第27話 お母さんとの約束
それでも蛇神様は、フッと小さく笑うと私の前にしゃがみ、ポンポンと頭を叩いた。
「シイバが傷ついたのはニノのせいじゃない。シイバは自分でニノを守るって決めて自分で動いたんだ。彼の意志なんだよ」
「でも……私がいないほうが、シイバだって平和に暮らせたのに」
本音を漏らすと不意に声が震えた。シイバが私を守るのはお母さんとの約束だと話していた。だが、こんな目に遭うのなら約束なんて律儀に守らなくてもいいじゃないかとも思ってしまった。シイバなんて私と出会ってまだ日も浅いのに……。
自暴自棄になっていると、私のことを見兼ねてか、コトコトが私に近づいて心配そうに見上げてきた。
「コト……?」
「ありがとうコトコト……心配かけてごめんね」
悲しげなコトコトの声に静かなトーンで返す。そんな私の様子に蛇神様は「ふぅ」とひと息ついて、コトコトに請うた。
「……琴子の思念、写してあげてくれるかい?」
不意に出てきたお母さんの名前に徐に顔を上げる。すると、コトコトは「コトッ!」と元気良く返事をし、触覚を光らせた。この光は知っている。誰かの過去の強い思いが、彼の妖力に反応しているのだ。
緊張しながらコトコトの触覚から出てくる光線を見つめると、私の前にホログラムのような青い実体が現れる。その実体はシイバと、生まれたばかりの赤ちゃん――多分私を抱いているお母さんだった。
「ほらニノ~。シイバだよ~」
お母さんは胸元で私を抱きながらシイバのほうに顔を向けさせる。だが、赤ちゃんの私がシイバのことなんかわかるはずなく、ぽかんとした顔で明後日のほうを見ている。
「で、それがお前の宝物って?」
「そうだよー。この子のためなら私なんでも頑張っちゃうわー」
よしよしと私をあやしながらお母さんはクスッと笑う。一方、シイバはそんなやり取りを「ふ~ん」と言いながら興味のなさそうに眺めていた。
「シイバも子供ができたらわかるわよ。だって、こんなに可愛いじゃない?」
「知らねえよ。そもそも親のこともわかんねえのに……」
「あら。じゃあ、私がシイバのお母さんになる? もれなく可愛い妹もできるわよ」
「ならねえ!」
「もう。釣れないわねー」
頬を膨らますお母さんの横で、荒げたシイバの声に反応した私が驚いて泣き出す。しかし、私が突然泣いてもお母さんはうろたえることなく、笑いながら小さな私の体をそっと抱きしめた。
「大丈夫だよ、ニノー。よしよーし」
お母さんはポンポンと私の背中を軽く叩いて泣く私をなだめる。その様子をシイバは無表情でじっと見つめていた。
「そんなことして意味あるのか?」
「あるある。めっちゃある。こうしてニノに『大丈夫だよ』とか『大好きだよ』って教えてあげるの。シイバにもやる?」
「絶対に嫌だ」
「あらあら、照れちゃってー」
「照れてねえし!」
頬を染めるシイバにお母さんは「ごめんごめん」と謝るが、顔は笑っていた。しかし、この調子の良さは昔から変わっていないようで、シイバも「ったく……」と呆れた。
「小せえし、すぐ泣くし、こんなんでこいつ本当に大丈夫なのかよ」
「だから、大丈夫になるまで私が守るの。でも――もし私に何かあったらシイバがこの子を守ってあげてほしいな」
「なんで俺がこいつのことを……」
「えー。シイバと私の仲でしょー? 嫌なのー?」
「嫌じゃねえけど……琴子なら俺がいなくたって余裕でこいつを守れるだろ?」
「まあ、今は大丈夫かもしれないけど……先のことなんてわからないでしょ?」
そう言うお母さんは先ほどまでのおちゃらけた感じがなくなり、ふと澄ました顔になった。こんな表情はシイバでも見たことがなかったのか、彼も意外そうに目をみはった。
「だから……頼むわよ。シイバ」
「……わかったよ。守ればいいんだろ。守れば」
彼女の真顔に押されてか、シイバは諦めたように息をつく。その一連の流れを知ってか知らずか、あれだけ泣いていた私が突然泣き止み、シイバを見てキャッキャと笑った。
「ほら、ニノだって喜んでるよ」
「本当かよ……噓くさいな……」
そう言いつつもシイバはポンッと私の小さな頭に自分の手を置いた。その表情は今まで見たどんなシイバより穏やかで、とても優しい。
そんな彼を見て、お母さんも破顔し、嬉しそうに口角を上げた。
「……ありがとう。シイバ」
その笑顔を最後に、コトコトの写したお母さんの記憶は、跡形もなく消えていった。
――これが、シイバが言っていたお母さんとの約束。とても優しく、それでいて和やかなやり取りに私は胸がいっぱいになった。
シイバはお母さんが小さい頃から一緒にいる『あやかし』だ。話に聞いていただけで実感はなかったが、コトコトが写したこの記憶でよくわかった。お母さんはシイバのことをとても信頼している。そしてシイバだって、お母さんのことを――……。
言葉がなくなるくらい心が打たれている私を見て、蛇神様は愁いを帯びた目で静かに笑った。
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