赤い縄のゆくえのこと

92 肝油は竜の珠を返しにいくのこと

 ――さて、少し時はさかのぼる。


 金玉から拒絶された肝油は、まるで一気に七百歳も年をとったかのような気分で、帽子もかぶらず、街を蹌踉そうろうと、よろよろと、ふらふらと歩いていた。


 肝油は川べりに座って、ただ水の流れを見つめる。

 ストレスで、さらに髪の毛が抜けてしまった。もう産毛うぶげすら生えてこない。


 ふと、竜の珠のことを思い出した。獄に囚われながらも、これだけは持っていた。

 だが、いまや肝油にとってはまったく必要ないものだ。


 ――銀明に返してやらなきゃあな。

 そう思うものの、人間の身で、どうやってあの竜宮城に帰れるだろうか。

 

「ああ、おれが地上に帰りたいなんていわなければ……。

 銀明、許してくれ!

 おまえとの時間はもう取り戻せないんだな」

 肝油はおうおうと嘆くのであった。


 そういった途端、亀の執事の霊公が、プップーとクラクションを鳴ら……してはいないが、ザバーと水から出てきた。

 銀明からいわれて、毎日水中で待機していたのだ。


「まったく、後悔するのが遅いですぞ! ……ど、どうなさったんですか?」

 霊公は、肝油の頭部に視線を送っている。


「おれを竜宮城に連れていってくれ!」


 *


「坊ちゃま! 肝油さまが!」

「ほ、本当っ?」

「ただ、その……」

 霊公が示した先には、竜の珠をもち、無帽むぼうの肝油がいた。


「銀明、久しぶりだな」

「肝油さま……戻ってきてくれたんですね!」

「おめえに返そうと思ってな」

 肝油は銀明にわたし、くるりと背中を向けた。


「ま、待って! どこへ行くの?」

「わかってるだろ……おれはおめえにふさわしい男じゃねえんだ」

「そんなことありませんっ! 父だって、結婚に賛成して……」


「これでもかっ!」

 肝油は、自分の帽子も何もかぶっていない、そしてバーコードスタイルにセットもしていない頭を指した。


「見ろっ……これを!

 遺伝か? 栄養不足か? 男性ホルモンのせいか?

 わからない……ただ生きていくだけで、日々髪の毛が減っていくんだ……おれは健康なのに! なのに、なのに……なぜ、髪だけに栄養がいかないんだ?

 加齢だから仕方がない? おれはそんな歳じゃない!

 酒もひかえめ、タバコはほどほど、早寝早起きで健康的な生活をしているのに……」


 この時代、AGA(男性型脱毛症)の薬はまだ開発されていない!

 そしてたとえ服用したとしても、副作用の問題から逃れられるわけではない。

 性欲減退、勃起不全……。


 ハゲで絶倫、ふさふさで不能――まさに究極の選択である!

 

「ハゲがBL小説に登場できるか?

 調べたが、コメディチックな作品が少しあっただけだぞ!

 シリアスベースの切なくロマンチックな作品で、ハゲが主役として登場することは、古今東西を見渡しても、一切ないっ!

 ハゲには恋愛する資格すらないというのかっ?」


「肝油さま、そんなことはありません!」

 銀明は、肝油の手をとった。


「おめえだって、おれのこんな姿を見て、ガッカリしたろう。

 『え? ハゲの人? ないわー(笑)』なんだろうが!

 もうやめてくれ。同情なんてまっぴらだ」


「ちがうっ! ぼくは、肝油さまのことを本気で好きなんです!」

「銀明……」

「ハゲてたって、肝油さまは肝油さまです」


 肝油は、銀明のまことの愛を知ったのであった!


「銀明、許してくれ……もう二度と離れねえ。おれと結婚してくれるか?」

「はいっ、喜んで!」


 そもそも、ヨウスコウカワイルカに体毛はない。

 銀明は「髪? そんなに気にすることかな?」と、ピンときていなかった。

 

 髪を気にするか、しないか……これは水生動物と陸生動物の違いなのであろう!


 *


 肝油は銀明と結婚式をあげ、正式に竜王の婿となった。


 肝油は銀明と、文章にも書けない夢のような日々を送り、義父との仲も良好だった。


「やあ、肝油くん。どうだね、息子とはうまくやっているかね」

「はい、それはもう。十分にほぐれて、体の相性は最高ですよ」

「ふふっ。肝油さまったら、すっごい絶倫なんだ……」


 ――なごやかな家族の会話である!


「しかし、どうも今日は海がにごってますな。どうしたんですかい」

 肝油は、窓の外に目をやった。


 その時、バタバタと霊公がやってきた。

「龍王さま、大変です! 地上で大洪水が起こったとの報せが入りました」


「ほう。原因は?」

「まだわかりませんが、天の柱が傾いたとの噂があります」

「そうか。引き続き調査せよ。天帝にも連絡をとるのだ」

「ははっ」

 霊公は、一礼して去っていった。


 ――大洪水? 金玉は大丈夫だろうか……。


 肝油は後ろ髪をひかれかけたが、彼の髪はもう一本もなかった。

 婚礼を挙げる時、スキンヘッドにしたのだ。


「肝油さま、ご心配でしょう」

 銀明がいたわるようにいった。


「ああ……だが、いちばん大事なのはおまえだぜ」

 肝油はいい、銀明の肩をそっと抱いた。

 

 竜の珠には「持つ者の本当の恋を叶える」という力があった。


 肝油は未練を断ち切り、今ようやく、真実の愛を手にしたのであった……。


 以下、次号!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る