先攻の権利
金城さんとはカフェテリアを出たところで別れた。アツシとタツヤは肩を並べて家へ向かった。2人とも大学からは徒歩圏内のアパートで一人暮らしをしている。お互いの部屋に遊びに行くこともしばしばあったが、どちらの部屋も1DKの小さな空間で、客用の布団なども用意していないので、泊まることはめったにない。それでも、日の出の早い初夏のころは、朝方まで話し込んで、夜明けとともに自宅へ帰ることもあった。アツシは空が白々と明けるころの静寂に包まれた町を歩くのが好きだった。おそらくタツヤも同じだろうと勝手に思っている。
しかし、冬はそうはいかない。肌に突き刺さる朝の寒さは、2人の間で取り交わされる無意味な会話とは到底バランスが取れない。帰りの辛さを考えると、お互いに相手の家に寄ることすらおっくうになる。
今日も、お互いがこのまま各々の家に帰るのだろうという暗黙の了解のもと、いつもの道を歩き始めた。
「金城さんって、なんかヤバいな」
タツヤがぼそりと呟いた。
ヤバい? どういう意味だ? アツシは動揺した。
まさか、タツヤも金城さんに気があるのか? タツヤの背中に一筋の冷たい汗が流れた。こういう場合、先に「気がある」と表明した者に、先に攻撃権が与えられる。それがこの世界の不文律だ。もしタツヤが「気がある」と宣言をしてしまったらどうする? 迫りくる最悪のシナリオに焦りが広がる。認めたくはないが、答えは一つしかないことをアツシは知っている。黙って身を引くしかないのだ。しかも、タツヤのような親友の場合、仮に彼がフラれたとしても、じゃあ、次は僕が、なんて気軽にアタックできるものではない。親友の女には手を出さない、というのも、この世界のルールである。だからといって、「ちょっと待ったぁ。俺に先に言わせろ!」とタツヤの言葉を遮るほどの勇気もない。金城さんに対する自分の気持ちをさらけ出す覚悟もない。結局、行動力のある者が全てを手に入れる。アツシには、既に打つ手はない。スローモーションのようにゆっくりと開くタツヤの口から発せられる、次の言葉を待つしかないのだ。アツシはじっと奥歯を噛んだ。目の前の景色が少し歪んで見えるのを感じた。
「あの子も起業家タイプだな」
「は?」
「情報量がすごいっていうか、なんか一歩先を行ってる」
「はぁ」
「なんかオレ、ひらめいたんだ。マンガとかでよくあるじゃん、頭の中で電球がピカッって光るみたいな」
「あ、あぁ…」
「あんな感じでさ、金城さんと話してるときに光ったんだよ。みんなで話し合いをして決めてから動いてたんじゃ遅いんだよ。動いてみてから判断する。起業家はそうでなくちゃだめなんだよ」
「お、おぉ…」
アツシは、とりあえずホッとした。タツヤの真剣な表情をみて、少し申し訳ないような気分にもなった。
「そういう意味では、お前、もうロゴは作ったじゃん」
取り繕うように、冗談とも慰めともとれるような口調で言った。
「まぁ、そうだな・・・」
満足そうに頷くタツヤは、少し間をおいて続けた。
「おれ、今から伊藤杏子に会いに行ってみるわ。なんか、じっとしてらんない。とりあえず事務所に行ってみるわ」
真面目な顔でアツシの肩をポンと叩き、走って行ってしまった。
悪く言えば短絡的。良く言えば行動的。
走り去る後ろ姿を見送った後、街灯の下にぽつりと残されたアツシは、ジーパンの後ろポケットからスマホを取り出した。写メしておいた金城さんのノートをスクロールし、黒田武彦の事務所の住所を探した。
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