93 牽牛は美少年の羽衣を盗むのこと

「なんや、えらい水びたしになっとるやん。ひゃー、えらいこっちゃ。つーか、おぼれる、おぼれる! 死んでまうやん! ……いや、そーいや、わい、鏡やったな。無機物やわ。なんや、ほな安心やなァ~」


 一人つっこみをする明月鏡が映し出したのは……。


 *


 昔々、あるところに牽牛けんぎゅうという若者がいた。

 牽牛はまじめな性格で、日々、田畑をたがやし、牛を飼って過ごしていた。


 するとある時、牛がしゃべりはじめた。

「牽牛さん、牽牛さん。あなた、このままの生活でいいんですかモウ」


 太古の世界に生きていた牽牛は、こともなげに返事した。

「べつに、生活していけるだけのものはあるから、何も不自由はないけど」

 

「そんな志の低いことでどうしますかモウ。

 男と生まれたなら、戦で功を立て、大将軍となって、天子に仕えるくらいやってみるべし」


「今は平和な時代だ。戦なんて起こりっこない。

 それに、そもそも戦争なんてないほうがいいだろう」

 牽牛は良心的兵役拒否をした。


「それじゃあ、せめてお嫁さんをもらいましょうよモウ。

 このまま若者が一人でいたって、何も物語がはじまらないですぞモウ」


 牽牛は「それもそうだ」と思った。


「明日、川べりに天女たちがやってきます。彼女らは、羽衣がなければ空を飛べない。

 で、ですな、あんたはそのうちの一枚を隠して……あとに残されたのは、かよわい一人の裸の天女……な、わかるでしょうモウ。

 やっちま……お嫁さんにするんだモウ」


「君はなんてことをいうんだ! 犯罪じゃないか!」


 だが牽牛は強制イベントに逆らえず、翌日、牛を連れて川べりに行くのであった。


 川では、美しい七人の男たちが水浴びをしていた。

 牛は「あれ? 今日は男湯の日だったかモウ?」と思ったが、時既に遅しだった。


 牽牛は、そのなかのひときわ美しい美少年に釘づけになってしまった。


 そして、草むらに脱ぎ捨てられた天男てんなんたちの羽衣の匂いを、一枚一枚かいでいった。


「ちがう……これでもない……おお、この甘い香り。きっとこれがあの少年のものにちがいない」と確信した。

 牽牛は草むらにひそみ、羽衣の匂いをかいで陶然となっていた。


 やがて天男たちの水浴びが終わった。彼らは服を着て、次々に天に帰っていく。


「おーい、織皇しゅくおう、早くこいよ」

「うん、兄さん。先へいってて」


 織皇と呼ばれた美少年は、草むらを探すが、羽衣はどこにも見当たらない。


「ああ、どうしよう。あの羽衣がなければ天に帰れない。

 もう兄さんたちとも会えないんだ」


 牽牛は、裸の美少年がしくしく泣いているのを見て、急に罪悪感がわいてきた。


「も、申し訳ありませんっ!」

「きゃっ?」

「羽衣を盗んだのは私です!」

 牽牛は、織皇に羽衣を差し出した。


「み、見るなよ、バカッ!」

「ははっ」

 牽牛は後ろを向いたが、美少年のなまめかしい姿態は、くっきりと目に焼きついていた。


「もうっ」

 織皇は、手早く羽衣を身につけた。

 怒りながらも「この人は、きっと悪いことはできない人なんだな」と思った。


「こっち向いていいよ。ぼくは織皇。あなたは?」

「私は牽牛と申します。ただのしがない牛飼いでございます」


「ぼくの裸、見たよね?」

 織皇は、牽牛に一歩近づいた。


「はい、万死に値することでございます」

「……責任、とってくれる?」

 そして、牽牛にそっと身を寄せた。


 ――昔は展開が早かった!


「ああ、織皇さま!」

「待って。父さんと母さんに、結婚のお許しをもらってくるから」


 織皇はふわりと浮き上がり、天界に戻っていった。


「あーあ、逃がしちゃったなモウ。もう戻ってこないんだモウ」


 しかし牽牛は、織皇を信じて待っていた。


 ――夜半、戸をトントンと叩く音がした。

 戸をあけると、そこには泣きぬれた織皇がいた。


「ああ、牽牛さん!」

「織皇さま、どうなされたのですか」


「父さんと母さん、カンカンなんだ。

 そんな貧しい牛飼いと結婚なんて、とんでもないって怒ってるんだ」


「そりゃあそうだモウ。

 何千年前だろうが、貧乏人に息子をやりたい親なんていないモウ。

 だから、無理矢理手籠めにして、既成事実をつくれといったんだモウ」


「そんな野蛮なこと、できるわけないだろ!」


「まあ、しょうがないモウ。今晩、やっちまうんだモウ」

 牛は「私が媒酌人をつとめますから、結婚式をあげましょう」といった。


「だ、ダメだ! やはり、こちらからも誠意を見せないと。

 織皇さま、私が天に昇って、ご両親にあいさつしてきます」


「でも、あなたは天に昇れないでしょう。どうするの?」

「その羽衣を借りて……」


「それはできないモウ。羽衣を盗んだ人間が天に昇ったという説話は一切ないモウ。羽衣は天人てんじんが使わないと、役に立たない設定だモウ」


 ――昔の人は、天女の羽衣を身につけた男の話など、聞きたくなかったのだ!


「牽牛さん、私の皮をはぐモウ。それをかぶれば、人間でも天にのぼれるモウ」


「いや、君はうちで長く働いてくれたし、そんなことはできないよ」


「牛は大地を象徴する。天人は、空のかなたをあらわしている。地は陰、天は陽だ。

 これはただのノゾキ魔、下着泥棒の話と見えて、

 実は天と地、陰と陽のまじわりについて語っている、壮大なお話なんだモウ」


 牛が自分の皮を脱ぎすてると、長いヒゲを持つ立派な老人になった。


「わしは黄帝こうてい。大地のすべてを治める神じゃ。

 おまえは真面目な牛飼いじゃから、一度だけ、力を貸してやろう。

 西王母は気難しいが……まあ、やってみるモウ」


 老人は牽牛に牛の皮をわたし、いずこへともなく去っていった。


「あ、ありがとうございます。さあ、一緒に天に行こうか」

「うん!」


 恋人たちは、そろって天にのぼっていくが……。

 

 以下、次号!

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