代に比べたらまだまともだと思うぞ?」

『いいや、主も大概だ』


 楽しみを奪われたラズは大きくて長い溜息をついて床に伏せた。


『全く、こんなコソコソせずとも好いてもらう努力をすればいいだろう』

「僕からの思いは素通りして良いんだよ」

『……そうか』


 ラズは呆れたように返事を返す。

 ウィルバートもそれを聞いてラズの背中をゆっくりと撫でる。


「パウンドケーキにシフォンケーキも付けるから機嫌直してくれ」

『……今回だけだぞ。 それと生クリームもだ』

「分かったよ」


 ウィルバートは苦笑いを浮かべながら、自室の扉に鍵をかけた。

 

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