70 大羿は嫦娥に不倫され自暴自棄になるのこと

 大羿たいげいは酒瓶をつかんで、自分と嫦娥じょうがのことを語りはじめた……。


 大羿は太陽たちを成敗した後も、数々の魔物と闘った。

 するどい牙をもつ巨大イノシシをたおし、魔性のタカも射落とした。


 その名はますます高まり、おおぜいの弟子をとるようになった。

 その一番弟子の名を、逢蒙ほうもうといった。

 さわやかな美貌で、しかも弓の腕もかなりの実力だった。


 ――ゲイだのホウモウだのいっているが、実際にこう伝えられているので仕方がない!


 ある時、大羿は地上の皇帝から召し出された。

「勇者よ、おまえはこの国に平和をもたらしてくれた。褒美をさずけようと思う」

「いえ、特別なものは何も望みません。私は、ただ妻と静かに暮らせればよいのです」


「そなたの弓の腕は、いまや神仙の境地に達している。

 この後も修行をつめば、いずれは解脱することが可能だろう。

 だが、そなたの妻女は普通の人間だ。このままでは別れ別れになってしまうのではないか」


「お、仰せの通りでございます」

 大羿は妻と離れがたく思った。


「ここに西王母さまから頂いた仙薬がある。これをそなたら夫婦がひとつずつ飲めば、共に神仙となることが可能だろう」


 大羿は帝の恩義に深く感謝して、仙薬を押し頂いた。


 家に帰って、妻の嫦娥にこのことを話す。

 嫦娥はたいへん喜び「まあ、うれしい。二人で一緒に特別な日にのみましょう」といった。


 だがその時、一本の首は火を、もう一本の首は水を吐く、恐ろしい怪物が現れたとのしらせがあった。

「私が行って、やっつけてこよう。薬を預かっておいてくれないか」

「わかりました。あなた、お気をつけて」


 大羿はなんなく怪物を退治し、家に戻ってきた。


 すると、奥から何やら男女の声が聞こえる。

 大羿は「親戚でもきているのか?」と、部屋をのぞくと、一番弟子の逢蒙が、寝台で嫦娥にのしかかっていた。


「せ、先生! お邪魔してます……」

 大羿は黙って逢蒙の首根っこをひっつかみ、壁にカエルのように投げつけた。


「あ、あなたっ……」

 嫦娥の着物は乱れ、あらわになった白い肌には、あちこちに赤い唇のあとがついていた。


 ――国いちばんの勇者が、弟子に妻を寝取られる……だと?

 大羿は、世界がガラガラと足もとから崩れるように感じた。


「あなた、誤解しないで! これには理由があるの!」

 嫦娥が寝台から起き上がろうとすると、彼女は宙にふわりと浮き上がった。


「な、なんだっ?」

「仙薬よ! ごめんなさい、二人ぶん飲んでしまったの」

「ま、待ってくれ!」


 嫦娥の体はふわふわと浮き、窓から出てしまった。

 大羿は妻を追いかけたが、ついには空の彼方へと飛んでいってしまった。


 弓でなら、いくらでも射落とすことができたが、恋女房にそんなことはできない。

 大羿の叫びもむなしく、そのまま嫦娥は月へと飛んでいった。


 それから嫦娥は、ひとり月の都で暮らすようになったとさ……。


 *


「逢蒙のクソ野郎を成敗してやろうと思ったんだが、やつはそのスキに逃げていた……」


 大羿は、今なお、憤懣ふんまんやるかたないというふうだった。


「嫦娥も嫦娥だ。おれたちのための仙薬だったのに。

 どうして二人ぶんも飲んでしまったんだ? まったく……」


 申陽は、さすがに同情の念を禁じえなかった。


「どうだ、これでわかったろう。結婚生活なんてロクでもないんだ!

 婚約者のために、おれの弓を貸してほしいって?

 そいつは今頃、他の男と腰をふってるぜ」


「金玉はそんなことはしない!」


「では、おれが真実を教えてやろう」


 大羿は、部屋の隅のずだ袋から、古びた丸い鏡を取りだしてきた。

 それは直径八寸(約27cm)あまりで、背には、麒麟きりん鳳凰ほうおうの彫刻がほどこされている。


「これはかつて、黄帝こうていが満月の姿をかたどって、たもので、明月鏡めいげつきょうという。

 おれが千変万化するタカの化け物にてこずっていた時、皇妃さまが授けてくれたものだ。

 この鏡には破邪の力がこめられていて、この世のありとあらゆる真実を映し出すのだ!」


 その鏡面は、今なお冴え冴えと光り輝いていて、並みの品物だとは思えなかった。


「この鏡で、おまえの婚約者の姿を映し出してやろう。ふふふ……さあ、何が映るかな?」


 ――由緒ある神鏡しんきょうを、プライバシーののぞき見に使う大羿であった!


 鏡面がさあっと水のように波立つと、ぼんやりと何かが見えてきた。

 どうやら金玉は、兎児といっしょに庭にいるようであった……。


 以下、次号!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る