第28話 「力を貸して」
「半妖とはいえ、『あやかし』が人間界に飛び込むなんて、相当な覚悟だったと思うよ」
覚悟――その単語を聞くと心臓がドキッと高鳴った。シイバだけでない。きっと私やシイバを引き取った伯父さんと伯母さんだって、私を守る覚悟をした……こんな私なんかのために。
キュッと胸を痛めていると、蛇神様は私のことを見透かしたようにそっと目を細めた。
「それくらいみんな琴子のことを大切に思っていた。そんな大切な人の宝物がニノなんだ。その宝物を守ると決めたのは彼らなのだから、それに対して君が心を痛めることはない。特にシイバは、彼の約束のために動いている。自分の出来ることを精いっぱいやっているんだ。だから、ニノも君の出来ることをすればいいんだよ」
「自分の……出来ること……」
蛇神様の言葉を呟きながら顔を上げると泉の水面がキラリと光った。
――ああ、そうだ。きっとシイバが、私のことを待っている。
「……ありがとう。蛇神様、コトコト」
彼らに礼を言うと、二人共「どういたしまして」と言うように微笑んだ。そして私は足元に置いてあったバケツに泉の水を汲むと、急いでシイバの元へ向かった。
バケツを持ちながら家に帰ると伯母さんが台所で作業をしていた。どうやら私が蛇神様と話している間にシイバが目を覚ましたらしい。
「行ってあげなさい」
伯母さんにも背中を押され、私は速足でシイバの部屋へと向かう。すると、シイバは布団に横たわったままじっと天井を見つめていた。
「ニノ……無事だったか」
私の顔を見たシイバは安心したように息をつく。だが、発した声は小さく、いつもよりずっと覇気がない。
「シイバ……ごめんね」
謝りながらシイバの横に座ると、シイバは決まりが悪そうに頬を掻いた。
「謝るなよ。俺も油断してたし……でも、このままやられっぱなしはムカつく」
『幻影鏡』のやり取りを思い出しているようで、シイバの顔が一瞬にして険しくなる。だが、彼の言う通りだ。あの『あやかし』を放っておけない。私だけでなく、他の人だって襲われるかもしれない。伯父さん、伯母さん、睦実ちゃん、朔弥君、加賀野先生――……この町の人を危険にさらす訳にはいかないのだ。
「シイバ。私、頑張るよ。お母さんみたいに上手くはいかないかもしれないけど……私、『幻影鏡』をやっつける」
「やっつけるって言ったって、お前、相手は琴子の姿になるんだぞ? そんなのと戦って、お前つらくないのかよ」
「でも、私が狙われているなら、私が食い止めないと」
彼が心配する理由もわかる。だが、いつまでも逃げてなんていられない。
「だから……お願いシイバ。私に力を貸して」
覚悟はできた。迷いはない。そんな思いを込めてシイバを見つめると、表情を固めていたシイバもやがてフッと小さく笑った。
「……わかった。任せろ」
その凛とした彼の眼差しはとても心強く、私も思わず頬を綻ばせた。
――決戦は、明日の逢魔時。
私は、いや、私たちは、もう一度『幻影鏡』に会いに行く。
* * *
――翌日の夕方。
私とシイバは初めて『幻影鏡』を見かけたあの公園に来ていた。
もう子供たちは帰ったあとで、公園には私たちしかいない。オレンジ色に染まる空の下、風の音を感じながら私たちは『幻影鏡』の到着を待った。
シイバの準備も万全で、すでに妖狐の姿になっていた。臨戦態勢もばっちりで、もうすでに彼女を威嚇するように五本の尻尾がピンっと立っている。ただ、まだ妖力は回復していないのか、白い長い髪がいつもより黒くなっていた。
彼が本調子でないのなら、私が頑張らないと。緊張を押さえ込み、心を落ち着かせるために深呼吸をする。
そうしているうちに強い風が吹いた。
「おやおや。やる気満々だねえ……」
まるで最初からここにいたかのように、いきなり『幻影鏡』が姿を現す。しかも妖狐のシイバを見てニヤニヤと笑っていた。
「そっちが本気なら、うちも本気を出すよ」
『幻影鏡』の言葉に反応するように持っていた鏡が輝く。その輝きと同時に『幻影鏡』の体も光り出し、あっという間にお母さんの姿になった。
「性格悪いんだよてめえ!」
威勢をあげたシイバが鋭利な爪を立てて『幻影鏡』に襲いかかる。だが、振りかぶろうとするシイバに『幻影鏡』は怯えたように退いた。その姿は完全にシイバを怖がるお母さんで、あれだけ勢いづいていたシイバも「うっ」とためらって動きを止めた。
そんなシイバに『幻影鏡』はニヤリと笑い、逆に一気にシイバに詰め寄った。
「お前さん……本当に甘いねえ」
シイバをあざけ笑うと、『幻影鏡』はシイバの後頭部目がけて手刀を振った。
『幻影鏡』の手刀を食らったシイバは短い断末魔をあげながら、その場でひざまずく。
「まったく、お前さんたちは鏡に映るのが同じ人物だからやりやすいわ」
『幻影鏡』の声にハッと顔を上げると、彼女は一瞬にして私の前に立っていた。彼女の手には昨日シイバの妖気を吸い取った短剣がある。彼がひざまずいている今、誰もこの間合いには入ることができない。
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