街頭演説めぐり

同じ日の昼頃、アツシは西武池袋線ひばりが丘駅にいた。急行が停車するこの駅は一日を通して人通りが多い。金城さんのメモによると、14時からこの近くで黒田が演説を行う予定だ。しかし、早めに来たのには理由があった。一つは、他候補者の演説を聞くこと。課題には直接関係しないが、比較対象として参考にはなるだろうと考えてのことだ。もう一つは、実はこちらの方が本音に近いのだが、おじいさん弁護士の三條の事務所が近くにあったからだ。金城さんに会えるかもしれない。人生に一度あるかないかの奇跡の偶然が今日起こるかもしれない。そんな淡い期待を密かに胸に抱いていた。


駅の表玄関である南口では、既に国政政党の公認候補が数名の応援を従えて演説を行っていた。たすきを掛け、マイクを握りしめて市民に語りかけるが、足を止める人はほとんどいない。無関心な表情で通り過ぎる人々、迷惑そうに顔をしかめる人さえいる。候補者は、地元出身、市民目線と繰り返し訴え、新しい道路の建設、学校施設を整備、無駄の削減など、市民に利益がありそうな政策を掲げている。しかし、全く心に響いてこない。市議会選挙に対する市民の興味の薄さを改めて感じる。もう少しエンターテイメント性を持たせることは出来ないものか、そんな思考を巡らせていた、その時だった。


演説を続ける候補者の前に、薄茶色のくたびれたツイードジャケットを着た男が立ち止まった。


その背中に見覚えがあった。アツシは少し距離を取りながら、男の正面に回り込む。深くかぶった黒いニット帽、太い黒ぶちの眼鏡。まるで変装のような姿だが、その顔は間違いない。黒田武彦の事務所で働いていた男、鉄平だ。

「なぜここに?」

何か嫌な予感がした。


候補者が、「幼児教育と保育を完全無償化とします。子育て支援政策を充実させます」と力強く宣言した時、鉄平は静かに手を挙げた。候補者は演説を止め、視線を鉄平に向けた。

「一部は既に無償化が実施されていると思いますが、完全無償化とは、年収に関わらず、全ての家庭において、無償化にするという意味でしょうか? そのお金はどこから持ってくるんでしょうか? 税金を上げるんでしょうか?」

感情の「か」の字もない声で質問した。攻撃性は感じさせない。

「いえ、税金を上げることはありません。財源はあります」

候補者は笑顔で、丁寧に切り返した。

「具体的にどの財源を使うんでしょうか?」

「そちらに関しましては、市とも話し合いを進めております。皆さまの税金を上げることなく、無駄を省き、財政の健全化を進めながら、完全無償化を実現してゆきます」

質問の答えになっているのかいないのか、鉄平はそれ以上質問しなかった。


しばらくして、候補者が「介護事業の拡充と、高齢者の雇用促進に努めます」と宣言すると、鉄平は再び手を上げた。

「介護施設の拡充とは、具体的に何をするんでしょうか? 高齢者の雇用促進とは、市で雇うということでしょうか? どちらもお金がかかると思いますが?」

候補者の目がわずかに泳いだが、すぐに取り繕ったような笑顔を取り戻して答えた。

「介護施設の拡充につきましては、市内の介護老人福祉施設とサービスの拡充につきまして、まさに意見交換を行っているところでございまして、その他、老人保健施設や療養型医療施設とも連携しながら、我々西東京市にとって最適な方法を探してゆきたいと、このように思っております。また、高齢者の雇用促進に関しましても、市内の民間企業と連携をとりながら、必要なところへ必要な人材を提供できる仕組みを作り上げてゆきたいと、このように思っております」


候補者もその応援隊も、鉄平の素性には気が付いていないようだ。いつの間にか、候補者の前には20人程の人だかりが出来ていた。具体性に欠ける返答に他の野次馬達も納得した表情ではなかったが、他に質問が飛ぶことはなかった。

「民間を巻き込むなら、黒田とかいう外資系のコンサルタントの方がうまくやりそうだな」

鉄平はそう大きな独り言を残して、その場から去った。


アツシは一定の距離を保ちながら、鉄平の後を追った。鉄平は駅の改札に向かう階段を上がり、改札を通り越し、反対側の北口へと降りていった。

そこでも、国政政党に推薦をもらっている候補者が演説を行っていた。鉄平は先ほどと同じように、妨害とも思える質問を飛ばし、小さな人だかりを作り、同じような独り言を残して、その場を去っていった。


彼の動きには一切の感情も感じられず、まるでプログラミングされたロボットのようだ。一定のリズムで直線的に淡々と町を進んでゆく。その背中を追うアツシの足は、自然と彼のリズムに合わせてしまう。アツシの歩調は次第に単調な4拍子となり、そのリズムは頭の中に「かえるのうた」を呼び起こした。「か・え・る・の・う・た・が」と音楽と歩調が重なり、無意識に心の中で続けてしまう。ゲロ・ゲロ・ゲロ・ゲロ・クワッ・クワッ・クワッ。

顔を上げると、鉄平はショッピングセンターの入口に立っていた。

車通りの多い交差点に面した歩道には、政党名が書かれたのぼりが立てられている。ここでもまた、別の候補者が演説を行っていた。恰幅の良い男で、黒田よりも一回りほど年上に見える。たすきを掛け、マイクを片手に、道行く人に手を振りながらの演説。その隣では中年の女性が歩行者に選挙ビラを配っている。街頭演説のありふれた光景だ。

しかし、鉄平がこうして次々と候補者のもとを訪れ、同じ行動を繰り返す意味が掴めない。ただ、アツシの胸の奥にはざわつくような不安が広がっていた。

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