第10話 ロドリゴの回答
何を考えているかわからない、無表情のロドリゴだったが、一方でさゆりは彼の重たい瞳の奥底で、何かが動いたように感じた。
その「何か」が動いたその瞬間に、キラッと輝く光をさゆりは見逃さなかった。
ロドリゴはしばらく沈黙し考えていたが、突然にやりと笑った。
そして柔らかい口調で言った。
「いや!意地悪いことを言って悪かった。なるほど。
君を見ているとあの物語の吟遊詩人を、つい思い出してしまうよ。
君は人生を賭けて、自分の力量を知るためにここに来たんだね。
まさに吟遊詩人そのものだ。
そうなるとさしずめ私はヤマネコ貴族のような化け物かな」
「先生はヤマネコ貴族ではありません!芸術を生み出す側ならまだしも、味わうだけのヤマネコ貴族とは似ても似つきません」
そういってさゆりは慌てて否定した。
ロドリコはさらりとその言葉を受け流す。
「そうか。そう言ってくれてうれしいよ。
…さて、それでは君からのお願いについて応えようか。そうだな、私から言いたいことは三つある」
そういって、ロドリゴは指を3本立てた。
さゆりは緊張したように体をこわばらせる。
「ひとつ。まず、きみのその小説は読もう。
個人的にも、君が書く物語には興味をそそられる。
そして、その物語の評価は君と君の親の関係にかかわらず、正直に言わせてもらおうか。
君は何よりもそれが目的で来ていることになっているからね。
そうしないと不自然で、君にとっても不都合だろう。
そして正当な評価こそ、君が本当に欲しているものだとも思うんだ。
しかし、もし君がそれが嫌だというなら、私は君の小説は読まない。
君とは何にもなかったことにして、このままお帰りいただこう。
君もいっぱしの小説家ならおべっかほど嫌いなものはないはずだ。
この点は、同意いただけるね?」
そうロドリゴが言い、チラリとさゆりをみた。さゆりは素早くコクリ、とうなずいた。
ロドリゴはそれを確認するとすぐに話を続けた。
「ふたつ。残念ながら、私の名前を使って君がお父上と話し合いをすることは辞めてもらおう。
私のあずかり知れぬところで私の名前を使われるのは、ややこしいことになりかねない。
君の父上は私の友人でもあるが、大事なお客様でもあるのだ。
関係に支障が出てしまうと、私は大いに困る。
心苦しいが、理解してくれ」
さゆりは、がっくりした。
すぐに説得しようとさゆりは口を開きかけたが、ロドリゴは自らの口に人差し指を当て「静かに」の仕草で諫めた。
最後まで聞きなさい、と言いたいのだろう。
さゆりが口を閉じると、ロドリゴは続けた。
「みっつ。とはいえ、君に全く協力しないわけではない。
君の気持ちはとても共感できる。
創作物を生み出すものとして、君の自由への渇望はあってしかるべきだと思う。
君の小説の出来云々は抜いておいて、私は私のできることをしよう。
お父上の『友人』として、やれることをしよう。
すべて君の思いどおりにするのは難しいだろうが、やり方はここにいる大人に任せておいてほしい。
だが、君に悪いようにはさせない。そこは固く約束しよう。
さて、それらが私が君にできることだ。
この条件の上で若い吟遊詩人さんは君が持つ芸術を、このヤマネコ貴族に見せてくれるかい?
