第15話 きこえる

「ニノ! 振り向くな!」


 シイバの声にハッとした時にはもう遅かった。バチッと視線があった途端、凍りついてしまいそうなほどの悪寒が走り、足も石になったみたいに突然動かなくなった。


 足がもつれた私を見て男の子は高らかに笑い、地面を思い切り蹴る。その瞬間、男の子が猛スピードで私のところまで直進してきた。


 怖くて動けなくなる私の前にシイバが立ちはだかる。だが、それを見た朔弥君が血相を変えてシイバに向かって叫んだ。


「危ない!」


 突然のことであのシイバですら反応ができなかった。私をかばったシイバを今度は朔弥君がかばったのだ。


「美作!」


「朔弥君!」


 声をあげる私たちをよそに、男の子の手が朔弥君の肩に触れる。すると、朔弥君の体から青いもやが出て、男の子の手に吸い込まれていった。


 それと同時に朔弥君はガクンと膝を折り、そのまま地面に倒れ込む。


 慌てて朔弥君の元へ駆け寄ると、朔弥君は目を閉じたまま眠ったように動かなくなった。その姿は彼の先輩たちと同じで、私の頭は真っ白になった。


「クッソ!」


 倒れた朔弥君を見てシイバがギリッと歯を食いしばる。だが、シイバが男の子のほうに顔を向けた時には男の子は雲隠れするようにいなくなっていた。


「おいニノ。美作のこと頼んだぞ」


 シイバが私に請うと、彼の周りで風がつむじを巻いた。風が繭のように彼の体をまとう。『影呑み』と戦った時と同じだ。そしてこの風が止むと彼の姿は朱色の着物を身につけた『あやかし』となる。


 しかし、たとえシイバが本気の姿になったとしても男の子は相変わらず楽しげに笑っていた。


「ねえ、今度は何して遊んでくれるの?」


 おぞましさを感じるほどの抑揚のない声が森に響く。


 この暗闇の中であの男の子はうろたえている私たちを見ているのだろうか。だが、こちらは声しか聞こえない。圧倒的に不利な状況に私は怖くて震えが止まらなかった。


 怯える私の横でシイバは先ほどからずっと辺りのにおいを嗅いでいる。いなくなった男の子のにおいをたどっているようだ。けれども上手く行かないのか、私に聞こえるくらい「チッ」と大きく舌打ちをした。


「あのガキ……『あやかし』じゃねえからにおいがわかんねえ。姿も視えねえし、、どうしろってんだよ」


「……え?」


 信じがたいシイバの発言に私は聞き返した。今の今だって男の子の笑い声が聞こえている。それも、耳をふさぎたくなるくらいはっきりと。それなのに、シイバ「声も聞こえない」なんて言うではないか。


 ――もしかして、この声が聞こえているのは私だけ?


 気づいてしまったこの事実に、私は息を止めていた。


『あやかし』であるシイバですらこの声が聞こえていない。となると、ひょっとすると私が頑張れば男の子の立ち位置くらいわかるかもしれない。


 恐る恐る両耳に手を当て、男の子の声に耳を澄ます。その様子を見て、シイバが不思議そうに首を傾げた。


「お前、何してるんだ?」


「シッ――ごめん、静かにしてて」


 目を閉じてまで集中する私にシイバは驚いていることだろう。


 本当はこんな不気味な笑い声は怖くてとても聞けない。けれど、シイバの力になりたいし、朔弥君たちだって助けたい。だから、やるしかないのだ。


 男の子の声に向けて全神経を集中させる。どんなに音が反響していても、発している場所はひとつのはずだ。私なら、きっと探れる。


 自分の力を信じた時、私の心の中で霧かかっていた恐怖心が一気に消え去った。


「シイバ! あっち!」


 男の子の笑い声がまっすぐに耳に入った時、私は無意識のうちに二時の方向を指差していた。


 私の声にシイバがはじけるように地面を蹴る。そして風のように素早い動きで腕を振るって草を掻き分けると、本当に男の子がそこに隠れていた。


「てめえ、この野郎!」


 荒々しい口調でシイバが鋭い爪を男の子に突き刺す。すると男の子の体には風穴が開き、泣き声に近い悲鳴をあげた。


 男の子の体から黒いもやが発生し、闇に溶けるように消えていく。その瞬間、あれだけ張りつめていた空気が瞬く間にやわらいだ。


「……あれ?」


 変わったのは空気感だけではない。森の中にいたはずなのに、いつの間にか肝試しのスタート地点だった鳥居の前にいるのだ。しかも、先ほどまでいなかったはずの先輩たちも私たちの近くで横たわっている。


 いったい、あの一瞬で何があったというのだ。


「シイバ……これって……」


 呆然としながらシイバに尋ねると、シイバはゆっくりと振り向き、ニッと不敵に笑った。


「……よくやった。全部終わったぞ」


 どうやらあの男の子の霊を倒したことで『境界』もなくなり、無事に元の世界に戻ることができたらしい。私の前で寝ている朔弥君や先輩たちも眠っているだけで怪我もなく、無事だという。つまり、もう私たちをおびやかす者はいない。

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