カクテル・バディ
あきかん
大信州純米吟醸辛口 火上
おっぱいさえあれば良い、なんて奇特な方も世の中にはいるらしいけれども、私個人としてはおっぱいは無用な物だと考えている。こと最近は、おっぱいに注目し千差万別津々浦々なおっぱいを観察し続けてみたものの、やはり人間はシルエットだとの思いを強くするばかりである。臓腑や骨肉を感じる胴体、繊細な動きを司る手先や力強い躍動感を秘めた脚部など、人体には魅力的な部位が多いわけだが、おっぱいは無用だ。
あの脂肪の塊にどんな魅力があるというのか。カニバリスト佐川一政はおっぱいのステーキを食べたらしいが、私は赤身が好きだ。脂質よりたんぱく質。プロテインこそ最強のサプリメントである。考えてみてほしい。チンコが突くのは内臓の膣である。真の快楽は堕落した脂肪の塊ではなく、熱い血潮で脈動する臓腑にある。
といった具合の思考になるように調教された過去があるのだけれども、それはそれとして、私もこれまでおっぱいを愛でて来たわけで、私が触れたおっぱいと共におっぱいへの愛を思い出していこうと思う。
初めてのおっぱいは当然母親のそれである。マザコンである私は、母のぜい肉を愛した。おっぱい、二の腕、太もも、腹回り。自らのぜい肉すら嫌悪する私にとって、母のぜい肉は唯一愛した脂肪と言って良い。
時は流れて、別のおっぱいを愛したのは二十半ばを過ぎてからだ。今から思えば非常に膿んでいた時期だったと思う。あらゆる物を斜に構えて堕落の限りを尽くしていた。神保町へ行っては本を売り、その軍資金で本を漁る。僅かなバイト代は酒と煙草と本に消えていった。
明日のことなど考えないその日暮らしに憧れて実践していたつもりだった。そして、この自堕落な生活を続けていた頃には相方がいた。
名は覚えていない。きっと向こうもそうだろう。私たちは互いにレイたん、マーくんと呼称していたのだけれども、それは互いの本名とは1文字もかすっておらず、私はレイモン・ラディケから取って彼女をレイたんと呼んでいた。当時の私は「道化師の楽屋ほど、厳粛で純潔なものを、ぼくは知らない」というレイモン・ラディケの言葉を自身の自堕落さを肯定する為に用いていたもので、全くこの言葉が意味するところを理解していなかった恥ずかしい男であったのだが、そんな駄目人間の自分に、なんら面白くもカッコよくも無い自分と、意気投合した、もしくは引かれあった奇特な人間と知り合うことになった。
レイたんは、友人が所属していた小劇団の打ち上げで飲み屋の隅で酒と煙草を飲み続けていた時、気がついたら隣に座っていた。
レイたんは酒カスだった。私が一人で飲んでいた純米吟醸辛口火入の徳利とお猪口を奪ったレイたんは、「美味しい!」なんて言うものだから、酒を奪われたのも忘れて、「そうだよな!純米吟醸の辛口は珍しいんだよ。お前はものがわかるな!」と私は興奮気味に話し掛けた。
童貞を拗らせていた当時の私だったけれどもレイたんとは気楽に話せた。何故ならば、私はレイたんを同性だと思っていたからだ。その性格とは裏腹に自己主張の全くない乳。竹を割ったような胸板に私は安寧の地平を見つけたのだ。
私とレイたんとの初邂逅はこうして始まった。出来上がっていた私は一次会終了間際に、レイたんとカラオケ行こうぜ!という話になってそれを了承。私の友人と友人の友人、レイたんとその友達2名でカラオケ店に場所を移した。
他人のふんどしではあるが、我が友人は歌が上手い。素面でレ・ミゼラブルを歌う変人である。その日も友人の十八番のレ・ミゼラブルを開口一番に歌い始めた。回りは驚く。よしよし、と思いながら私は1人で焼酎の水割りとツマミを口に運ぶ。割り勘なのだから少しでも飲んで食おうという浅ましさをこの頃の私は隠さなかった。
しかし、直ぐに私は驚かされる。レイたんがレ・ミゼラブルを歌い始めたのだ。しかも友人と張り合う、いや凌駕する声で歌っていた。
何だコイツ??
と、私は思った。回りの人間はさも当然といった様子である。何だ?何だ?と思っていると、次々と変わっていく曲と歌い手が異様に上手い。いや、歌の上手さは私にはわからないのだけれども。
「ほら、あんたも歌いなよ」
と、レイたんがカラオケの操作パネルを私に押し付けてくる。
「そうだ!そうだ!」
と、友人が合いの手を入れてくる。
私は音痴であった。人前で歌うことを至上の恥としていた。しかし、私は人の誘いを断るほど野暮な人間に徹する事もできなかった。
そこで当時実写化されたデトロイトメタルシティの『SATUGAI 』を歌った。
殺せ!殺せ!殺せ!殺せ!
と声を張り上げる。この世の全てを恨み妬みながら叫び続けた。そして、私はこのカラオケ店で記憶を失った。恥ずかしさを隠すために酒を飲み続けたからだ。
記憶は無くとも身体は動くもので、目を覚ますと隣にはレイたんが寝ていた。
頭痛が痛い。
と、心の中で現状を把握しようとしたつもりだったが駄目だった。アルコールが抜けていない。二日酔いが酷い。重言をしてしまうほどの苦しさがあった。
捲れた布団から見えるレイたんの胸はやはり平であった。それはまだ男の自分の方が膨らみがあるのではないかと思うほど肋骨が浮き出ており、寝息と共に上下する胸を見つめながら私は
女とやる前に男とやってしまったのか
と絶望の縁に追い込まれながらも立ち上がった。回りを見渡すと自分の部屋ではあった。気がした。
「おはよう」と口にしたレイたんが起き上がる。布団から這い出て来た彼女の下半身にはあるべき物が無かった。互いに真っ裸だった。こちらに向けられたレイたんの尻の割れ目を辿り、僅かな膨らみと申し訳程度にそこを覆う毛髪とその膨らみに刻まれた一筋の切れ目から目が離せなくなる。心は未だ童貞であったのだ。
「何か飲む?」と、聞いてきた丸いお尻に向かって、私は臓腑が暴れまわるのを精一杯抑えながら何とか声を絞り出した。
「トイレ……」
僅かな振動も命取りになるのは経験上わかっていた。身体が目覚め胃が既に消化した異物を吐き出そうと活動を再開する。ドアを締めるのも忘れてトイレに顔を突っ込む。アルコール臭のする胃液を吐き続けた。
「なんか申し訳ありません。醜いところを……」
「互いに裸を見せ合った仲じゃん。それより冷たいモノでも飲む?」
と言ったレイたんを私は生涯忘れる事はないだろう。私の冷蔵庫を自分の物であるかのようにあさり、取り出してきたのは発泡酒。いわゆる第三のビールの缶だった。
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