第2話 引き籠もりでも観察力と気遣いは一流らしい
あれから待つこと約五分。
美味しそうな匂いを漂わせて、ミートスパゲティがエミーリアの元に運ばれてきた。
「ちゃんと人間用の味付けになってますから。 ……本当にこれでいいですか?」
「はい、頂きます!」
エミーリアは密かに心躍らせ、フォークにパスタとソースを絡めて口へと運ぶ。
「美味しい……!」
トマトと挽き肉、香味野菜とがしっかり煮込まれていてとにかく美味しい。
少し甘めのソースなのが何処か懐かしくて、エミーリアは何度もそれを口に運んだ。
聖獣達が喜んで食べる訳だ。
「……お口にあいましたか?」
「はい! ウィルバート様は料理がお得意なんですね!」
「……っ」
エミーリアがあまりにも幸せそうに笑うので、ウィルバートは思わず息を呑み、顔を赤らめた。
ただ前髪が少し長い上に俯いていたので、エミーリアにはウィルバートの表情が読み取れなかった。
何か気に障るような事をしただろうか。
これまでの事を思い返していると、フェンリルのラズが口周りをさっぱり綺麗にして、リビングへと戻ってきた。
『
そしてそのまま床に身体を横たえ、ご満悦に鼻を鳴らす。
「そんな理由で決めても良いんですか?」
エミーリアの口から思わず本音がポロリと零れた。
「ほんと、それなら僕じゃなくてもいいって話ですよね……」
「そんな事ありませんって! 聖獣達を虜にする料理人ってなかなか居ませんから!」
どうやら彼は、腰が低いというより自己評価が低いタイプらしい。
『聖獣番というより食事番に近い』
なんて思った事は言わないでおこう。
◇
食後のコーヒーまで堪能した所で、エミーリアはようやく自分の目的を思い出し、頭を下げた。
「ウィルバート様、改めてお願いします! 貴方の力を貸してもらえないでしょうか!」
「えっと、人探しの件ですよね。 僕は専門家ではないので……」
「実は犯人に心当たりがあるんです」
するとウィルバートは怪訝そうに眉を寄せた。
「なら尚更調べれば……」
「その犯人は伯爵家の人間なんです。 だから私では、証拠があったとしても捕まえる事が出来なくて……」
この国での男爵位はまだ下流貴族なので、上流貴族に楯突く事は許されない。
事件に巻き込まれても泣き寝入りするしかないなんて話もよく聞く。
「今度妹のステラは結婚式を挙げることになってました。 恋愛結婚なので私としてはとても喜ばしいのですが、相手は伯爵家。 『釣り合わない』と、この結婚をよく思わない方も多いんです」
ステラの婚約者ロスウェル伯爵は社交界でも女性人気が高く、令嬢なら誰もが憧れる聖騎士だ。
美青年でありながらもこれまで浮ついた話も一切ない。
そんなロスウェルが、夜会でエミーリアの後ろに隠れていたステラを見つけたのだ。
陽の光を纏った様に美しい金髪で、瞳も澄んだ空のような青の色。
人形の様に愛らしい娘だ。
そんな彼女に興味をもったロスウェルは、以前から交流のあったエミーリアを通じてステラとの距離を縮めていく。
臆病な性格のステラも、ロスウェルの誠実な所に惚れたのか、 半年後にようやく二人は結ばれた。
それなのに。
「二人が婚約発表をしてからは、宛名無しで届いた荷物に大量の虫が入っていたり、動物の死骸が門前に置かれていたりといった嫌がらせが何日も続いたんです。 でも妹が行方不明になった途端、パタリと静かになって……」
「確かにそれは疑わしいですが」
「犯人に目星も付いているんですが、相手は私達よりも身分も上なので、こちらから聞き出すこともできなくて……」
『それで我らの元に来たのか。 くだらん』
「おい、もうちょっとマシな言い方があるだろう」
『我は人助けをする気など無い。 諦めろ』
ウィルバートの隣で話を聞いていたラズがフン、とエミーリアの依頼を突っぱねた。
それを見て、ウィルバートも申し訳無さそうに頭を下げた。
「申し訳ないですが、このとおり聖獣は気まぐれですし、人間の為に動く事は滅多にしません。 それに僕も聖獣を保護するのが仕事ですから、お力にはなれないかと……」
「そう、ですか……」
聖獣番はこれまでも殆ど人前に姿を現さなかった。
もしかしたらこうした依頼や関わりを拒む為だったのかも知れない。
ならこれ以上は言うべきではない。
重苦しい空気が部屋に立ち籠める中、 時間だけが過ぎていく。
そんな中、沈黙を破るようにラズが耳をピン、と立ててニヤリと笑った。
『まぁ、我の願いを聞くというなら少しは手伝ってやってもいいぞ』
突然の神の一声、ならぬ聖獣の一声にウィルバートは驚き、エミーリアは嬉々とした表情を見せた。
「ラズ様、ありがとうございます! 私に出来る事であれば何でもします!」
『そうか。 ならばその体を一晩こやつに捧げてやってくれ』
「「え……?」」
聖獣から思わぬ言葉が飛び出し、エミーリアは目を丸くする。
「主は見ての通り引き籠もりでな。 主が次の代を見つけて来れるのか心配なのだ。 ならばいっそ子でも作って……」
「おい!! なに訳解んないこと言ってるんだ!!」
ウィルバートは溜息混じりで事情を話すラズの口を両手で塞ぐ。
その顔はみるみる内に真っ赤を通り越して青ざめていた。
『一晩身体を捧げる』という言葉の意味ぐらい、年頃のエミーリアでも知っている。
ただそういう事は思い合ってる者同士がすることであって。
だが幸いエミーリアには現在婚約者も想い人もいない。
