法人税
杏子の予定は、この後さらに西へと移動し、夕方4時には次の駅である田無駅付近に来ることになっている。田無駅は杏子の事務所とひばり大学のちょうど中間に位置するので、4時からの杏子の演説を聞いて、そのまま大学へ向かってアツシと金城さんに落ち合うことができればちょうど良いと思っていた。
「あの、ここ借りていいっスか?」
長テーブルを指差して尋ねると、鋼三は無言で頷いた。
タツヤは鋼三から一番離れた場所の切り株の椅子に腰を下ろした。
カーゴパンツの後ろポケットから四つ折りの紙を取り出し、テーブルの上に広げた。
「特別法人事業税って何?」
「こちらが見つかりました」
「… 何書いてんだか、わかんねぇんだよなぁ…」
なぜもっと分かり易く書けないんだろう? 税制度に関して書いてる人達って、ホントに頭が良いんだろうか? タツヤは疑問に思えてきた。
「頭良く見せようと思って、わざと難しく書いているんじゃねえか…」
ブツブツ漏らす独り言は、長テーブルの反対側まで十分に届く音量だ。テーブルの向こうから刺すような視線が注がれていることに気が付いた。
「あ、うるさかったっすか?」
鋼三はパソコン越しに、目から上だけをのぞかせている。
「あの、昨日もらったマニフェストに書いてあること調べてたんっすけど、難しい言葉が多くて」
タツヤはマニフェストをつまみ上げて、口をへの字に歪めた。
「何について調べているんですか?」
スマホ先生と同じ種類の声。
「法人市民税の減額って書いてあったんで、法人税について調べたんっスけど、ややこしくて…」
鋼三はギリギリ目から上の部分だけをパソコンのモニター越しにのぞかせて、タツヤの話を聞いていた。その絶妙な位置をキープしたまま、その意味を解説してくれた。
まず、法人税の納税の基本として、納税金額は会社自身が計算をする必要がある。税務署が今年の税金はいくらですよ、などと教えてはくれない。その年の会社の収支から、支払うべき税金を算出して、「これが今年税金として支払うべき金額です」と会社自らが申告し、納税する。
計算を間違えて、正しい税額よりも少ない額を申告・納税してしまうと、脱税という犯罪に訴えられる危険もある。したがって、間違いが起こらないように詳しく説明しようとすると、どうしても表現がくどくなり、結果、分かりにくくなってしまう。
ただ、杏子が公約として掲げている「法人税の軽減」とは極めてシンプルなものである。
一般的に「法人税」と一括りにして呼ばれているが、現在の税法では法人税は3つの税から成る。「法人税」、「法人事業税」、そして「法人住民税」である。
一番目の「法人税」は利益に対して決められた割合で支払う税金だが、これは国に対して支払うものなので、市に減税の権限はない。
二番目の「法人事業税」は、事業を行うにあたって、事業所を構える地域の道路や警察・消防などの公共サービスの利用に対して支払うという名目の税金だが、これは都道府県に支払う税金なので、やはり市には減税の権限はない。
杏子が減額すべきと主張しているのは、三番目の「法人住民税」の部分だけである。
法人住民税とは、市民個人が住んでいる自治体に支払う「住民税」と同じ種類のもので、法人が事業所を構える自治体に支払うものである。ただ、この法人住民税は納税先が2か所に細分化され、一部は市町村に、一部は都道府県に納税される。西東京市に事務所を構える法人の場合、法人住民税の一部を西東京市に、一部を東京都に納める。
こうしてみると、市が減額できる法人税とは極めて限られた額である。この減税で会社の競争力が高まるもでのではない。しかし、IT企業やインターネットを使ったサービスなど、場所を選ばない業態やリモートワークも増えている昨今、近隣の市や区で事業を行っている中小企業や、これから創業を計画している事業主に対しては、少額の減税でもアピールになるはず。市内にビジネスの拠点が増えれば、経済活動が盛んになり人も増え、街が活性化する、というのが杏子の主張である。
つまり、法人税の一部を減額することで、近隣の市区よりも法人税が少し安くなるから、西東京市で会社を登記するメリットが生まれ、会社が増えることで、人が集まり活気も出る、とタツヤは理解した。スマホで読むよりも、鋼三の話はずっと分かり易かった。やはり対面で教えてくれる生身の先生には敵わない。
話し終わると、鋼三はまた一枚の紙をタツヤへ向かって放り投げた。紙は長テーブルの上をスルスルと滑って、タツヤの前でピタリと止まった。書き直されたマニフェストだ。やはり白黒コピーで、大きなウォーターマークでDRAFTと書かれている。
そこには、伊藤杏子の公約として3つのことが大きく書かれていた。一番目が法人税の減税に関することで、「1.法人税を減税して中小企業に優しく、創業がしやすい西東京市を目指します。」と書かれていた。
二番目に待機児童ゼロ、、三番目には女性の社会地位の向上、が挙げられている。
それぞれの公約の下に、小さな文字で、問題点と解決策が完結に書かれていた。昨夜のものと比べると、かなり見やすくなっている。
鋼三は、待機児童と女性の地位向上に関しても、簡単に説明を加えて、自分の作業に戻った。タツヤは新しいマニフェストと演説予定表をジーパンのポケットにしまって、杏子が演説を予定している田無駅付近の商業施設へと向かった。
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