14 香月は悲しみのあまり、病を患うのこと
――場面変わって、ここは金玉の実家。
「げほっ、げほっ……」
金玉の母、香月は、昼間から床に
息子が誘拐されたと知って、気落ちのあまりに病気にかかってしまったのだ。
「おまえ、大丈夫かね」
耐雪は妻に寄り添って尋ねた。
息子は行方不明、妻は病気、乳母は鬱状態……家のなかは、火が消えたような状態だった。
「金玉のことは役所にも訴えたし、懸賞金もかけている。
きっと情報が入ってくるさ」
「そんなこと言ってるうちに、とうとう今夜は満月よ!
あの清らかな子が、むさくるしい男の胸板におしつぶされて、純潔を失ってしまうのよ。
何ということかしら……私が結婚話を勧めなければ……」
「香月、落ち着きなさい。
金玉はさらわれたが、盗賊は決して金玉を殺さないだろう――なぜって、あの子はモテるからな」
それが
「ええ、そうね……きっとあの子はきっと生きている……しっかりしなくちゃね。
あなた、私の大好きな本を読んでちょうだい」
「うむ」
耐雪がとりだしたのは、呉承恩の『西遊記』であった。
「ああ、やっぱり西遊記に勝るものはないわ。
清らかな美形の高僧である三蔵と、異形の弟子たち。
三蔵は、弟子たちに
猿が、ブタが、お師匠様をほしいままにするの!
流沙河の化け物は、原作ではいつだって存在感ナシですからね。特に何もしないで、後ろで見ててもいいわ。
お経を唱えながら、じっと耐える三蔵。
だけどいつしか、肉欲のとりこになってしまうの……どうかしら?」
――どうもこうもなかった。
「ああ、今度の新刊はそれで決まりだな」
「そうね……ごほっ、ごほっ」
香月は、口から赤いものをドッと吐いた。
「あ、ああっ……香月!」
「あら、これは
薬屋さんが、気つけ薬になるからって、持ってきてくれたの」
檳榔とは、亜熱帯地方に産するヤシ科の植物である。
噛みタバコとして用いられ、酩酊作用がある。
噛んでいると、真っ赤な汁が出てくる。
「そ、そうかい……でも、もう休もうか。
西遊記なんて読んで、興奮してはいけないよ」
香月は薬湯をのみ、寝台で目を閉じた。
やがて満月がのぼる頃、こんな声が聞こえてきた。
「香月よ、何を迷う。西遊記といえば、三蔵
枕元に月光が差し込み、美しい女人が立っている。
「そ、そうだわ……原作では、徳の高い三蔵の肉を食べようと、あらゆる妖怪が彼を狙うの。
そして
まさしく三蔵総受けですわね!」
そこまでいって、香月はハタと気づいた。
カップリング談義をしている場合ではない。
「嫦娥……さまぁ……、あなたの呪いのせいで!
私の息子が盗賊にさらわれてしまったじゃありませんか。
どうしてくれるんです!」
「まあまあ、安心するがよい。金玉は生きておる」
「本当ですか! ……でも、きっとひどい目にあってるんでしょう?
両手両足を切断されて、男たちの便所代わりになっているとか……」
「いや、未だ三蔵と同じ身であるぞ」
それはつまり、一滴も精を地にこぼしておらず、
前も後ろも清らかであるという意味だ。
「えっ、そうなんですか……あの子、自分でもしていないの?
ちょっと厳しくしつけすぎたかしら。心配だわ」
香月は、自分の教育が悪影響を与えたのではないかと不安になった。
同人誌はすべて厳重に隠していたのだけれど……。
「案ずるな。すべては天帝の定めたもうたことだ。
いつか金玉は、赤い縄で結ばれた相手と出会えるだろう」
「そ、そうですか……なら、安心ですけれど。
じゃあ、私と夫は、いつ金玉と会えるんですの?」
「それはまだまだ先の話じゃ」
やがて朝がきて、目覚めた香月は、少し顔色が良くなっていた。
「馬……! そう、三蔵が乗る馬のことを忘れていたわ。
あれは龍が化けたものなのよ。龍と馬……どっちでも美味しいわね。
でも、馬のほうがいいかしら。馬並みっていうしね。
次の新刊には、馬はぜったい登場させたいわ……」
香月の
観世音菩薩ですら、彼女を魔道から救うことは
果たして香月は入稿できるのか?
――以下、次号!
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