45 桃源郷は一夜にして荒廃するのこと

 ――朝の小鳥の声で、金玉はハッと目をさました。


 自分は、兎児といっしょに桃の木にもたれている。

 どうやらここで夜を明かしていたようだ。


 あの五人の老人は……いない。


「ねえ、兎児くん、起きてよ」

「ピョンピョン……? あっ、ここどこだピョン?」


「あの人たち、どこいったんだろ」

「仙人じゃなくて、キツネだったかピョン?

 まあ実害はないみたいだし、べつにいいんじゃないのピョン」


 兎児は適当なことをいっている。金玉の貞操が守られていれば、その他のことはどうでもいいのだ。

 彼らは、ひとまずは村長の家に戻ろうとした。


 だが……。

 村へ近づくにつれて、異様な光景が眼前に展開してきた。


 昨日はあれだけ咲き誇っていた桃の花が、一夜にして枯れ果てている。

 花びらはしおれ、灰色になり、木はたくさんのゴミをくっつけたような格好になっている。


「な、なに……?」

 金玉は、あわてて村長のもとへと駆けていった。


 村長は家の前で、肝油となにやら話し合っていた。

「肝油!」

「おまえ、いったいどこに……」


 肝油の目の下にはくっきりクマができていた。

 金玉を探して疲れ果てたのか、それとも精の出しすぎか。

 おそらく両方であろう。


 かたくなに男を拒む氷のような美少年の心にも、いちもつの……否、いちまつの罪悪感が生まれた。

 

 そして金玉は、昨晩、不倫物語を語った老人の言葉も思い出していた。

 ――彼がどんなにわびしく、つらく、もの狂おしい思いをしているか……。


 うん、ぼくの態度はよくないよね。

 あやまちてはあらたむるにはばかることなかれ――自分が悪いと思ったら、すぐ改善しよう。


「肝油、ごめんなさい!」

 金玉は、がばと肝油に抱きついた。


「急に兎児くんが走り出していっちゃって……

 追いかけてたら、ウサギの穴のなかに落ち込んだんだ。

 そこで不思議なおじいさんたちに出会って、月見のお茶会をしてたんだ。

 でもその人たちはキツネだったみたいで、たぶんぼく、化かされたんだと思う」


 金玉は、あることないこと取り交ぜて、いいかげんな言い訳をこしらえた。


「ぼく、肝油のことが大好きだよ。何度も助けてくれて、本当に感謝してる……ほんとだよ」

 そして、肝油の目をじっと見つめた。

 

 ――金玉は「ぼくの態度はよくない」と反省して、金玉なりに謝ったのだが…… その思わせぶりな態度は、ますます肝油の心を乱しているのではないだろうか?


 さらに、肝油はチョロかった。

「金玉……いいんだ。おまえさえ無事なら」

 そして、朝の口づけをしようとした。


「やだっ……こんなところで」

 金玉は顔を赤らめ、肝油からさっと身を離した。

 ――肝油は好きだけど、でもなぜだか身を任せたくない。


 肝油はそれを聞いて「まったくだ。村長の目があるところで、戯れかかったりして、すまなかったな。また夜になってからにしよう」と、深く反省した。


 両者の心は、ますます深く乖離かいりしていくのであった……。


「――桃が……桃の木が、一夜にしてぜんぶ枯れとるんじゃ。

 この蟠桃ばんとうは、品種改良をくり返して、病害虫には強いんじゃぞ。

 こ、こんなことは……ありえんのじゃ!

 夢じゃ……これは夢に違いない!」


 村長は、メインストーリーに話を戻した。


「ハハハ……どうだ、驚いたか。まったく、どんなことでも起こり得るのだ」 

 物陰から、高笑いを響かせながら、荷を背負った薬売りが現れた。


「あ、あんたは……薬売りの人じゃないか」

 村長は、目を丸くした。


「村長よ。まだおれの正体がわからないのか?」

「なんじゃと?」

李狷りけんだよ」


「えーっと……すみません、どなたでしたかな?

 李陵りりょうさんと李徴りちょうさんなら、知ってるんじゃが……」


「だから李狷だと言ってるだろうが! 本当に覚えてないのか?」

「うーん、わしも年なもんですから……」


「えーい、仕方ないな」

 薬売りは荷物をごそごそやって、中から冠をとりだして、かぶった。


「この冠、まさか見忘れたとは言わせねぇぞ!」


「あっ、あなたは、蟠桃園を管轄する天界のお役人の李狷さま!

 ご連絡していたのに、ずっとナシのつぶてだったじゃないですか。

 どうされてたんですか?」


 村長は見事に、彼の来歴と、彼我の現状を的確に説明した。

 だが、肝油は黙っていられないようだった。


「あのな……べつに、仮面をかぶってたわけじゃねえだろ。

 なんで今まで気がつかなかったんだ? おかしいだろうが」


「フン、世の俗人どもはこんなものよ。

 みな、冠と礼服にしか目がいってないのさ」

 李狷は、自嘲気味にいった。


「李狷さま。つまらないことを覚えないのが、長生きの秘訣でございますじゃ。

 人間、今日の献立と桃の花の美しさがあればいいのです」


 村長は、老荘思想にも通じるようなことをサラリといった。

 が、その言葉は李狷を激昂させた。 


「……それと、桃源郷の人間は、アホばっかりだからな! お気楽極楽で、毛虫ほどの知性もないんだ!」


 もともと李狷は、人から顔を覚えてもらいにくいタイプだった。

 よく行く居酒屋でも、店員が毎回料金システムを説明してくれていた……つまり、誰からも顔を覚えてもらえず、いつまでたっても一見さん扱い……。


 しかし、まさかここまで覚えられていないとは。

 ――李狷のプライドはずたずただった。


「李狷さま。まさか、あなたがこんなことを?

 あなたさまは、天界から蟠桃園の管理を任されておる身でございますぞ。

 いったいどうしてこんな……」


「ハッ、知らざあ言って聞かせてやろう……」

 李狷は、長口舌をふるう気マンマンで、話しはじめるのであった。


 以下、次号!

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