なので彼女はすぐに迷いを吹っ切り、胸元で結んであるリボンをするりと解く。
「わかりました。 私で良ければどうぞウィルバート様のお好きにしてください!」
「駄目ですって! こんな訳わからない聖獣の話に乗る必要ないですよ!」
ウィルバートは必死に止めるが、エミーリアは更に二つ、三つとボタンを外し、ジリジリとウィルバートに迫っていく。
瞳を潤ませ耳まで赤くしたエミーリアを見て、ウィルバートも思わずゴクリを息を呑んだ。
「もしかして、私じゃその気になりませんか……?」
「……いえ、決してそういう訳では……」
エミーリアはウィルバートの手を取り、自分の頬にそっと当てた。
恥ずかしいけれどこうするしか手がないのなら。
耳の奥で心臓の音がドクドクと大きく鳴り響く。
それでも顔を上げ、互いの息が掛かりそうな所まで更に距離が縮める。
唇まであと数センチという所。
ウィルバートの方が先に羞恥心のメーターが振り切れてしまい、床へと倒れて気を失ってしまった。
「ウィルバート様?!」
『……根性ナシが……』
エミーリアが必死に呼び掛ける隣りで、ラズが呆れて呟いた。
◇
リビングのソファへ移動させて冷たいタオルを額に乗せると、ウィルバートが目を覚ました。
「あれ……僕は……」
「良かった! 気がついた!」
ウィルバートはエミーリアが側にいることに気づき、飛び起きて服を着ているか確認する。
「僕、貴女に何かしましたか?!」
「いいえ。 何もされてません何もしてません」
「……本当に?」
「はい」
「よかったぁ……」
ウィルバートは長い長い安堵の溜息を漏らした。
だがすぐに下がり気味の目尻をあげてエミーリアを見据えた。
「駄目じゃないですか! ご令嬢がこんな得体の知れない男と関係を持ったなんて知られたら大変な事になりますよ?! ちゃんと自分を大事にしてください!!」
「そこは心配ご無用です。 私は厄介者と言われてますので、縁談も何も受けたことはありませんから」
「……厄介者?」
「妹は男性が苦手だったので私がずっと側についてたんです。 でも彼女目当ての男性からしたら邪魔でしょう」
妹のステラは行動派のエミーリアと違って穏やかで従順な性格だ。
其の為相手の話は何でも聞いてしまう。
それを勘違いした男達がステラに猛アプローチを始め、勝手に男同士で揉め始めるのだ。
酷い時には乱闘騒ぎになるので、ステラへの接触にはエミーリアの了承が必須になったのだ。
争い事を嫌うステラを思ってしてきた事だが、それがいつの間にか『厄介者』のレッテルにすり替わっていたのだ。
「妹に比べたら、私なんか容姿も普通ですし可愛げもありません。 だから噂になることもありませんし問題ありません」
エミーリアはそれが当たり前かのようにフフッと笑った。
エミーリアは美しい金髪のステラと違って、くすんだブロンズの髪色。
瞳の色だって綺麗な空色ではなく、緑がかった青い色。
嫌いではないけれど、妹と比べられるとやはり見劣りしてしまう。
「……そんな事、ありません……」
「え?」
それは聞き逃しそうな程にか細くて、エミーリアの耳には届かなかった。
「ウィルバート様……?」
暫く俯いていたウィルバートが突然立ち上がり、無言でスタスタと部屋を出ていってしまった。
また怒らせるようなことをしてしまったんだろうか。
(……私ったらやっぱり駄目ね……)
エミーリアは青緑の瞳を曇らせた。
婚礼期になっても見向きもされない女性なんて価値がない。
分かっていても、全く傷つかない訳ではない。
自分だって恋がしたいし、好きな人と一緒にいたい。
でもつい強がってその気持ちに蓋をする。
優しいウィルバートでも、目的の為ならアッサリと身体を差し出すような自分を軽蔑したに違いない。
(やっぱり一人で探しに行こう……)
居た堪れなくなり部屋の入口に向かったその時、ウィルバートがブラシやら入れた籠を持って戻ってきたのだ。
「「あ……っ」」
入口でぶつかり、思わず声が重なる。
エミーリアと目が合った瞬間、ウィルバートの顔が青ざめた。
「すみません! ラズと二人きりにしてしまいました!」
「え?」
「あれから脅されたりしてませんか? 少し目が赤いですよ」
『おい! 人聞きの悪い事をいうな!』
「どうだかな」
冷ややかな目でラズを見た後、ウィルバートはエミーリアの目尻を親指で優しく撫でた。
泣いてなんかない。
ラズに何かされた訳でもない。
ただ、独りになったのが淋しくて。
多少の誤解があるものの、心の底にあった感情を見抜かれてしまった気分だ。
エミーリアは頬を染め、瞳を潤ませる。
すると目の当たりにしたウィルバートはそれ以上に顔を赤らめた。
「す、すみません! 気安く触ってしまいました!」
「いえ、大丈夫です……」
そこは今までと同じ反応で安心した。
ただウィルバートの優しさに直に触れた気がして、それがエミーリアの心に柔く刺さった。
お互い何も話さないまま、静かなときが流れる。
暫くして、ウィルバートが先に口を開いた。
「エミーリアさん、良かったらそこの椅子に座ってもらえませんか?」
「椅子に?」
「はい。 今から貴女を変えてみせます」
言葉の意味がいまいち理解出来なかった。
だがウィルバートの言葉に、不思議と魅力を感じた。
「……お願いします」
不安と期待が入り交じる中、エミーリアは勧められた椅子にゆっくりと腰掛けた。
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