モヒート
レイたんは異常なほど痩せていた。その身体は女性らしい丸みなのか、それともアルコールによるむくみなのか(おそらく後者であろう)が見ようによっては見つけられるレベルであり、ショートカットに少しこけた頬、顔色の悪さを化粧で誤魔化し、服を脱げば骨に皮膚が張り付いているかのような体型だった。
「乳房と呼ぶには房に失礼だよな」
私はレイたんの乳首を手の中で転がしながら読書に励み、レイたんはレイたんで私の息子をいじりながら酒を飲んでいた。
「お前のチンコも棒と呼ぶには短すぎるがな」
と、レイたんは言っていたけれども、果たして私の息子は小さいのだろうか。わからない。当社比としては普通。誰かとマジマジと見比べたわけでもないので大きさの比較はわからないのだけれども、この女の男性遍歴がまともなわけがない事は察せられたので黙っていた。むしろ、女にモテていたのではないだろうか。外見だけならボーイッシュ、もしくは王子様と呼んでも差し支えない。ただし、私と付き合っていたころには隠し切れないほど病弱さも見せており、触れるだけで壊れてしまうかのような危うさが人を一定の距離まで遠ざけていた。
レイたんは私が人生で初めて知り合った本物の酒カスであった。私の父親や祖父も酒癖が悪く、深夜まで飲んでいた父親から意味不明な説教を毎日浴びせられたものだが、レイたんの酒カスっぷりはその比ではなかった。
この女は水分をアルコールで消毒しないと気が済まないのか、と思うほど全ての飲み物にアルコールを混入させていた。例えば、カフェでコーヒーを飲む。そこで席に着いて鞄から小さめの魔法瓶を取り出して、そこに入っているウイスキーをコーヒーに混ぜて飲んでいた。いわゆるアイリッシュコーヒーと呼ばれるカクテルである。アイリッシュコーヒーならまだ良いかもしれない。この酒カスは店で出されたお冷ですらこれと同じように酒で割って飲んでいた。
私は生命の危機を感じていた。こいつと生活を共にしていたら私が先に死ぬ。食べた料理が吸収される前に便所に流される日々が一週間ほど続いていた。だから一つ提案をした。酒は良い。いくらでも飲んで良い。ただ、私とはカクテルを飲もう。そうして下さい。と土下座する勢いで願い出た。
レイたんは最初拒否した。カクテルなど邪道、と言った旨の事を前のめりで言っていた。シャツからのぞく胸板の絶壁に感慨を抱くことはなかった。レイたん曰く、せめて自宅では酒は割りたくないのだと。気持ちはわかる。私も当時は同じ考えだった。しかし、私とレイたんは酒に対する考え方が違っていた。私は煙草のあてに酒を飲んでいたのだ。辛い酒をちびちび舐めながら煙草を吸うのを唯一の楽しみとしていた。一方のレイたんは酒をひたすら飲む。飲み続ける。アルコールなら何でも良いかの如く飲む。そして、食べない。悪酔いすると、言ったことはないけれども思っていた。ぶっ倒れるまでひたすら酒を飲む女だった。
私はこのレイたんの生き様に嫉妬していた。この時の私は、『東電OL症候群』という本に書かれていたことを思い出していた。著者の佐野眞一氏曰く、女性に比べて男性の堕落は浅いのだと坂口安吾の『堕落論』を引用して述べていたことをレイたんを通して実感していた。絶壁と呼ぶのも烏滸がましい、荒れ果てた大地のようなレイたんの胸板を見るにつけて、この女は今を生きるのに最低限の機能の身体をしているのだな、と怖れと共に嫉妬した。みすぼらしく使い道もないこの命にすがっている私に比べて、なんと高潔な生き様なんだと思っていた。
まあどんなにレイたんの生き様にあこがれようが死ぬ方が怖かったので、カクテルを飲もうと説得した。なぜカクテルなのか。いくつかのカクテルには悪酔いを防ぐために作られたものがあり、それを飲むことで自分の悪酔いを防ごうと企図したのだ。具体例としてはギムレットがそれにあたる。
初めて作ったカクテルはモヒートだった。ホワイト・ラムにライムジュースと砂糖、ミントに炭酸水を混ぜるこのカクテルは夏の定番でもある。冷蔵庫で冷やしたグラスで飲むモヒートは体に染みる。この頃の私はレイたんの身体を求め続けた。セックスを覚えたてということもあった。しかし、それ以上にレイたんを壊したかったのだ。1Kの安アパートの、布団と冷蔵庫と積まれた数冊の本しかない部屋で私はレイたんを犯すのに夢中になっていた。浮き上がっている肋の骨に手を触れる。乳房などという高尚なものは存在せず添え物のごとく乳首が鎮座している胸部から下へと掌をずらす。腹はわずかな脂肪と筋肉がまだ感じられた。その為かレイたんの腹は醜く飛び出すこともなく引っ込んでいた。それから申し訳程度に恥丘を嘗め回し濡らしてから私自身をその狭い洞窟へと突きこんだ。そこからは本能のまま動いた。レイたんの身体を床に打ちつけるように腰を突く。シャツを口に押し込み痛がる声を消す。壁に押さえつけ後ろから犯す。といった具合だ。行為が終わるとドロドロの汗まみれになっていて、身体のあちこちで打身やら畳の痕が出来ていた。それを無視して捨て置いてある、当時は新品だった、バーテンダーズマニュアルを片手で開いてモヒートを作った。
冷蔵庫からグラスを取り出す。うっすらと水滴が付き始めたそれにラム酒とライムジュース、炭酸にミントを入れてマドラー代わりに箸でかき混ぜる。レイたんに渡すと私の分が出来るのも待たずに一気にモヒートを飲み干した。それから私の分のモヒートも奪われて飲まれてしまった。レイたんはグラスの雫で濡れて冷えた手を私の首元にペタッとつけて、「気持ちいい?」と言って甘えるかのように体を寄せてきたが、当たるはずの胸がそこにはなかった。「冷たい」と私はぶっきらぼうに答えた。自分の分を飲まれて腹が立っていたし煙草が吸いたかったからだ。マイルドセブンに手を伸ばして一本咥えた。
この日以降、行為の後にモヒートを飲むのが定番になり、レイたんから「モヒートが飲みたい」なんて言ってきたこともあった。私はなかなか気の利いたセリフだな、と思って聞いていた。
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