第10話:兵舎に行ったら大変なことになりました

「剣を教えて欲しい? ダメです」


 ミッシーが兵舎で紹介してくれたのは、近衛騎士団の団長のケネスだった。


 筋骨隆々の大男だったが、理知的な目をしており落ち着きがある。


「おまえたち、何を聞き耳を立てている! 訓練に戻れ!」


 ケネスの一喝に、興味津々きょうみしんしんにこちらの様子を窺っていた兵士たちが慌てて訓練に戻っていく。

 周囲の信頼も厚いようで、ケネスの一言でぴりっと場が引き締まった。


「……っ」


 無茶なお願いはにべもなく断られたが、そこで諦めるクレアではない。


「そこを何とか! 私、アーロンの愛人なの!」


 権力をちらつかせてみたが、返ってきたのはため息だった。


「尚更ダメです」

「なんで!」

「アーロン様の大事な女性に怪我でもさせたら、申し開きのしようがありません」

「うぐう……」


 武術や剣術の練習は生傷なまきずがつきものだ。

 だが、いくらクレアがいいと言っても、アーロンへの忖度そんたくが優先されるだろう。


「ダメか……」

「だから言ったでしょう」


 ハラハラと見守っていたミッシーが、ほっとした表情になった。


「さ、帰りますよ。ここは兵舎です。ご令嬢がいるような場所ではありません」

「お帰りになった方がよろしいかと」


 ケネスも静かだが、断固とした口調で言う。

 ケネスは団長にしては若く、まだ二十代後半くらいに見える。

 クレアはちらりと兵士たちを見回した。


(他の兵も皆若い……おそらく、国王軍から引き抜かずに自分で若手を育てているんだわ)


 自分が選び、自分が育てた兵でなければ、信頼できないのかもしれない。


(徹底してる……)


 これほどの城を作り上げるのは、おそらく簡単な道ではなかっただろう。

 だが、アーロンとともに兵たちも育っている。

 アーロンは若くして既に風格のある王太子だし、兵舎にいる兵たちもかなりの精鋭揃いなのが見てとれた。


 今や出番がなく形骸化しているロキシス王国の騎士団など、相手にならないだろう。

 少し寒気がして、クレアは腕をこすった。


(こんな国とは戦争したくないわね。ロキシス王国にも兵はいるけど練度が全然違う)


「さ、帰りましょう。クレア様」


 ミッシーの言葉にクレアは首を振った。

 剣を教えてもらえないのは織り込み済みだ。


(想定内! でもまだ帰らないわよ……)


 クレアはにこりと笑ってみせた。


「では、馬と弓を貸してもらえますか?」

「は?」


 ケネスの眉間みけんにしわが寄る。


「最近、狩りに行ってないから腕が落ちていると思うの。久しぶりに狩りに――」


 クレアは言葉を切った。

 ケネスの顔が明らかに引きつり、周囲の兵たちにも緊張が走っている。


(え、何なに? 私、まずいこと言った!?)


 ケネスが背後の兵をちら、と見た。


「すぐアーロン様に来ていただくように」


 命じられた兵が飛ぶように兵舎を出ていく。


「え? なんでアーロンを――」


 クレアはまたしても最後まで言葉を紡げなかった。


「お静かに。このまま動かないでください」


 びしりと言い放つと、ケネスは後ろで手を組んだまま口をつぐんでしまった。

 ミッシーはおろおろしている。

 ピリピリした空気が流れ、クレアは呆然とした。

 どうやら、何かまずいことを言ってしまったらしい。


「どういうことだ、クレア!」


 アーロンが兵舎に乗り込んでくるなり、クレアに詰め寄ってきた。


「えっ、どういうって……」


 アーロンがぐっとクレアの胸元をつかんだ。


「おまえ、逃げるつもりか」

「へ?」


 思いがけない言葉に、クレアは呆然とした。

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