73 申陽は金玉と肝油が抱擁するのをのぞき見るのこと

 さて大羿たいげいと申陽は、悪鬼どもがひしめく空気の悪い魔界に足を踏み入れた。

 あたりにはツンと鼻をつくような悪臭が漂い、魔物どもが各ブースで我先にと薄い本を奪い合っている。


 その中に嫦娥たちがいた。

 彼女はとあるブースで、売り主と十年の知己がごとくに語らっている。


「あれが白澤はくたく先生だ。単なる陵辱にとどまらず、流血、嘔吐面での表現は群を抜いている」

「はあ……」

 申陽しんようはどう答えていいものやら、さっぱりわからなかった。


 大羿たちは、嫦娥たちが買い物をすませるまで見張っているのだった。

 がしかし、ただの買い物ではない。

 嫦娥は売り主とだべり、サインをもらい、差し入れをして、談笑をしている。


 まさに「女の買い物に付き合う」――いつ果てるとも知れぬ永劫の時間を過ごすことだ――であった。


 申陽は「これが既婚者の力か」と、大羿の根気強さに恐れ入った。

 だが自分は退屈のあまり、また明月鏡をのぞきこむのであった……。


 *


 帝とのデートから戻ってきた金玉は、あわてて居間に向かった。

 乳母が「肝油が旅から帰ってきた」と知らせてくれたのだ。


「久しぶりだな、金玉」

 肝油は、以前とは少し雰囲気が違っているように思われた。

 その憂愁をたたえた瞳に、金玉は少しドキッとした。


「肝油、宝は見つかった?」

「ほらよ、竜の珠だ」

 肝油が取りだしたのは、五色に光る不思議な珠だった。


「わあ、すごい。こんなの本当にあったんだね」

「ああ……」

 肝油は、少し沈んだ顔をしている。


「肝油、なにかヘンだよ。ケガでもしてるの?」

「いや、そうじゃない。ただ……」

 肝油は言い淀んだが、続けた。


「おれが帰る場所は、おめえのところなのかもな」

 そして、金玉をぎゅっと抱きしめた。


「金玉、ただいま」

「お、おかえり。肝油……」

 二人は、再会の抱擁を交わすのであった。


 *


 ――なぜ! どうして! こんなことが!

 おかえりとかただいまとか、本命カップルが言うセリフではないのか。

 きさま、亭主面するんじゃない! それに金玉、なぜそのまま抱かれてるんだ?

 前々から思ってたが、その場の雰囲気に流されすぎじゃないのか! くそっ、一刻も早く帰らなくては……。


「――時はきた。行くぞ!」

 大羿は矢筒をさげ、狙う獲物へと近づいていった。

 申陽は、あわてて後を追う。


「あの、すみません、嫦娥じょうが……」

 大羿は、弱々しい声で妻に声をかけた。


「あ、あなた! どうしてここに?」

 隣の百花は「ああ、嫦娥さまの地上にいる旦那さまね」とすぐにわかった。


「どうしてってことはないけど、たまには食事でも……」

「なぜ、胡美家コミケにいるの? まさかあなたも……お答えください!」


「あ、ああ、それは明月鏡で知ったんだよ。

 嫦娥が『白澤先生にお会いしにいきますわ(≧∀≦)゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*!!』って書いてたから」


「なんですって……」

 嫦娥は肩をふるわせている。


「それと、他にも会場限定サイン本を買いにくると思ったんだ。買えたみたいだね。よかったよ」


「あなた……私のXのアカウント、知ってらっしゃる?」

「ああ、もちろんだよ」

「ピクシブも?」

「うん。パスワードを知ってるから、非公開ブックマークも見てるよ」


「ああ……うおわあああうぅっ! おおうっ……! 私はもうおしまいよ!」

 嫦娥は、いきなり奇声をあげた。

 逢蒙ほうもうとの現場を見られた時より、よっぽど動転している。


「あなた、よくも……よくも見たわね!」

 指の隙間から、らんらんと輝く目でこちらを見ている。


「な、なにかね? 嫦娥は鬼畜陵辱モノが好きなんだろう。しかも救いのない……」


「わざわざ非公開ブックマークにしておいたのに……よくも私に恥をかかせてくれたわね! 死ねえいっ!」


 嫦娥は悪鬼のごとくたけり、するどい爪をひらめかせ、おそいかかってきた。


「いかん、退くぞ!」

 大羿はさっと身をひるがえし、脱兎のごとく駆けだした。


「待てえっ、逃がすものか!」

 嫦娥は髪をふりみだし、恐ろしい形相でせまってくる。


「お、置いていかないでください!」

 申陽は必死についていく。

 

 百花は後から荷物をもって「嫦娥さまー、待ってくださーい」と、えっちらおっちらやってきた。


 以下、次号!

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