4章 幻影鏡

第24話 「お前、なんか変だぞ?」

 睦美ちゃんの一件は無事に解決したが、どうしても気になることがあった。公園で見たお母さんの姿だ。


 あれはお母さんの幽霊だったのだろうか。幽霊だったとして、どうしてあんなところにいたのだろうか。幽霊はこの世に未練があったら成仏ができないと聞く。それが正しければ、お母さんは成仏できていないということだ。


 そんなことが朝から晩までずっと頭から離れない。勉強している時も、お風呂に入っている時も、成仏できていないお母さんのことをずっと考えていた。



 ある休日のこと。


 家のリビングで気晴らしにピアノを弾いていたらシイバが私に近づいてきた。


「『甘い思い出』だっけ? また弾いてるんだな」


「うん、あれから私も気に入っちゃって。今度睦美ちゃんに教えるんだ」


「ふーん。よくやるよ」


 と、シイバは澄ました顔で私を見る。そういえば、いつもはピアノを弾いても興味なさそうなのに、声をかけてくるなんて初めてな気がする。


 不思議に思っていると、台所のほうから「いっけなーい!」と伯母さんの声が聞こえてきた。


「ごめーん! 二人とも、悪いんだけどお使いに行ける?」


 慌てた様子で伯母さんが台所から顔を出す。夕食を作ろうとしたのに、うっかり調味料を買い忘れていたらしい。


「わかった。行ってくる」


 まだ逢魔時の時間ではない。近くのスーパーなら日が落ちる前に帰って来られるだろう。


 伯母さんからエコバッグとお金を受け取り、さっそく出かける。いつもは面倒臭がるシイバだが、今日は付き合ってくれるようだ。


「珍しいね。買い物でもあったの?」


「いいだろ、別に。さっさと行って、さっさと帰るぞ」


 物珍しさに聞いてみたが、シイバは淡々としていた。付き合ってくれたものの、道中は無言でスタスタと私の前を歩くだけ。だが、私も考え事をしていたので、行きの道のりは沈黙の中で彼の後ろを歩いていた。


 ただ、帰り道ではあれだけ黙りこくっていたシイバが不意に私に話しかけてきた。


「お前、なんか変だぞ?」


「え? そうかな?」


 笑って誤魔化してみるが、シイバは真顔だ。


「上手く笑えてないし、反応も悪い。それに、ピアノの音がいつもと違う。なんだか……悲しい音がする」


 ドキッとした。私はいつも通り振る舞っているつもりだったのに、シイバにそんなことを言われるとは想像もしていなかった。シイバは常に飄々ひょうひょうとしているし、私のことなんて興味がないと思っていたというのもある。


 シイバの大きな目で真剣に見つめられると何も言えなかった。誤魔化しの言葉が上手く出てこない。いや、誤魔化したところで、今の彼には何も通用しない気がする。

 口をつぐんで、歩みを止める。その間も、シイバは私のことをじっと見つめている。


 シイバにお母さんのことを話そうか。でも、また見間違いとか、幻だとか言われたらどうしよう。それに、本当にお母さんの幽霊だとして、お母さんが成仏していないことを知ったらシイバはどう思うだろう。


 こうしてためらっている間にも時間は刻々と過ぎた。


 そよぐ風が彼の短い髪をなびかせ、周りに生えている草花を揺らす。


 この沈黙に耐えられなかったのは私のほうだった。お母さんのことを彼に言おう。そう決心した私は、恐る恐る彼に告げた。


「あ、あのね、シイバ……」


 しかし、その私の声と同時にシイバの目が大きく見開いた。


「――琴子?」


「え?」


 いきなり彼の口からこぼれたお母さんの名前に私は耳を疑った。それでも彼が目を剥いたまま私の後ろを見つめるものだから、私も振り向いた。


 そこにいたのは、間違いなくお母さんだった。


 死んだはずのお母さんが、こうして私たちを澄ました顔で見つめていた。


「お母さん!」


 思わず名前を呼んで彼女の元に駆け出す。だが、その途端、お母さんはニヤリと笑った。笑っているのは口元だけで、目はぎょろりと大きく見開いていた。こんな不気味な笑顔なんて見たことない。


「ニノ!」


 シイバの叫び声にハッとすると、数メートル先にいたはずのお母さんが私の懐に飛び込んでいた。しかも、その手には透明で鋭利な短剣を持っている。


 刺される。そう思った私はあまりの怖さにギュッと目をつぶった。


 けれども、その瞬間に強い力で後ろに引き寄せられ、私はひっくり返るように尻もちをついた。


 慌てて目を開けると、そこにはシイバが私をかばうようにお母さんの前に立ちはだかっていた。


 お母さんの持っていた短剣はシイバの腹部を突き刺している。だが、シイバから血液は流れておらず、代わりに透明だった刃がうっすらと朱色に染まっていた。


「く……そがぁ!」


 シイバは苦しそうな顔をしながらもお母さんを振り払って彼女と距離を取る。しかし、刃が抜かれると、シイバは刺された腹部を押さえながら崩れるようにその場にしゃがみ込んだ。


「シイバ! 大丈夫⁉」


 慌ててシイバに近づき、倒れそうな彼の肩を支える。こんなに苦しそうなシイバだが、それでもギロリとお母さんのことを睨んでいた。

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