65 帝は神仙たちを天界に追いやるのこと

 帝と丞相はドネルサンドを持って、老人たちのところに戻った。

 酒を盃につぎ、皿に食べ物をのせて、側においておく。


 しばらくすると、老人たちは酒をのみ、ドネルサンドをほおばりはじめた。


「やつらは碁を打つのに忙しくて、腹が減っていたのではないか?」

「しっ、お静かに! こういう時は黙っておくものですぞ」

 帝はしぶしぶ丞相のいうことに従う。


 ぱちん、ぱちんと碁の音が響く。

 何もすることがない……。


 ――帝は、ついつい金玉のことを考えるのであった。


 そもそも、なぜ余はこのようにバカらしい婿取り合戦に参加しているのだ。

 金玉を押し倒して、そのまま既成事実を作ってしまえばいいではないか。

 そもそも余は初めから、金玉に我慢しっぱなしであったわ。

 あやつを抱いて命が縮まろうが、かまわぬではないか。

 それに寝台で組み敷いて、何もしなかった男/女はあやつが初めてだ!

 なんだというのだ。衆人環視であろうが、余が萎えることなどあるまいに。


 ――およそ、禁欲とはほど遠いことを考えるのであった。


 そして、愚かしい禁欲の誓いだ。

 禁欲でテストステロン値が高まるのかどうか、それさえも曖昧ではないか!

 華駄は、余に控えろといっておった。

 健康にもよかろうかという心はあったが……苛々してたまらんな!

 早く金玉をひれふさせて、前にも後ろにも子種を注いでやりたいわ。

 まったく、余は何をしておるのだ? らしくもない。

 さっさと股をこじ開ければよかろうに!


 ……だって、金玉きゅんに嫌われたくないぴょん☆


 いつの間にか瞑想状態に入っていた帝は、透徹した心理状態で、己の内なる声を聞いた。


 ――まさか、この余が、たった一人の男/女の機嫌を気にしていたというのか?

 この大糖帝国の皇帝が? 余が……そんな……。

 なるほど、そうか。これが恋というものなのだな。


 帝は、己の金玉への恋心を、改めて自覚したのであった。


「ところでなあ、北斗」

「なんだ、南斗」


 老人たちが話しはじめた。


「こんなにも食べ物をもらったんだから、なにかお返しをしないとなあ」

「そうだのう」

「おい、そこの者。名前と年齢は?」

 南斗のほうが、帝にたずねた。


「我が名は張天佑ちょうてんゆう。二十九歳だ」

 帝が親からつけてもらった本名は、けっこう平凡なものだった。「天の助けを得られる」という意味がある。


「なるほど。えーと……」

 南斗は、なにやら帳簿を出してきて、ぱらぱらとめくった。


「ん? おまえは二十九歳で死ぬことになっておるな。なぜまだ生きておる?」


 太上老君の仙丹を飲んだために、死を免れたのだろう。


「二十九歳といっても、二十九歳と十二か月にはまだでございますよ」


 丞相は「北斗は死、南斗は生を司る神だ。きっとこれは寿命に関することだな」と推察し、話をうまい方向に持っていこうとした。


「まあ、そうだの。では、二を三に書き換えて、おまえの寿命を十年延ばしてやろう」


「及ばずながら、私めが筆記をいたしましょう。お着物が墨で汚れるといけませんからな」

「うむ、まかせた」


 丞相は帳簿をうけとり、二の字の上の線を書き足し、間にななめに線を入れ、下が「日」の字になるようにして、無理矢理「百」の字にしてしまった。


 ――よし、これで帝は百十九歳のお命となったぞ!

 

 天下の名宰相にしては、考えることがセコすぎるのではないだろうか?


「では、墨がかわくまでしばらくお待ちください」


「……それより、余は星辰の碁石をもらいたいのだが」

 帝は、本来の目的を忘れてはいなかった。


「それは困るぞ。碁が打てなくなるじゃないか」

 これは南斗である。


「だいたい、碁石なんてどうするのだ。そのへんで買ったらよかろうが」

 これは北斗である。


「結婚相手の親が、星辰の碁石をもってこなければ、結婚は許さぬというのだ」

 帝は正直なところを伝えた。


「フン、どうやらおまえさん、娘にのぼせあがっておるようじゃな」

 北斗は、結婚相手を女だと思い込んでいるようであった。

 まあ、それは当然だが。


「なんだとっ!」


「女の欲望は尽きぬのだ。碁石がほしいといった次は、

 新しい刺繍の靴がほしいだの、ブランドものの羽衣がほしいだの、

 使いもしないホーロー鍋がほしいだの、あれやこれや欲しがるんだ」


「そうそう。結婚前からそんな甘いことでどうする?

 最初が肝心だぞ。茶器セットでも渡して、お茶を濁しておけばよかろう」


 どうやら、これは南斗なりのジョークであるらしい……。

 老人たちは、下らないダジャレでげらげらと笑いはじめた。


 ――帝は、ハタと気づいた。

 そういえば、金玉は余に何もねだったことがないな。


 蓬莱ほうらいの玉の枝でも、火鼠ひねずみ皮衣かわごろもでも、なんだって買ってやるのに。なんと無欲なのだろう。


 それは金玉の望みが「満月の呪いを解きたい」とか、そっち系であったためであろうが。


 ――清らかで美しい心の金玉を愚弄するとは、許せぬ!


 帝はすっくと立って、剣を抜いた。


「どうやらきさまら、人間の運命を司っている神仙らしいな。

 そんなやつらが、酒がほしいだの肉がほしいだの、ワイロを要求するとはな!」


 それは……その通りであった。


「さらに! 職務を放り出し、碁にうつつを抜かすとは何たることだ!

 星々の運行を乱し、人々の運命をもてあそんだ罪は重いぞ!」


「へ、陛下! この碁石は、死と生を表しております。

 彼らはただ碁を打っているように見えますが、

 これは、陰と陽が生成消滅せいせいしょうめつする様子をえがいた、象徴的な設定となっており……」


「ゴタクはどうでもいいっ!」

 帝はさっと剣をふるい、ぶあつい碁盤を真っ二つにした。


 ――彼は文武両道で、しかも禁欲生活でイライラしきっていたのである!


「ひいいっ」

「こ、殺さないでくれっ」

 北斗は、死の神なのに命乞いをした。


「さっさと天界に戻れ! 二度と人間をたぶらかすでないぞ!」


「わ、わかった」

「死にたくない!」

 老人たちは帳簿をもって、ほうほうの態で逃げていくのであった。


「……お、おお! さすがは陛下。これで星辰の碁石が手に入りましたな」

 丞相は、ざかざかと碁石を集めはじめた。


「そんなもの、捨ておけ! 運命は自らが切り開くものだ」

「は、はあ……」


「金玉の愛は、余の力だけで手に入れてみせる!」

「ぎ、御意ぎょいにござります」

 帝と丞相は、早々に都へと戻るのであった。


 以下、次号!

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