100 新たな冒険がはじまるのこと

 洞庭湖のほとりで明月鏡がさわいでいる……。


「えー、わいだけ放っておかれてるやん!

 なんで、なんで、なんでぇー!?

 あ~、申陽はん、ラブラブすぎて、わいのことなんて、もうどうでもええっちゅうわけか?


 これあれやで、飛鳥尽ひちょうつきて良弓蔵りょうきゅうかくされ、狡兎死こうとしして走狗烹そうくにらる、っちゅうこっちゃな!

 飛ぶ鳥がいなくなったら弓はしまわれるし、ウサギを狩ったら猟犬は用済み、てことや! いちいち猟犬殺すなんて、そっちのがもったいないと思うがな!


 スパイを殺す時なんかに使うたら、かっこええんちゃう?

『ふふふ、きさまはもう用済みだ。飛鳥尽きて良弓蔵され、狡兎死して走狗烹らるだよ……』ってな!

 そんなことより! わい、雨ざらしで錆びてまうやん! いや神鏡やから、ほんまは錆びへんのやけどな! あっはっはぁー」


 きっと申陽は、明月鏡がうるさいから放ってきたのだろう。

 秋が深まり、冬がはじまり、そして年末……。


「それじゃあ、若さま、気をつけていってくるんですぞ」

「うん、わかってるよ」

 夜も明けやらぬ頃、雪のつもった洞庭湖のほとりで、主従が会話している。

 

 悦蛇は失恋により、今後、一億年は引きこもっているかと思われた。

 だが!

 今日は冬胡美ふゆコミの日だったのだ!


「それにしても、またその格好ですか……」

 田楽は、パッとしない肥えた男に化けたあるじを、イヤそうに見た。


「べつにいいじゃん。このほうが落ち着くし――あれ、なにかな?」

 悦蛇はひゅっと触手を伸ばして、うるさい鏡をひろった。


「おっ、兄さん、お目が高い! わい、神鏡のキョーちゃんや。ひろてんか! いや、もうひろうとるな、ハッハッハ!」


「若さま、きっとこれは魔鏡でございますよ。

 世のため、人のためにならぬものでございます。捨てておしまいなされ」


 長年、中間管理職として苦労してきた田楽は、人を見る目があった。


「いやいや、そんな殺生せっしょうなァ……悦蛇はん、あんた、胡美家コミケにいくと見ましたで。

 わてなら、今空いてるブースを教えてあげられまっせ。どないや?」


「へえ、すごい。AIつきの宝貝ぱおぺいだね。じゃあ、ちょっと一緒にきてよ」


 悦蛇は明月鏡をたずさえ、始発の電車に乗り込むのであった。



 まずは、憧れの法女子ほめこ先生のブースへ行く。

 金玉の母、香月のペンネームである……。


 香月は、息子の代わりにウサギが帝に嫁入ったときいて驚いたが、べつに何も困らなかった。

 帝×ウサギ獣姦イラストを書くようになっただけである。


 元気になった香月は、新刊を三冊も出した。


 ・ふたなり金玉×ダンナ

 ふたなりの息子が、自分の夫をガンガン攻める。


 ・猿の婿殿×ノーマル金玉

 これは甘々作品で、息子の新婚生活をえがく。


 ・ふたなり三蔵法師総受け陵辱モノ

 ふたなりとなった三蔵法師が、修行のため、男からも女からも陵辱され、八十一の難を受ける。


 ――やりたい放題であった!


 ちなみに「ふたなり三蔵法師総受け陵辱モノ」は嫦娥じょうがから高い評価を受け、専用アカウントで感想を連続ポストされることになる……。


 悦蛇は、法女子ほめこ先生のふたなりものを無事に買えた。

 それにスケッチブックまで描いてもらえて、大満足だった。


「やっぱり、二次元はいいよな。非処女にならないから」


 ――その時!


 悦蛇は、あるブースに目がいった。

 それは残酷無惨絵で有名な、白澤はくたく先生のところであった。


 そして、ある見本誌を手にとった。

 タイトルは「男性器凌遅刑だんせいきりょうちけい


「あっ、それ、新刊なんですよー」

 それは男性が縄で縛られたり、猿ぐつわをかまされたりしたうえに、男性器がものすごい方法でいたぶられている内容であった……。

 

「く、ください! 一冊……いや、三冊!」


 悦蛇は会場の隅に座り、食い入るようにその本を読んだ。

 

 彼は大失恋してから、二次元ふたなりに心の慰めを見い出していた。

 

 これは、ふたなりとは全く関係ない薄い本だ。

 なのに、何だろう、この気持ち……。


 ずっと求めていたものが、ここにあるような?


 ――局部を矢で射ぬかれた悦蛇は、何かが目覚めつつあった……。


「ふう~ん、あんさん、SMに興味あるんかいな?」

 明月鏡が、悦蛇の思考を読んで声をかけた。


「えすえむ?」

「そや。サディストとマゾヒストの織り成す、奥深い世界や。

 そういうことできるSMクラブもあるでえ」


「えっ! こんなことできるの?」

 それは「そんなに素敵な場所があるの?」というニュアンスを大いに含んでいた。


「おお、興味あるか。ほな、わてが連れてったろか。神戸にええとこあるで」


「聞いたことない地名だけど、そこどこ?」


「東海のずーっと先、蓬莱ほうらい島、

 方丈ほうじょう国、瀛州えいしゅう半島を過ぎたその先の、

 倭国わこくの都の東京から、大阪までガーッていって、そこから路線のりこえたところに神戸はあるんや。

 まあ神戸いうても、その一つ手前の元町駅でおりて行くんやけどな」


「へえ、遠いねえ……。

 そこへ行ったら、こういう酷いことしてくれるの?」


「モチやで! ただ、ふたなり女王様がいるかどうかはわからんで。

 たぶん、おらへんのちゃうか?」


「ううん、それはいいんだ。ふたなりは、もう……」

 悦蛇は、失恋のほろ苦い味を思い出した。


「それより僕、SMってのに興味出てきたよ。

 ひどいことしてくれるなら、男でも女でもいいかな」


「よっしゃ、ほな、わいと倭国に行こうやないか。

 悦蛇はん、男やったら、マゾ奴隷の道、極めてみたらんかい!(その道を極めてみてはどうですか)」


「うん、僕、行くよ!」


 こうして悦蛇は、面白おもしろがりの明月鏡にそそのかされて、SMクラブを求めて、旅立つのであった。


 ――悦蛇の冒険はこれからだ!



                                【開幕】

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