第2話 引き籠もりでも観察力と気遣いは一流らしい

 ウィルバートが食事を持ってくるまで待つこと約五分。

 美味しそうな匂いを漂わせてミートスパゲティがエミーリアの元に運ばれてきた。


「味付けは人間用に少し濃いめにしてます。 ……本当にこれでいいですか?」

「はい、頂きます!」


 森の中を歩きまわっていたので、本当は食べたくて仕方なかったのだ。

 エミーリアは密かに心躍らせ、フォークにパスタとソースを絡めて口へと運ぶ。


「美味しい……!」


 トマトと挽き肉、香味野菜とがしっかり煮込まれていてとにかく美味しい。

 しかも何処か懐かしい味付けに、エミーリアは何度も口に運んだ。

 聖獣達が喜んで食べる筈だ。


「……お口にあいましたか?」

「はい! ウィルバート様は料理がお得意なんですね!」

「……っ!」


 エミーリアが笑ったのをみて、ウィルバートは思わず息を詰まらせる。

 何か気に障っただろうか。

 顔を赤らめるウィルバートを見て、エミーリアは首を傾げる。

 すると口周りがすっかり綺麗になったフェンリルのラズが、ご満悦でフフンと鼻を鳴らした。


ぬしの作るご飯は最高だろう。 この飯が食いたくて我は主従関係を結んだのだ』

「そんな理由で決めちゃって良いんですか?」


 思わず本音が零れた。


「ほんと、これなら僕じゃなくてもいいって話ですよね」


 そしてウィルバートがまたもやネガティブ発言をする。


「そんな事ありませんって! 聖獣を虜にする料理人ってなかなか居ませんから!」


 やはり聖獣番というより食事番だと思った事は言わないでおこう。

 どうやら腰が低いというより、自己評価が低いタイプらしい。



 食後のコーヒーを出された所で、エミーリアは再び頭を下げた。


「ウィルバート様、改めてお願いします! 貴方の力を貸してもらえないでしょうか!」

「僕の?」

「はい、実は私の妹が一昨日から行方不明なんです!」


 理由に驚いたウィルバートだったが、席につくなり難しい顔をする。


「人探しなら警察や探偵に頼むほうがいいのでは……」

「既に動いてもらっています。 ですがこれだけ探しても見つからないということは、もしかしたら誘拐されたのかと……」

「誘拐?」

「憶測ですが、妹に嫉妬している人間の仕業ではないかと思っているんです」 

「……何故ですか?」

「妹のステラと相手の方とは恋愛結婚なんです。 私としてはとても喜ばしいのですが、身分も公爵家と男爵家ですから、この結婚をよく思わない方も多いようなんです」


 ステラの婚約者ロスウェル公爵は社交界でも人気が高く、令嬢なら誰もが憧れる聖騎士だ。

 美青年でありながらもこれまで浮ついた話も一切ない。

 そんなロスウェルが、夜会でエミーリアの後ろに隠れていたステラを見つけたのだ。


 陽の光の様に美しい金髪で、瞳も澄んだ空のような青の色。

 人形の様に美しい娘だ。

 ロスウェルは以前から交流のあったエミーリアを通じてステラとの距離を縮めていく。

 臆病な性格のステラも誠実なロスウェルに惚れたようで、半年後に二人は結ばれたのだ。

 それなのに。


「二人が婚約発表をしてからは、宛名無しで届いた荷物に大量の虫が入っていたり、動物の死骸が門前に置かれていたりといった嫌がらせが何日も続いたんです。 でも妹が行方不明になった途端、パタリと静かになって……」

