第6話 あやかし・椎葉

 まず、短髪だった彼の髪が腰辺りまで伸びて、ほとんど白くなった。


 確かに元々も黒い髪にまだらに白髪が混ざっていたが、今はちょうどその割合が逆になり、白髪の中に黒髪がまだらに混ざっている。


 そして一番の違いは頭とお尻だ。


 彼の頭に獣のような耳がつき、お尻のところにふかふかな尻尾が四本も生えていた。服だってラフなシャツとズボンだったのに、朱色の着物を羽織はおり、ゆるく帯を締めただけの和服になっている。


 彼の変化に唖然としていると、シイバはニヤリと笑ってはっきりとこう言った。


「俺も――『あやかし』だ」


 ほくそ笑みながら、シイバは人とは思えない鋭利な爪を見せる。そして両腕を掲げて彼を襲おうとしている『影呑み』を、すぐさまその爪を振るって吹き飛ばした。


 シイバに切られた『影呑み』はうめき声をあげながら体を光らせてゆっくりと消えていく。


 この急展開に呆然としていると、あれだけ静まり返っていたのに突然ヒグラシの声が辺りから聞こえ始めた。


「……え?」


 混乱しながら振り返ると、前方にさっきまでなかったはずの朱色の鳥居がはっきりと見えた。


 いったいあの一瞬で何が起こったのか。訳もわからないままゆっくりと立ち上がる。


 しかし、その頃には無風だった風も髪がなびくくらい吹いているし、握りしめていたスマホの画面も三本の電波と十七時三十六分という時刻が写っていた。


 今の出来事は夢だったのだろうか。あまりの現実味のなさに戸惑いを隠せないが、シイバの姿が未だに耳と尻尾が生えた和服姿なことを見るとこれは夢ではなさそうだ。


「まったく……雑魚なんだから襲ってくるなってな……」


「やれやれ」と言いながらシイバは腕を組んでため息をつく。このリラックスした感じだと、もうあのおかしなことは起きなさそうだ。


『おうまがどき』のことも、さっきの『影呑み』のことも、聞きたいことは色々ある。それを全部差し置いて私は彼の頭に手を伸ばしていた。


「……何をやってるんだお前は」


 私のやりたいことに気づいたのか、シイバは頬を引きつらせる。それでも私はおっかなびっくりしつつも彼の頭、もとい頭に生えた耳に触れた。


「こ、これ……外せるの……?」


「外せる訳ないだろ馬鹿野郎」


「あれ⁉ 本物の耳がない⁉」


「お前が今掴んでるところが耳だよ! いいから離れろ!」


 顔を赤めたシイバはグッと腕を伸ばして私を払い除ける。しかし、今彼の耳に触れてわかってしまった。あの毛並みの感触は付け耳ではない。本物の、動物の毛だ。


「シイバって……犬だったの?」


「犬じゃねえよ! 妖狐ようこ! 狐だ!」


 毛並みの感触に震えている私の横で、シイバがクワッと口を広げてツッコミを入れる。


 それでも私は信じられなかった。


 感触は人でない。けれども、変身前のシイバはどこからどう見ても普通の男の子で、伯父さんも伯母さんもしっかり彼のことを認識していた。


 なら、あの姿はいったいなんだったのだ。もういろんなことが起きすぎてついて行けず、ぐるぐると目が回るように混乱した。


「シイバぁぁ……『あやかし』ってなにぃぃ……」


 半分涙目になりながらシイバにすがりつく。すると、シイバは少し顔を強張らせたが、やがて気の毒そうな目で私のことを見下ろした。


「お前……本当に琴子から何も聞かされてなかったんだな……」


 彼の言う通りだ。お母さんはこの町のことも、彼のことだって一言も話してくれなかった。


 すると、シイバは「はぁぁ……」と長いため息をつき、面倒臭そうに頭を掻いた。


「『あやかし』は、簡単に言えば妖怪だ。幽霊と違って命はあるが……まあ、普通の人には視えないな。視えるとしたら、よっぽど神力しんりきの強い奴くらいだ」


 神力……シイバいわく、幽霊や『あやかし』を視ることができる特別な力のことを言うらしい。


 この神力が強い人だと実際に触ることができたり、『あやかし』に襲われても自分で祓えたり、懲らしめることもできるとか。


「で、でも、私は神力なんて持ってないよ?」


「あの琴子の娘なのに持ってない訳ないだろ。現に『影呑み』の姿も、今の俺の姿も視ることができてるし……」


 色々と話が非現実的で相変わらずついていけていないが、それでも聞き逃せない言葉があった。


「琴子の娘なのに持ってない訳ないって……お母さん、そんな凄い力を持っていたの?」


 ドキドキしながらシイバに訊いてみると、シイバは「はあ?」と素っ頓狂な声をあげた。


「お前……あいつの凄さ知らないのかよ。『あやかし』を祓えるほど強い神力を持つ巫女だったんだぞ?」


「え……ええ⁉」


 一瞬理解するのに時間がかかった。なんせ、私の知っているお母さんはどこにでもいる普通のパート社員だったからだ。


 確かにお父さんと結婚する前は実家の神社で巫女をしていたとは聞いていたけれど……ここまで凄い人なんて思わなかった。


 そして私は、そんな凄い彼女の力を受け継いでいる、ということなのか。

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