47 申陽と肝油は犬猿の仲のこと

 申陽は、己の金玉に対する行いを深く恥じていた。

 

 ――金玉には、もう私のことを忘れてもらおう。そして肝油と幸せになってくれ。

 そんな殊勝しゅしょうなことを思っていたが、やはり肝油を見ると一発殴りたくなってしまった。

 

 ――何かがおかしい……今までの展開で、金玉がこいつに急に惚れ込むようなところがあったか?――いや、ないだろう。常識的にいって。


「さあ、剣をとれよ」

 肝油が剣をつきつけていった。


「おまえなぞ、素手で十分だ」

 申陽はひしゃくを投げ捨て、桶をわきへ押しやった。

 実際、人間相手に負ける気はしなかった。


「へっ、もうおまえに勝ち目はないんだよ。

 金玉の初めてはおれだってことは、くつがえらないんだからな」


 肝油は、申陽を苛立たせるようなことをわざわざいう。


「おまえは金玉の素顔を何も知らないんだ。おれに必死にしがみつく姿、その時の甘い声、欲望にぬれた瞳……」


 ――こいつ絶対殺す、そう思った時だった。


「ぼく、そんなことしていないよ!」

 金玉の悲痛……ではないが、恥じらいのこもった叫びが聞こえてきた。


「金玉……だが、おまえから誘ったといったではないか?」

「え、ええっと、それはその、二人がケンカしないようにって……」


 ――そうか、そうだったのか!

 金玉が肝油とやったかどうかはともかく、金玉から誘ったのではないということに、申陽は曇天から陽の光がさしこむかのような思いであった。


「おらっ!」

 肝油の剣が、眼前にひらめいた――よそ見していたのだから、当然である。あわてて腕で受けとめた。


「なんだ、切れねえぞ」

「そんなもの、私には効かぬわ!」

 ふだんは人間ぶって過ごしているが、やはり化け猿の子孫であった。

 その肌は鋼のように固く、ふつうの刃物など通さないのである。


「ハハハ、見たか。その力。やれい、白猿怪人ッ!」

 李狷が遠くから命令してくる。


「おまえはもう金玉からフラれてるんだ。あきらめたらどうだ?」

 肝油が不敵に笑った。


 確かにその通りである……だが!

 

「略奪というジャンルがあるだろうが!」

「うるせえな。化け物に金玉を満足させられるもんか」


「おや、そうか? 人間の貧弱なモノに負けるとは思えないが?」

「大事なのは固さだろうが!」

 肝油はなぜか必死になって言い返した。 


「もうっ、やめてよ、二人とも!」

 金玉は下品な舌戦をやめさせようと必死に叫ぶが、その声は届いていないようだった。


「争うがいい……私の計画通りだ」

 李狷はにやにや笑っている。


「李狷さんは天界のお役人なんでしょう? どうしてこんなひどいことをするんだよ!」


「きさまにはわからぬのだ」

 李狷は意味もなく、金玉のおとがいに手をかけた。


 いや、意味はあった。

 李狷もまた男色家なのだから……。


「そもそも、桃林の管理人なんて、閑職中の閑職……ボケかけた老人がする職だ。

 私は神農しんのうさまにお仕えしていたんだぞ。

 天帝だの西王母だの、ポッと出の成金新興勢力のくせに!

 さも、昔からいましたみたいな顔しやがって。

 神農さまが生きておられたら、こんなことにはならなかったのに……」


 神農とは、歴史の最初期に登場した、農耕と医療の神さまだ。

 民衆のためにいろいろな食べ物を毒見して、最後はとうとう中毒死してしまった。まれに見る、自己犠牲精神にあふれた神なのである!


 李狷は有力な上司の後ろ盾を失って、つまはじきにされていたのだ。


「私は動植物に詳しいからと蟠桃園の管理人に任命されたんだが、やってられるか。

 そこで私は、勤務時間を利用して白話小説を書きはじめたんだ。


 主人公は、科挙試験を目指す青年だ。

 受験勉強をがんばっていたある日、一人の美少年に出会うんだ。

 青年は美少年に愛の詩をおくる。

 そしたら、美少年から「夜に忍んできて♡」という返事がくるんだ。


 青年は美少年のもとにいくが、叱られてしまう。

『あなたがこんなに意志の弱い人だとは思いませんでした。

 そんなことでは、科挙に受かることなど、到底できないでしょう』とね。


 青年は恥じ入り、美少年の高潔な心に打たれるんだ。

『私はきっと状元(科挙でトップの成績をおさめた者)になって帰ってくる。

 その時には、私と結婚してください』といって、二人は愛を誓って別れるんだ」


「え、えーと、それで……?」

 それは、どこかで聞いたことがある話の寄せ集めのように思われた。


「そこから山あり谷あり、美少年が青年の心変わりを疑ったり、美少年にいいよる恋のライバルが現れたり、青年が上司から、官位をやるからわしの娘と結婚しろと命令されたり、いろいろあるが、ともかくハッピーエンドだ。青年と美少年は結ばれる」


「よかったね」

 金玉は、とりあえずそういっておいた。


「これを、とある出版社に送ったんだがな……」

 李狷の声色が、急に重苦しいものに変わった。


 どんな地獄絵図が語られるのだろうか……。

 以下、次号!

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