第25話 宿敵

「なんだお前さん、半妖か。これっぽっちしか妖力がないんかい。こんな弱い妖力なんていらなかったんだけどねえ」


 ほくそ笑みながら彼女は朱色に染まる短剣を見る。その声はお母さんの声とは程遠く、艶っぽいのに人を小馬鹿にした口調が私にはとても怖く感じた。


 この人、いったい誰なのだろう?


 怯えているうちにお母さんの体が白いもやに包まれて一瞬にして見えなくなった。


 だが、そのもやが晴れた時、お母さんの姿はなくなっていた。代わりに現れたのは白い浴衣を着て両手で鏡を大事そうに持つ女の人だった。


 白いのは着物だけでない。肌も瞳も長い髪も、まつげすら雪のように白くて、その不気味さに私は言葉を失っていた。けれどもシイバは歯を食いしばりながらもずっと彼女を威嚇している。


「お前……誰だ?」


「うちら『あやかし』に名前なんてあるのかい? でも、そうだねえ……『幻影鏡げんえいきょう』とでも言っておこうかねえ」


『幻影鏡』と名乗る彼女は浴衣の袖を口元に持っていきながらわざとらしく笑う。


「琴子の娘っていうのはお前さんだろう? 昔、琴子には世話になってねえ」


 ねっとりとした話し方で『幻影鏡』は私を凝視する。しかもその目はいっさい笑っておらず、むしろ恨めしそうに見られていた。


 今まで何回か『あやかし』は見てきたが、こんな目が合うだけで指一本も動かせなくなるような者には出会ったことがなかった。


 このただならない彼女のオーラに怖気おじけづいてしまいそうだったが、シイバは私をかばうように立ち上がった。


 しかし、足はガクガクに震えており、どう見たって立ち上がるだけで精いっぱいだ。ただ、こんなに弱っているのにシイバは怯えることもなくギロリと『幻影鏡』を睨みつけている。


 そんな彼の様子に『幻影鏡』は「おやまあ」と意外そうな顔をする。


「お前さん、ここまでうちに妖力を取られておいてまだやろうっていうのかい?」


「うるせえなあ……そのくらい、大したことじゃねえよ……」


「嘘つくんでないよ。本当は倒れそうなくらいしんどいんだろう?」


「うふふ」とあざけ笑う『幻影鏡』にシイバは噛みつくようにガンを飛ばす。それを見た『幻影鏡』は思い出したように「ああ」と言い出した。


「そういえば他の『あやかし』たちが噂していたねえ。『あやかし』のくせに人間と一緒にいるやからがいるって……それはお前さんのことだったんだねえ。でも、お前さんが半妖とわかって納得したわあ。可哀想に、居場所がないんだねえ」


「黙れよ……勝手なこと……言ってるんじゃねえ……」


 シイバは低い声で『幻影鏡』に反論しようとするが、息が絶え絶えでまったく覇気がない。しかもシイバにはもう彼女に立ち向かう力はないようで、ガクッと再びひざまずいた。


 慌ててシイバの体を支える。しかし、ここまで来ると彼も足だけでなく全身ががくがくと震えていた。こんなシイバの姿なんて見たことがなく、私もどうすればいいのかわからない。


 一方、絶体絶命のピンチに戸惑う私を横目に『幻影鏡』はずっとにやにやと笑っていた。


「弱いねえお前さん方……でも、そこの半妖の威勢の良さは気に入ったよ」


 ハッと顔を上げると、いつの間にか『幻影鏡』が私たちの目の前に立っていた。そして見下ろす彼女はにんまりと笑いながらシイバに告げる。


「……明日の逢魔時にこの小娘の命をもらい受けるよ。それまでせいぜい頑張るんだねえ。アッハッハ」


『幻影鏡』が高笑いすると、辺りから強い風が突然吹き荒れた。


「てめえ! 待ちやがれ!」


 顔で風をガードしながらシイバが吠える。しかし、『幻影鏡』はあざ笑うだけで、そのまま風と共に消えていく。


 彼女の姿がなくなると、あれだけ吹いていた風も嘘のようになくなった。


 この怒涛の展開に呆然と立ち尽くす。だが、その横でシイバがふらついたので私はハッと息を呑んだ。


「シイバ!」


 倒れ込むシイバの名前を呼ぶが、まるで糸が切れたように目をつぶったまま動かない。


 呼吸が浅い。肌だって血の気が通ってないくらい青白い。もしかして、『幻影鏡』がシイバの妖力を吸い取ってしまったからだろうか。


「シイバ! シイバ‼」


 何度呼んだって結果は同じ。シイバは眠ったまま動かなかった。


 ――私のせいだ。


 私のことをかばったりしたから、シイバは――……。


 自分の無力さに打ちひしがれそうになる。だが、こんなところで泣いたとしても現実は何ひとつ変わらなかった。こうしてシイバが倒れていることも。明日、『幻影鏡』が再び私たちの前に現れることも……。


「……とにかく、帰らなきゃ」


 泣きたい気持ちを抑えながら、私はシイバの腕を肩に回し、彼を持ち上げる。


 私より大きい男の子の体は、重たくて持ちづらい。このままシイバを持って家に戻るなんて大変に決まっている。けれども、私が行かなくちゃ。絶対シイバのほうが痛くて苦しいのだから。


 そう言い聞かせながら、私はシイバを担いで残りの道のりを急いで歩んでいった。


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