33 金玉は観音さまを伏し拝むのこと

9/10 「32」を一部修正。



「さあどうぞ、こちらへお座りください」


 美しい女人は金玉の手をひいて、

 琴の横にある低めの平たい台の上に、一緒に座った。


「本来なら、ここでどなたかが座って、琴の音を聞いているはずでしたわ。

 だけど、そんな人はもういない……。

 私、たいそうつまらない思いをしていたんですのよ」


「あ、あの……あなたは?」


「私は一娘いちじょうと申しまして、河西の生まれでございます。

 以前は夫がいたのですが、先年、病でみ身罷みまかりまして……。

 未亡人として、わびしい暮らしを送っているのです。

 今、ここにいるのは私と劉婆さんだけ……こんなにも寂しい暮らしったら、ありませんわ」


「そ、そうでしたか。それは大変でしたね」

 金玉は、一娘に手をにぎられたまま、うわずって答えた。


「ぼくは金玉といって、帝に子授けの薬を探すために旅をしています。

 つい、ふらふらと迷い込んじゃって……すみません、もう出ていきます」


「あら。子授けの薬でしたら、私、いいものを知ってますわ」

 一娘は、あでやかにほほえんだ。


「本当ですか! じゃあ教えてください」


「ええ、もちろんですわ。でも、しばらくは私とお付き合いくださいな。

 こんな山家やまがで、人とお話するのも久しぶりなんですもの。いいでしょう?」


 その時、門のあたりでかいだ、素晴らしい香りがふわりと漂った。

 彼女が着物にお香をたきしめているのだろうか?

 金玉はつい、ぼうっとなって「はい」と答えた。


 *


「金玉の熱は、まだ下がらないのか」

 肝油は、申陽に尋ねた。


 金玉が薔薇のトゲで指をついた翌日。

 彼は朝になっても目覚めず、高熱で苦しんでいた。


「おまえが汚い口でしゃぶりまくったからじゃないのか?」

 申陽は、心底、けがらわしいというふうにいった。


「なめときゃ治るっていうだろうが!」


「まあ、言い争っていても仕方がない。

 こんなところにいては、悪くなるばかりだ。

 近くの村にいって、どこか屋根のあるところを借りよう」


 そういうわけで、申陽は金玉をおぶって、人家を探すのであった。


 ――まさか、おれのせいか?

 肝油は金玉に、婆羅門僧がつくったという寝取り薬を飲ませた。

 あれがインチキな毒薬だったなら?

 

 状況的に、最も怪しいのはあの薬だ。

 肝油は青ざめながら、申陽のあとを力なくついていくのだった。


 *


「さあ、お庭で遊びましょうよ」

 一娘はそういって、金玉を中庭に連れていった。


 そこには大きなえんじゅの樹がしげり、枝にぶらんこが下がっている。

 

「私、あれに乗るのが好きなんですのよ」

 一娘はうふふと笑って、ぶらんこに腰かけた。


「じゃあ、押してあげますよ」

 金玉は娘の背後に回ろうとしたが、止められた。


「いえいえ、いいんですのよ。金玉さまは、そちらにいらして。

 そう、そこですわ」


 一娘が指定したのは、ぶらんこの真正面だった。

 金玉は「なにかな?」と首をかしげたが、そこまで気にしなかった。


 一娘は自分でぶらんこをキィキィこいでいく。

 だんだんと振り幅が大きくなってくる。

 赤い衣が風にたなびき、天女の衣のようにゆれていた。


「それっ」

 娘が大きく漕ぐと、裳裾がはだけ、陽の光の下に、白い足があらわになった。

 そしてその奥のくらがりには……。


 ――この時代、パンティというものはない!

 当然のことながら、金玉の目は、神秘の揚子江デルタ地帯に惹きつけられてしまうのであった。


 金玉は棒のように突っ立っているほかなかった。


「あらっ」

 娘は、片方の靴を、ぽーんと飛ばしてしまった。


「とってくださる?」

「は……はいっ!」

 金玉は忠実な飼い犬のように、すっ飛んでいった。


 小さな靴をひろいあげて、ぶらんこを止めた一娘のもとに戻る。


「お願いしますわ」

 一娘はすんなりとした足をまっすぐ伸ばして、それから足を組んだ。

 もはや太腿のあたりまで、裳裾がずりあがっている。


 金玉は何もいえず、顔を真っ赤にして、ひざまずいて靴をはかせた。

 そのすねの美しさは、伝説の宝石、羊脂玉ようしぎょくのようであった。


「ねえ、金玉さま……」

 一娘は足をぶらぶら揺らせてから、高く上げ、ゆっくりと組んでいた足を元に戻した。


 ――かくして金玉は、白昼堂々、観音様のありがたいお姿を拝むこととなったのである。


「ふう……少し疲れましたわ」

 彼女は立ち上がったが、はだけた裳裾を直しもしない。

 また見えそうだ。


 金玉は棒を立たせて一歩も動けないでいた。


「どうなさったの? お立ちになったら?」

 もちろん、言われるまでもなくそうなっていたので、金玉はずりずりと角度を変えて、一娘に背を向けて立ち上がった。


 すると、急に一娘は「ああっ」と小さく叫び、金玉のほうに倒れかかった。

 背中にぎゅっとやわらかいものが押しつけられる。

 もはや棒立ちである。


「い、一娘さん……」

 彼女の馥郁ふくいくたる香りが漂ってきた。

 

「ちょっと眩暈めまいがして……お部屋につれていってくださいません?」

 そういいつつ、一娘は金玉の背にすがるのであった。


 

 なんだこれは? 童貞の妄想か?

 それとも、婆羅門の秘法の副作用か?


 待て、次回!

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