新人候補者
日本の公職選挙法では、候補者が選挙運動をして良い期間は、告示の日から投票日前日までと決められている。この選挙運動とは、街頭演説にとどまらず、公約などの発表も選挙運動とみなされる。候補者が告示日前に出馬表明することも、選挙のための売名行為、すなわち選挙運動だと指摘する学者もいる。
そんな中、告示前にこれだけのリストを作っていることにアツシは感心した。
「ネットで拾った情報だから、実際は違ってくるかもしれないけど」
と金城さんは控えめな声で言った。
西東京市の市議会議員の定数は28。それに対して、リストには31人の名前が連ねてあった。再選を目指す28人の現職議員と、無所属の新人が3名である。
「こいつらが西東京市を牛耳る政治家達か」
表情は真剣だが、口調はどこか抜けている。真面目なのか冗談なのか? とりあえずタツヤのコメントはスルーした。
「この新人3人が面白そうだね」
アツシは3人のプロフィールを読みながら言った。
昔から、選挙は地盤・看板・鞄と言われる。その土地にゆかりがあり、名前が知られていて、お金がある、という3要素が必要だという比喩である。少なくとも、地盤、看板の点では現職が有利である。仮に現職の28人が再選を目指すというのであれば、その牙城に無所属で挑むというのは、それなりにハードルが高い。どんな人物がどんな勝算を持って立候補するのだろう? アツシの好奇心が刺激される。金城さんの情報によると、3人の新人はそれなりの経歴を持っているようだった。
新人候補者1
西東京市出身。地元の小・中・高一貫校を卒業後、社員30人程度の中堅IT起業に事務職員として就職。そこで得た知識と人脈を元に、副業としてファッションECサイトを立ち上げる。立ち上げから2年、事業が軌道に乗ったところで独立。現在は本人がデザインした服を、国内の提携縫製会社で外注製造。運送会社が提供する在庫管理・発送サービスを利用し、社員3名で推定年商は1億円。起業及び中小企業に対するサポートの拡充が出馬の理由。愛読書はマーク・トウェイン著トム・ソーヤの冒険。
新人候補者2
西東京市出身。都内有名私立大学卒業後、外資系投資銀行に就職。30歳の時に1年間のアメリカ・ニューヨーク赴任経験を持つ。学生時代にも、3回生の秋に2か月間の留学経験あり。36歳で外資系コンサルティング会社に転職。国内大手金融会社が主なクライアント。最終肩書はマネージャー。将来的には国会議員を目指すが、政党の歯車になるのを嫌い、無所属地方議員からのステップアップを目指す。愛読書はマキャベリ著君主論。
新人候補者3
東京都練馬区出身。都内国立大学の法学部卒。卒業の年に司法試験に合格。都内の弁護士事務所に入所。10年務めた後に西東京市に個人事務所を開設。人権問題、労組調停、不当解雇問題などには得に精力的に取り組んだ。近年はブラック企業から従業員を守る立場、クレーマー社員から企業を守る立場の両方の立場で弁護を行うなどして批判を浴びることもあった。愛読書は内村鑑三著代表的日本人。
この3人の新人が立候補することになれば、課題を進める中で面白い題材になりそうだ、という意見で一致した。しかし、まずは2日後の告示を待ってから詳細を決めることにして、この日は解散した。
そして2日後、アツシは改めて驚くことになった。金城さんのリストは的中した。市議会選挙に出馬したのは、現職の28人とリストに上がっていた新人3人。合計31人だった。
公式に選挙が始まった告示日の夕方、3人は再度、大学のカフェテリアに集まった。
「新人3人の選挙期間中の活動と、それに対する市民の反応の変化をまとめる。そして投票結果と照らし合わせて選挙戦を考察する、って流れでいいよね?」
この場はアツシが仕切っていた。自分がタツヤを誘った手前、というのも理由の一つではあるが、なによりも、金城さんに少しでも良い印象を与えたいという気持ちが、アツシのやる気を駆り立てた。
「ちょうどオレ達も3人だから、それぞれが一人を取材することにしようか」
選挙活動を追うといっても、大学の授業を受けながらの活動になる。効率よく行わなければ3人分の濃い内容に仕上げることはできない。しかし、取材といっても、どこまで踏み込んだ情報を取ることが出来るのか、発言しているアツシにも分からない。そんな不安を感じながらも、今のアツシは、この場をかっこよく仕切ることに集中していた。
「わたし、、」
慌てたような様子で金城さんが声をあげた。
「あの、、わたし、、、三條さんの担当でいいかな?」
いつもより少し声を強めた金城さんに、アツシは若干驚いたが、もちろん異論はない。
「オレは伊藤杏子って女起業家に興味があるな。選挙以外のことも色々聞いてみたいし。オレ、この人担当でいい?」
タツヤが続いた。起業家志望のタツヤが彼女に興味を持つのはごく自然のことだ。アツシも女性の起業家には興味があったが、ここはタツヤに譲ることにして、アツシは外資系コンサルタントの黒田の担当となった。
「じゃあ、金城さんはおじいさん弁護士、タツヤは女起業家、俺はインテリ・サラリーマンで決まりだな」
アツシが役割を確認すると、金城さんは微笑みで答える。
タツヤは、まるで遊園地のアトラクションの順番待ちをしている子供のような表情で、
「で、何すればいいんだ?」
と、今にも飛び出しそうな勢いで尋ねた。
「とりあえずは街頭演説を聞きくところから始めようか」
アツシの言葉を待っていたかのように、おもむろに金城さんがテーブルの上にノートを広げた。そこには、向こう数日の3人の候補者の街頭演説のスケジュールが記されていた。
「おーぉ、、」
タツヤはまるで未知の絶叫マシンを目の前にしたかのような驚きの声を漏らした。
「よく調べたね、、、」
アツシもため息交じりに声を漏らした。
「これもネットで、、私、選挙オタクみたいだよね」
金城さんは自嘲気味に口元をほころばせる。
「候補者にインタビューとか出来ればいいなって思ったんだけど、選挙中に学生相手に時間を割いてくれないよね」
徐々に声が小さくなる金城さんを励ますように、アツシは敢えて力のある声で、
「とにかくさ、明日、早速演説を聞きに行こうよ。その後も、何度か演説を聞きに行って、顔を覚えてもらえれば、協力してもらえるかもしんないし」
仮にインタビューが叶わなくても、日を変えて何度か演説を聞きに行けば、集まる人数や反応の変化がみられるかもしれない。それだけでも、課題をまとめる材料にはなり得る。
「思い立ったが祭日。すぐやろう」
タツヤはノリノリだ。
「吉日だろ」言ってアツシは後悔した。こんな訂正は会話をシラけさせるだけだ。
タツヤは気に留める様子もなく、「新人3人の選挙運動に」と空になったカフェラテのカップを掲げた。アツシと金城さんもエスプレッソカップとサーモボトルでそれに倣った。
「乾杯!」と声を揃える3人の顔に、明日からの一週間への期待が滲んだ。
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