68 肝油は両手に花を夢見るのこと

 肝油は竜宮城で、夢のような時間を過ごしていた……わけではなかった!


 ――つらいっ……!

 彼は秋の庭で、ひとり懊悩呻吟おうのうしんぎんしていた。


 ――モテる男はつらい! 苦しい! おれはどうすればいいんだ?


 肝油は、香り高く咲き誇る菊花を見ながら、銀明のことを考えた。


 ――いい子だ……!

 やさしくて一途で、ウブで純粋で、それでいて好色で献身的で、なによりおれにベタ惚れだ。


 今は「肝油さまのためにお料理作ってきます」といって、くりやにいっている。


 しかし彼は、金玉のことも忘れられなかった。


 ――金玉は、いったい誰に気があるのかわからないな。

 サルといちゃつきやがって、浮気者め。

 でも、そういうところがそそるんだよな。

 あいつをおれだけのものにして、めちゃくちゃにしてやりたいな。


 まさにろうを得てしょくを望む、である。

 次から次へと新しい国を征服したくなってしまうのだ!


 ――ああ~、二人が仲良くしてくれたらなあ。

 金玉を正妻にして、銀明を妾にするとか。

 銀明が年上だから、あいつが正妻でもいいけど。

 そうだ、おれが地上と海底を行き来すればいいんだ。


 肝油は菊の花を手にしながら「桃の枝も手折りたい」と願っていた。

 夢はでっかく! 両手に花であった。


 ――いや、そもそも、竜宮にきてから何日経ったっけ?

 あの婿取り合戦はどうなったんだ?

 もしおれがこのままここにいたら、棄権きけん扱いされてしまうぞ。


 こう思い至った肝油は、矢も楯もたまらず、地上に帰りたくなってしまうのであった。


 *


「えーと、ちょっと子分どもの様子を見に帰りたいんですが。

 あいつら、パー助ばっかりなもんで、おれがいないと困ってるだろうし」


 肝油は、東海龍王に事情を告げた。


 実際は、将軍職に就いた時に職権を利用して、それぞれに適当な働き口を持たせていたので、何とかなっただろうが。


「おお、それはそれは。

 将軍さまなら、きちんと官を辞してきたいでしょうな」

 

 竜王は、肝油が竜宮城に婿入りするものと決めているようだった。

 まあ、毎晩、銀明と床を共にしているので、そう考えるのは当然だったが。


「それで、竜の珠というのを貸してもらえませんかね?

 実は、おれの母親が、いちどそれを見てから死にたいというので」


 肝油は、自分の親も知らない浮浪児の生まれだったが、言い訳にそういった。


「うむ、では銀明にいっておきましょう」

「すまねえですな」


 肝油の出発を祝う盛大な宴がひらかれた。


 ――その夜。

 肝油がナイトキャップ(寝る時用の帽子)をかぶって、寝台に横になっていると、銀明がいつものように夜伽にやってきた。


「銀明、今日は一人で眠らせてくれねえかな?」

「肝油さま……」

 銀は、思いつめたような声だった。


「もしかして、肝油さまは、地上に想い人がいるのですか?」

「い、いや、べつに……」


「その人、きっとすごい美少年なんでしょうね。

 そして、ぼくよりずっとうまいんだ……」


「ちがう! 金玉は童貞で、何も知らねえよ!」


 ――しまった!

 だが、後の祭りであった。


「やっぱり……」

 銀明は、肝油の隣にすべりこんだ。


「竜の珠は、ぼくが持っております。

 あれは、ぼくの母の形見で、夜にひとりでに光る、不思議な珠なのです」

「そ、そうか」


「肝油さまにそれを差し上げます。だから……ぼくとちぎってください」

「はあ? 毎晩いろいろしてやっただろうが」


「でも、まだしてくれてないことがありますよね……?」

「おい、どけよ」


「いやです!

 地上にいったら、肝油さまはきっとぼくのことなんて忘れてしまう!

 だからっ……」


「銀明」

 肝油は、銀明の頬にやさしく口づけした。そしていった。


「やっぱり、竜の珠はいらねえよ。

 それはおまえが持ってな」

 そして、寝台から出ていこうとした。


「待ってください……あっ!」

 銀明は肝油の夜着の袖をつかんだが、びりっと破れてしまった。


「銀明、幸せになれよ」


 肝油には、盗賊といえども誇りがあった。

 金玉との結婚のために、銀明の貞節を奪うことはできない、と思ったのであった。


 ――今までさんざあれこれしたことはどう捉えているのだろうか?


 肝油は部屋を出て、春の庭で一夜を明かしたのだった。


 *


「まったく! 坊ちゃまを放り出していくなんて!

 どうせ地上のいかがわしい男娼にでもいれあげてるんですよ」

 肝油を送り届けていった亀の執事は、ぷんぷん怒ってる。


「肝油さまをそんなにいわないでよ」


「坊ちゃま、私がつくったウラシマ・エクトプラズムを仕込みましたかな?

 玉手箱をあければ、あらびっくり! あっという間に老いぼれですよ! ハッ、ざまあみろ!」


「そんなことするわけないだろ。竜の珠を入れておいたよ」

「あれはお母さまの形見ですぞ! あんな薄情者にわたすなんて!」


「いいんだ。竜の珠には『持つ者の、本当の恋が叶う』という言い伝えがあるんだ。肝油さまが幸せになってくれるなら、ぼくはそれで……」

「坊ちゃま……」


 *


 肝油は、久方ひさかたぶりに地上に戻ってきた。

 手には、玉手箱を持っている。


 出発する間際、銀明が「お弁当です。食べてください」と渡してくれたのだ。

 腹が減ってきたころ、玉手箱をあけた。

 中には、笹の葉でつつんだちまきと、ちぎれた夜着の袖が入っていた。


「なんだ?」

 袖のなかには、昼なお五色に輝く、ふしぎな珠が包まれていた。


 そして、袖にはこんな詩が書きつけてある。

 

 行行重行行 あなたは遠くへ、遠くへいってしまう

 与君生別離 ぼくとあなたは、離れ離れとなりました


 君恩義深海 あなたがぼくを助けてくれた恩は、海よりも深い

 思君令恋病 ぼくは今もあなたを思って、恋の病にかかっている


 相去奪已盗 あなたはぼくからとんでもないものを盗んでいきました

 其与夜明珠 それはぼくの心です(心を夜明珠やめいしゅ=竜の珠にたとえている)


 勿忘与夜々 どうかぼくと過ごした夜を忘れないで

 霊公迎河呼 河辺で霊公(亀の執事)を呼べば、すぐに迎えに行かせるから


 肝油はそれを読んで、いじらしさのあまり、断袖にぽたりと涙を落とすのであった。


 以下、次号!

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