もちろん、この最終的な決定権は君が持つのだ。君が決めてくれ」
そういって片目を瞑ってウインクをした。
それは、あの時のさゆりを慰めた仕草そのものだった。
さゆりはその懐かしさで気持ちが大いに和らいだ。どうやらなにかしらロドリゴは、行動してくれるみたいだ。
本当に信頼していいか、全く迷わないわけではないがこの人に一度委ねてみよう、とさゆりは思った。さゆりは決心し、ロドリゴに原稿の束を差し出した。
「お願いします!先生、ぜひ率直な意見を聞かせてください。
実はこれは先ほども触れた『吟遊詩人とヤマネコ貴族』の続きなのです。
本当に書きたい物語は長編で、すぐに全てを用意することができなかったので、代わりにずっと空想していたこのおはなしの続きを書いてみました。
これは、私が自分の為に書いた先生の物語なんです。
だから、これは他の誰かに見せるつもりもありません。
いわば、先生だけが読者の物語です」
「なるほど。私への
洒落たことをしてくれるな。どれ、読ませてもらおうか。
少し時間をもらいたいが、その間君はどうする?」
「先生が目の前で私の物語を読むなんてなんだかくすぐったいわ。
とても耐えられないですから、ハナと母が用意した宿に荷物をおきにいこうと思います」
そう言いながら、さゆりは落ち着かない様子で椅子から立ち上がった。
「そうか。それならここにもう一度戻るのも億劫だろう。
長旅で疲れているだろうし、君がここに感想を聞きに来るのは明日でもいい。
今日はゆっくり温泉にでも入って、体を癒したまえ」
そういって早速ロドリゴはおーい!と女中を呼んだ。
ハナといっしょにさゆりが宿へ帰る旨を伝える。
さゆりはハナと帰り支度をしながら、ふと思い出したことをロドリゴに告げた。
「そういえば先生、伝え忘れていましたが実はこの小説はまだ完全に完成していないんです。
最後、いろいろ考えたんですけど一つだけ決めきれないところがあって。
その部分は今、この原稿には〇〇とだけ書いてありますの。
ある登場人物の名前なんですが…よろしければ、先生が名付け親になってくださらないかしら。
これは先生が始めた物語ですもの。
きっとその登場人物も先生に名前を付けてほしいと思うんです」
そうさゆりが伝えると、ロドリゴはうなずいた。
さゆりはそうしてロドリゴの家を出た。
母が用意した宿は丘の下の小さな町の中心にある。
行きに息を切らして上った丘は、帰りは苦労せずに下ることができた。
さゆりの気分はとても穏やかであった。
さゆりたちが家を後にすると、ロドリゴは書斎でひとり物思いにふけっていた。
さゆりはお嬢様として申し分がないほど成長し、気品にあふれ奥ゆかしく控えめだ。
だが、物語への情熱は人一倍にあるのだろう。
物語のことを語る彼女は、この上なく生き生きとしていた。
まさか自分が気まぐれで始めたあのおはなし会が彼女にとって一生の思い出になっているとは、人の生とはわからないものだ。
そして、彼女は自分の現実とやりたいことに丁寧に向き合っている。
現実にできることとできないことを分け、着地点を予測し、自分の人生を少しでも実りあるものにしようと全力を尽くしているのだ。
そして、その気概とやる気には舌を巻く。
もしかしたら、それは永遠に近い時を過ごすだけの自分にはもうできないことなのかもしれない。
それは若々しくどこか必死で、それでいてかけがえのない時間…。
人によっては、これをまさしく「青春」と呼ぶのかもしれない。
そして、永遠の中を惰性で生きる私がそんな日々を過ごすことは、きっともう来ないのだ。
とはいえ、小説は純粋な気持ちだけでは書けない。
小説とは筆者の直観と経験による発想、そして細かい部分に宿る文章のリズム感が幾重にも重なってできる芸術作品だ。
特にひとつの世界を描く筆者の経験は、深く文に反映される。
まだ若く経験が乏しい彼女にとって、書ききれるのは、子どものときの記憶を最大限生かせる童話くらいだろう。
ロドリゴは意地悪くもそう思ったが、深呼吸し思い直すことにした。
おそらく、これは嫉妬だ。自分の持たざる情熱を見せつけられて、老いた小説家がその真価も見定めずに、ちまちまと文句つけているに過ぎない。
さて、文句をつけるならきちんとこいつを読んでからにしよう。
それが正当な経験豊富な小説家の在り方であり、ヤマネコ貴族であるおれの役目だからだ。
ロドリゴはさっそく彼女の原稿に目を落とした。
―こうして、彼が見捨てた彼自身の物語が、もう一度さゆりの文体で蘇ってきたのだ―
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