新人候補者2 インテリ・サラリーマン

タツヤと別れた後、アツシは西武新宿線の田無駅へと向かっていた。新宿から25分程と都心への通勤には比較的便利なこの駅の北側には、バスターミナルを挟んで6階建ての大きな商業ビルがあり、夜になっても人と車の往来が盛んである。対照的に、駅の南側は商業的な開発は進んでおらず、低層階の雑居ビルに居酒屋やコンビニのネオンが光る。スマホの地図アプリは、この南口界隈の雑居ビルを示していた。

ビルの入り口に立つと、それは一目瞭然だった。第一ボタンを外した真っ白なシャツにストライプの入った黒いジャケット。オールバックの凛々しい男が白い歯を輝かせて笑っている。その笑顔の写真の下に「黒田武彦」と書かれたポスターがガラス戸を覆い隠すようにべたべたと張られている。

ポスターの隙間から中を覗き込むと、7~8人のスタッフを前に、ポスターと同じ格好をした男が何やら話をしている。耳をそばだてれば中の会話を聞くこともできそうだが、ガラス戸越しにそんなことをするのは怪しすぎる。アツシは道の反対側まで下がって、中の様子を伺った。男の身振りから、会話をしているというよりは一方的に指示を出しているように見える。ポスターの隙間から何度か黒田と目が合いそうになったが、その度にアツシはスマホを見たり、遠くに人を探すような素振りをしたりして誤魔化した。

10分ほど経った頃だろうか、

「黒田に何か用ですか?」

と、一人の男が耳元で囁いた。

全く人の気配を感じなかったアツシは、驚きの余り「ひぃっ」と情けない声を漏らして飛び上がった。

「あっ、いやっ、その、、」

不意を突かれたアツシは適当な返事を見つけられない。

「落ち着け、落ち着け」アツシは心の中で繰り返した。そうだ、用事があるんだ。事務所に入るタイミングを計っていたところ、向こうから声をかけてくれたんじゃないか。渡りに船だ。でも、いつから俺のことを見ていたんだろう? 下手に怪しまれていたら、警戒されてインタビューなんかさせてくれないかもしれない。明日出直して、他のスタッフにお願いしたほうがいいんじゃないか? そもそも、この男は黒田武彦とどういう関係なんだろう? そんなことを秒速で考えた。

「ちょっと人を待ってまして、、」

と言いながらも、レスポンスを間違えたかな、、と、まだ考えていた。

「・・・」

男は無言でアツシの顔を見つめている。男の目は底のない沼のような色をしている。アツシは、まるで顔中の筋肉をスキャンされて思考を解析されているような気分になった。

「この事務所の人間に用事があるなら、呼んできますよ」

男は音声ガイダンスのような口調で、アツシの反応を試すように言った。

「見透かされている?」アツシは思った。ずっと見られていたのかもしれない。だとしても、自分は何も悪いことはしていない。中の会話に聞き耳をたてていたわけでもない。ただ、道の反対側から、事務所の方角に顔を向けていただけだ。どうやら、この男は事務所の関係者のようだし。ここは、ご厚意に甘えた方がいいか? 

ふと、アツシの頭に金城さんの顔が浮かんだ。ここで黒田とインタビューが取れれば、それは大手柄だ。明日、3人で集まったときに、既にインタビューが済んでいたなんて言ったら、彼女はどんな顔をするだろう? アツシの心に勇気が湧いてきた。

「黒田さんに用事があります。是非、インタビューさせて下さい」という言葉が喉元まで出てきたときに、突然、ガラガラッとガラス戸が空いて、中から大きな声が飛んできた。

「どうしたっ、鉄平っ」

想定外の方向からの想定外の声圧に、アツシは「ひぃっ」と漏らして、飛び上がった。

声の主は、オールバックの凛々しい顔つきの男だった。

「この青年が、黒田さんに用事があるようで」

音声ガイダンスの説明が入った。

「…いや、まだ言ってませんけど、、」アツシはうろたえたが、

「そんな所に立ってないで、入っておいでよ」

と黒田はオーバーリアクション気味にブンブンと手を振ってアツシを迎え入れた。


「ずっと外で見てたろ? 遠慮しないで入ってくればよかったのに」

バレてた。

目じりにシワを寄せてにっこりと笑う黒田の歯は不自然なほどに白い。

「ボランティア志望? 演説の人集めが出来るならありがたい。ビラ配りできる? 」

この男の勢いと圧はハンパない。

「あ、いや・・・」

「取材? ユーチューバー? チャンネル登録者数はどれぐらい?」

「あの・・」

「鉄平っ、明後日の行動ルートの見直しだ。もう一か所詰め込んでくれ。

「で、何分必要?」

「えっ?」

「ネットニュースの取材だっけ?」

「あ、はい・・・」

「じゃあ、そっち座って」

黒田は奥の黒い長ソファーにアツシを座らせた。ガラスのコーヒーテーブルを挟んで、上座側には3人掛けの黒い皮のソファー。その向かいには一人用の小さなソファーが置いてある。

黒田は給湯器から紙コップに入ったホットコーヒーを2つ運んできて、小さなソファーに腰かけた。アツシの位置からは黒田の姿しか目に入らない。

黒光りするストライプのジャケットから取り出した名刺を差し出しながら、

「最近は高校生でもユーチューブチャンネルなんかで政治ニュースを配信しているんだってね。僕はいいことだと思うんだよ。若い人が政治に興味を持って、思ったことを表現できるツールがあるなんて、最高だよ。君は大学生?」

手でコーヒーを勧めるゼスチャーをし、自分も一口すすった。

「あ、はい。ひばり大学、政治経済学部3年です」

背筋に冷たい汗が流れた。もう後戻りは出来ない。とりあえず、聞きたいことを聞いてしまおう。その後にユーチューブに乗せてしまえばウソにはならない。チャンネル登録者数のところだけは気にかかった。

「では、まず今回の出馬の動機を聞かせて下さい」

我ながらありきたりな質問だと思ったが、黒田は待ってましたとばかりに話し始めた。

「うん。僕はね、社会人として世界中を飛び回って、いろいろな国を見てきた。日本にはない良い所をたくさん見てきた。でもね、日本にも、実は良いところがたくさんあるんだよ。他の国が真似のできないような。外国へ行ったことのない日本人には、気が付いていない人も多いみたいだけどね。僕は、外国と日本の良いところをうまく融合させれば、この国はもっと良くなると思っているんだよ。それを、故郷である西東京市で実現したい! と思っているんだ」

スラスラと澱みのないテンポ。最後の「したい!」の所で力強く拳を握った。アツシは黒田ワールドに引き込まれてゆく。

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