第3話:隣国に連れていかれました
城を出ると、アーロンは一台の馬車へと向かった。
大きい屋根付きの馬車には、ミッドガンド王国の紋章――剣が二つ交差している物騒な柄だ――が付いている。
近衛兵が馬車のドアを素早く開けた。
「よっと……」
アーロンがクレアを座席に押し込むと、隣に座ってくる。
「そのまま大人しくしてろよ。縛られて馬車の床に転がりたくないだろ」
「……!!」
やはり女性に対する思いやりはなさそうだ。
「わかりました!」
縛られて床に寝転がるのはごめんだ。
ぷうっと頬を膨らませてそっぽを向くクレアを、アーロンが面白そうに見つめる。
「
「拗ねてません!」
アーロンが楽しげにククッと笑うと、馬車の屋根を叩いた。
「出発しろ!」
アーロンの一声に馬車が動き出し、周囲を馬に乗った近衛兵たちが固める。
城門を出ると、アーロンがちらりとクレアを見た。
「で、どうしてあんな芝居を打った。ウィリアム王太子と結婚するのが嫌だったのか?」
「……」
暗殺の疑いをかけられ、処刑されて死に戻った、などと話しても信じてもらえないだろう。
だが、どんなにそしられようとも、処刑されるよりずっといい。
クレアは肩をすくめた。
「まあ、そうです。婚約破棄してもらいたかったの」
「なぜだ。王太子の妻だぞ。女としては最高の栄誉ではないのか」
「……」
そのとおりだ。
貴族の令嬢として、いつかは結婚しなくてはならないのはわかっていた。
それならば、少しでも条件のいい相手を求めるのは自明の理だ。
だから、王太子に選ばれた時は舞い上がった。
もちろん、親も親族も大喜びだ。
何も考えず、王太子の恋人になり、少しずつ仲を深めた。
(でも、親しくなったなんて思い上がりだったわ……)
暗殺の疑いをかけられたときの、ウィリアムの冷ややかな目をまざまざと思い出す。
そこにはひとかけらの信頼も親愛の情もなかった。
あれで一気に目が覚めた。
(ウィリアムは私を愛してくれていたわけではない)
(私の弁明など、まったく聞いてくれなかった)
見た目か雰囲気かわからないが、クレアの何かが好みだったのだろう。
そんな上辺だけの恋だった。
疑念があればあっという間に崩れるような、
(私も初めての恋愛だったから、よくわからなかったな……)
「何を押し黙っている」
アーロンの声に、クレアはハッと我に返った。
言われてみれば、質問をされていた。
クレアは無難な返事をすることにした。
「婚約破棄したかったのは……信用できない相手との結婚って怖いと思ったからです」
「ほう」
アーロンが唇の片端を上げる。
「馬鹿だと思っていたが、そこまで馬鹿ではないようだ」
見下すような口調に、クレアはカッとなった。
「じゃあ、貴方はどうなのよ!」
他国の王族に対しあり得ない態度だが、クレアは気にしていなかった。
一度死んだ身だ。もう怖いものなどない。
(別に王子にどう思われたっていい! 死んでからも人に気を遣うなんて御免だわ!)
「なんで私を拾ったの!?」
噛みつくように叫ぶクレアに、アーロンがにやりと笑った。
「威勢がいいな。縄張りを荒らされた熊のようだ」
「答えなさいよ!」
クレアが睨むと、アーロンが口を開いた。
「……単純で不器用そうだったから?」
言われ慣れた言葉だったが、クレアはムッとした。
「失礼ね!! 女性に対する態度がなってないわ! あんたそれでも王子!?」
「婚約指輪を投げ捨てる女に言われたくない」
クレアはぐっと詰まった。
あれは貴族の女性としてあるまじき大立ち回りだった。
「うぐう……」
「でも俺に拾われて助かっただろう? 追放されてどうやって生きていくつもりだ。何もできない貴族の令嬢が」
「はあ?
「ああ……確かに野山が似合いそうだ」
「本当に失礼ね! 蛮族の国の人間に言われたくない!!」
クレアはハッとした口に手を当てた。
売り言葉に買い言葉だったが、ひどい侮辱をしてしまった。
恥ずかしくてまともにアーロンの顔を見られない。
隣国を貶めるつもりはなかったのだ。
明らかな失言に、クレアはしょんぼりと頭を下げた。
「ご、ごめんなさい。言い過ぎたわ……ミッドガンド王国のことをよく知らないのに」
ミッドガンド王国にはもちろん行ったことがない。
正式な国交を結んだのもここ数年だ。
ただ、噂で聞いただけの伝聞で罵ってしまった。
だが、アーロンは激高することなく、静かな表情のままだ。
「間違ってない。ウチはまだまだ野蛮で品のない国だ」
そう呟くと、アーロンが遠い目をして車窓に目を向けた。
「……」
アーロンは想像よりもずっと寛大な人間だった。
冷酷で容赦なしと聞いていた通りの人間なら、手打ちにされてもおかしくない。
「おまえ、イライラしているな」
「え?」
「腹が減ってるんだろ。食うか?」
座席の隅に置かれたバスケットから、アーロンがリンゴを取り出してきた。
「食べる!」
いろんなことがありすぎて、空腹だったことを忘れていた。
貴族の女性は小食を良しとされ、パーティー前はドレスを着るためほとんど食べられないのだ。
赤々としたリンゴはとても美味しそうで、クレアは思い切りかぶりついた。
甘い果汁を口の中に充満させながら、歯ごたえのある果肉を
「美味しい! こんなリンゴ初めて!」
「そうか。ミッドガンドの名物だ。ウチの国は国土が広いからな。農作物の輸出を考えている」
「へえええ!!」
意外にも、美味しいものが食べられるかもしれない。
少しミッドガンドに行くのが楽しみになってきた。
「おまえは本当にわかりやすいな。今、ミッドガンドに行くのも悪くない、って思っただろ?」
「ぶほっ!!」
ぴたりと胸の内を言い当てられ、クレアは思わずふきだしてしまった。
「な、なんでわかるのよ!?」
「全部顔に出てるんだよ」
こらえきれないように、アーロンが笑った。
『冷酷な王子』からは程遠い、屈託のない笑い声が車内に響いた。
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