第13話:おねだりをしました

「鹿肉が食べたいです」


 寝間着に着替えてベッドの上で正座をするクレアを、アーロンがまじまじと見つめた。


「おまえ……」

「わかってる! わかってるよ!? 王子って忙しいんだよね! でも、私、どうしても明日鹿肉が食べたいの!」

「……」

「煮込みもいいんだけど、あの野性味のある鹿の肉をガツンと焼いて、ベリーのソースを合わせたいのよ! あ、よだれが」


 想像するだけで口の中に唾があふれる。

 アーロンが額に手を当てる。頭痛がするのか、顔をしかめた。


「おまえ……王子のいるベッドの上で愛人が出す話題か、それが……」

「いや、だってあんたにも予定があるでしょ? だから早めに言ったほうがいいかな、って」

「……」

「だいぶ勝手もわかったし、もしあんたが手が離せないなら近衛騎士団を借りてサクッと鹿を狩ってくるから!」


 今日のウサギ狩りのとき、遠目に鹿の姿が目に入った。


(今日と同じ辺りに行けば、きっと鹿と出会えるはず)


「……俺が行かなくてもいい、というわけか」

「うん! 近衛騎士団がいれば護衛としては充分だし、あんたも見張りがいるなら安心でしょ」


 アーロンが苦虫をかみつぶしたような表情になった。

 はあ、っとため息をつく。


「……俺も行く」

「そうなの!? まあ、ついてきてもいいけど」


 また頭痛がするのか、アーロンが顔をしかめてため息をついた。


         *


 翌日、クレアはアーロンと共に小隊を率いて鹿狩りに出た。


「えっと、鹿を見つけたら追い立てて、ポイントにおびき寄せてほしいんだけど」

「おまえ、一撃で仕留める自信はあるのか」

「あるよ! 任せて! あ、追い出しが難しいなら私が……」

「それくらいできる」


 アーロンがむっとしたように答えると、ケネスたちを相談を始めた。


「では、クレア様はそちらの斜面の上で待機していただいて、私たちが獲物を追い込みますので」


 ケネスの言葉にクレアはうなずいた。


「ありがとう。よろしく」

「では、アーロン様はクレア様とご一緒に。行ってきます」


 結局、気を利かせたケネスが、五人引きつれて鹿を探しに行ってくれた。


「私が仕留めるから! アーロンはのんびり座ってて!」

「なんでそんなに楽しそうなんだ」

「えっ、だって、お肉だよ?」

「食い意地か」

「それに……喜ばれるし」

「……」


 実家では、なかなかいい肉が食べられなかった。

 そんなとき、獲物を持って帰ると大喜びされたものだ。特に鹿のような大きな獲物だとなお良い。

 だから、クレアは弓の腕を磨いた。

 正直、令嬢の手とは思えないほど傷だらけだが、パーティーの時は手袋をすればいいので気にしなかった。


「そうだな。自分の食べるものを自分で取るのはほまれだな」


 アーロンがぽつりと言った。


「でも、あんた王子でしょ? 食い扶持ぶちに困ったことなんかないんじゃないの?」


 アーロンが苦い笑みを浮かべる。


「俺は15歳で城を持った。自分だけでなく、ついてきてくれた騎士や使用人たちを食わせなければならない。毎日狩りに出たよ」

「そうなの!?」

「ああ。城だって大きくしていなかくちゃならないからな。いつも金がなくて、腹をすかせていたよ。あいつらにも苦労させた……」


 アーロンが少し離れた場所で辺りを見張っている騎士たちに目をやる。


(意外……でも、同じ王太子といってもウィリアム王子とは全然違うわ。あの方はずっと王城で国王夫妻に甘やかされてきているし……)


「来たぞ!」


 アーロンの押し殺した声に、クレアはハッとして弓を構えた。

 ひづめの音が近づいてくる。

 クレアは矢をつがえた。

 斜面の下を駆けてくる鹿が見えた。


「っ!!」


 クレアが放った矢は、見事に鹿の首を貫いた。

 たまらず鹿が横倒しに倒れる。

 追いついたケネスたちが斜面を見上げてくる。


「クレア様、お見事!」

「夕食は期待してて!」


 どっと笑いが起きたときだった。

 ヒュッと風を切り裂く音がし、クレアの顔の横を矢が通過していった。


「っ!! 敵襲!!」

「王子、伏せてください!」


 護衛がアーロンを抱きかかえるようにして地面に押し倒す。

 クレアも身を伏せた。


(狙われたのはアーロンなの!?)


「ケネス! 南東の方向だ!」


 アーロンの声に、ケネスたちが馬を走らせる。

 居場所がバレたことに気付いたのか、追撃は来なかった。

 クレアはそろそろと身を起こした。


「大丈夫? アーロン」

「ああ。慣れているから平気だ」

「え?」

「いつも命を狙われている」


 そう言うと、木に突き刺さった矢を引き抜く。


「……やはり身元がわかるようなミスはしていないか」

「見たことのない素材ですね」


 矢を渡された護衛が落ち着いた様子で話す。

 まるで日常茶飯事のように。


「誰に狙われてるの? もう戦争は終わったのよね?」

「他国との争いは、な」


 アーロンがにやりと笑う。


「俺は王位継承権第一位の王子だ」

「まさか、身内が……? 王位を争っているの?」


 アーロンが肩をすくめる。


「どこの国にもあるだろう。派閥争いは。自分が推している人間を王位に就かせたいのさ。もしくは、自分が王位に就きたい」

「……」


(そうか、ようやく戦乱が終わったところのような政情不安定な国では、国家転覆を狙う者も出てくる……)


 血なまぐさい歴史を肌で感じ、クレアはぞっとした。

 そんなクレアにアーロンはフッと微笑んだ。


「ロキシス王国ではあまりないか」

「昔はあったみたいだけど、今は安定しているから……」

「そうか。では驚いただろう」

「そうね」


 アーロンは話しやすいし、気を遣うようなこともない。

 だが、彼も紛れもなく王族なのだと実感した。


(そういえば、ウィリアム様もカリカリしていたな……)

(暗殺なんかは起きなかったけれど、第2王子を推す派閥が仕事を邪魔したり、下げてきたりしていたな……)


「犯人、捕まえられるかしら」

「難しいだろうな。前回、捕らえたから、今回はすぐに逃げたようだ」

「捕まえたの!? 誰の手先だったの?」

「吐かせる前に自害した」


 覚悟を決めた暗殺だったわけだ。


(相手は本気ってことね……)


「じゃあ、黒幕が誰かわからないままね……」

「……だいたい見当はついている」

「えっ、誰?」


 アーロンが立ち上がると、足についた草を手で払う。


「さあ、帰るぞ。さっさと鹿をさばかないと腐ってしまう」

「無視!?」


 アーロンが無言で馬の方へと歩いていく。

 クレアも慌てて後を追った。


(そ、そうよね、余所者よそものだし。愛人って言っても形だけだし、何か役に立つわけでもないし)


 そう思いつつも、クレアは寂しいと感じていた。

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