「確かにそれは疑わしいですね」

「犯人に目星も付いているんですが、相手は私達よりも身分も上なので、こちらから聞き出すこともできなくて……」

『それで我らの元に来たのか。 くだらん』

「おい、もうちょっと言い方があるだろう」

『我は人助けをする気など無い。 諦めろ』


 ウィルバートの隣で話を聞いていたラズがフン、とエミーリアの依頼を突っぱねた。

 それを見て、ウィルバートも申し訳無さそうに頭を下げた。


「申し訳ないですが、このとおり聖獣は気まぐれですし、人間の為に動く事は滅多にしません。 それに僕も聖獣を保護するのが仕事ですから、お力にはなれないかと……」

「そう、ですか……」


 聖獣番はこれまでも殆ど人前に姿を現さなかった。

 もしかしたらこうした依頼や関わりを拒む為だったのかも知れない。

 ならこれ以上は言うべきではない。


 重苦しい空気が部屋に立ち籠める。

 何も言い出せないまま時間だけが過ぎていく。

 そんな中、沈黙を破るようにラズが耳をピン、と立ててニヤリと笑った。


『まぁ、我の願いを聞くというなら少しは手伝ってやってもいいぞ』


 突然の神の一声、ならぬ聖獣の一声にウィルバートは驚き、エミーリアは嬉々とした表情を見せた。 


「ラズ様、ありがとうございます! 許容範囲内であれば何でも聞きます!」

『そうか。 ならばそなたがその体を一晩こやつに捧げるのであれば考えてやろう』

「「え……?」」


 聖獣から思わぬ言葉が飛び出し、エミーリアは目を丸くする。


「おい! なに訳解んないこと言ってるんだ!!」


 そしてウィルバートの顔がみるみる内に真っ赤を通り越して青ざめた


 『一晩身体を捧げる』という言葉の意味ぐらい、年頃のエミーリアでも知っている。

 なので可能なら思い合ってる人とがいい。

 ただエミーリアには現在婚約者も想い人もいない。

 なので迷いはない。


 エミーリアは決意を固め、胸元で結んであるリボンをするりと解く。


「わかりました。 私で良ければどうぞウィルバート様のお好きにしてください!」

「駄目ですって! こんな訳わからない聖獣の話に乗る必要ないですよ!」

「もしかして、私じゃその気になりませんか……?」

「いえ、決してそういう訳では……」


 エミーリアは更に一番上のボタンを外し、ジリジリとウィルバートに迫った。

 恥ずかしいけれどこうするしか手がないのなら。


 耳の奥で心臓の音がドクドクと大きく鳴り響く。

 互いの息が掛かりそうな程に距離が縮まり、唇まであと数センチという所。

 ウィルバートはとうとう耐えきれず、椅子から落ちて気を失ってしまった。


「ウィルバート様?!」

『……根性ナシが……』


 そんな主の姿に呆れてラズが呟いた。



 リビングにあったソファへ移動させて冷たいタオルを額に乗せると、ウィルバートが目を覚ました。


「あれ……僕は……」

「良かった! 気がついた!」


 ウィルバートはエミーリアが側にいることに気づき、飛び起きて全身を確認する。


「僕、何かしましたか?!」

「いいえ。 何もされてません」

「本当に?」

「はい」

「よかったぁ……」


 口から長い長い安堵の溜息が漏れる。

 だがすぐに下がり気味の目尻をあげてエミーリアを見据えた。


「駄目じゃないですか! 貴族の女性がこんな得体の知れない男と関係を持ったなんて知られたら大変な事になりますよ?! ちゃんと自分を大事にしてください!!」

「そこは心配ご無用です。 私は厄介者なので、これまで一度も縁談を受けたことはありませんから」

「……厄介者?」

「妹は男性が苦手だったので私がずっと側についてたんです。 でも彼女目当ての男性からしたら私は厄介者でしょう?」

 

 妹のステラは行動派のエミーリアと違って穏やかで従順な性格だ。

 其の為相手の話は何でも聞いてしまう。

 それを勘違いした男達がステラに猛アプローチを始め、勝手に男同士で揉め始めるのだ。

 酷い時には乱闘騒ぎになるので、ステラへの接触にはエミーリアの了承が必須になったのだ。

 争い事を嫌うステラを思ってしてきた事だが、それがいつの間にか『厄介者』のレッテルにすり替わっていたのだ。


「私なんか容姿も普通ですし可愛げもありませんから、特に問題ありません」


 エミーリアはそれが当たり前かのようにフフッと笑った。 

 自分は美しい金髪のステラと違って、くすんだブロンズ色の髪。

 瞳の色だって綺麗な空色ではなく緑がかった青色だ。

 嫌いではないけれど、妹と比べられるとやはり見劣りしてしまう。

 

「……そんな事、ありません……」

「え?」  


 それは聞き逃しそうな程にか細くて、エミーリアの耳には届かなかった。


「あの、今なんて……」


 暫く俯いていたウィルバートが突然立ち上がり、そのままスタスタと部屋を出ていってしまった。


 また怒らせるようなことをしてしまったんだろうか。

 

(……私ったらやっぱり駄目ね……)


 エミーリアは青緑の瞳を曇らせた。

 適齢期になっても見向きもされない女性なんて価値がない。

 そう自分で言ったものの、全く平気という訳ではない。

 やっぱり恋だってしたいし、好きな人と一緒にいたい。

 でもつい強がって気持ちを隠してしまうのだ。

 優しいウィルバートでも、きっと自分なんてとんでもないと思ってる。

 

 ここが諦め時なのかもしれない。


(やっぱり一人で探しに行こう……)

 

 居た堪れなくなり部屋の入口に立ったその時、ウィルバートがブラシやら入れた籠を持って戻ってきたのだ。

 

「「あ……っ」」


 入口で二人がぶつかり、思わず声が重なる。

 途端にウィルバートの顔が青ざめた。


「すみません! ラズと二人きりにしてしまって!」

「え?」

「不安だったんじゃないですか? ……少し目が赤いですよ」

『おい! 人聞きの悪い事をいうな!』

「どうだかな」


 少しささくれだったウィルバートの指が、エミーリアの目尻を優しく撫でた。


 泣いてなんかない。

 ラズが怖かった訳でもない。

 ただ独りになるのが淋しくて。


 多少の誤解があるものの、心の底にあった感情を見抜かれてしまい、エミーリアは頬を赤く染める。

 するとそれを目の当たりにしたウィルバートはそれ以上に顔を赤らめた。


「す、すみません! 気安く触ってしまいました!」 

「いえ、大丈夫です……」


 そこは今までと同じ反応で安心した。

 ただウィルバートの優しさに直に触れた気がして、それがエミーリアの心に柔く刺さった。

 

 再び気まずい空気が流れる。

 すると今度はウィルバートが先に口を開いた。


「エミーリアさん、良かったらそこの椅子に座ってもらえませんか?」

「椅子に?」

「はい。 僕が貴女を変えてみせます」


 言葉の意味がいまいち理解出来なかった。

 だがウィルバートの言葉に、不思議と魅力を感じた。


「……お願いします」


 不安と期待が入り交じる中、エミーリアは勧められた椅子にゆっくりと腰掛けた。

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