序 - 2124年、北京 - 歴史の分岐点

「脳みそ、出来たかい?」

マルガリータ大統領の問いかけに、リュウはゆっくりと頷いた。

「過去200年の、全ての時代の全ての地域の全ての人種?」

「はい」

劉は小さな、しかし、しっかりとした声で答えた。

劉の答えにマルガリータ大統領は満足した笑みをこぼし、ラー主席に了解を求めるように目配せをした。拉主席はそれに応えるように、ゆっくりと頷いた。

「オーケー、リュウちゃん。事の顛末を説明しよう」

そういってマルガリータ大統領は近くにあった椅子に腰を掛け、高々と足を組んで話し始めた。その概要は次の通りである。


今回のG7で採決を目指す北京議定書の核心は、地球規模の異常気象対策である。過去百年、いろいろな取り組みが試みられたが、全ては失敗に終わっている。その原因は、共通の目標を掲げても、各国の足並みが揃わないことにある。そこで、共通の目標を持つのではなく、各国の経済環境、自然資源、人口、主要産業などを考慮し、それぞれの国に独自の達成目標を設定する。そうして、大国から小国まで、全ての国に解決に向けた具体的な行動を義務付けたいと考えている。この案を国連総会で提案する前に、先進7カ国がそれぞれの目標を設定し、活動を始め、見本を示す、というものが議定書の趣旨である。


そこで、メキシコの政府及び研究機関で、異常気象抑制のために各国がどのような目標を設定すべきかについてシミュレーションを行ったという。

「その結果、どうなったと思う」

答えに窮する劉を見て、いたずらっ子のような笑顔を浮かべてマルガリータ大統領は言った。

「手遅れなんだと」

「は?」

「今から何をやっても、異常気象の暴走は止められない」

大統領は説明を続けた。


今年の秋に始まる超大型台風の連続発生を皮切りに、大雨による大水害や山火事による森林焼失が常態化し、人類は住居と耕作地の大半を失うことになる。各大陸で餓死者が続出し、食糧をめぐる争いが拡大してゆく中で、人類は滅亡の道を歩むという。

「笑っちゃうだろ。いままで遊び続けたツケを払う時が来たらしい」

「そんな・・・全世界に向けて緊急事態宣言を発令して・・・」

「無駄だよ。今までの歴史が示しているだろ。実際に自分の家が燃えるか流されるかしなきゃ、人間ってのは理解できないんだよ。それに・・・

「さっきも言ったろ。今日、全ての経済活動を停止させて、世界人口の百億人全てで木を植えたとしても、もう間に合わない」

「打つ手は何もないと?」

「今からはな。だから・・・」

「だから?」

「過去を変える」

そう言って、マルガリータ大統領はマーチ大統領へと目配せした。会話のバトンを受け取ったように、マーチ大統領は落ち着いた声で説明を始めた。


「時の流れというものは、過去から現在に至るまで、一筋の河のように繋がっています。流れるなかで、時には大きなうねりを形成し、多くの場合、そのうねりは歴史のイベントとして記録されます」

彼の声は紳士的で、どこか丸みを帯びたような響きがあった。拉国家主席の威圧感とマルガリータ大統領の軽薄感にストレスを感じていた劉の神経に、マーチ大統領は一片の安心感を与えた。

「しかし、そんなうねりとうねりの間には無数の分岐点が存在します。歴史を語るうえではスポットライトを浴びることはありませんが、時の流れる方向を、すなわち歴史の流れを左右する分岐点です。

「時のうねりの力は強大です。タイムマシンを使っても、人類は時のうねりを止めることはできません。しかし、時の分岐点で流れの方向を少し変えることは可能なのです。

「戦争や産業革命などは、大きな時のうねりです。これを無かったことにすることはできません。しかし、後の独裁者や物理学者となる人間が、その時、その地で、生まれなかったことにすることはできるのです。」

そこまで聞いて劉の神経から安心感は消滅し、顔色は見る見る青く変色していった。


「過去を操作しようというのですか?」


思わず声がこぼれた。

「いや、それは不可能だ」劉は思った。外交上、時空の取り扱いは極めて重要かつ繊細な国際案件である。劉はタイムマシンについて無知ではなかった。

「タイムマシンで時空を飛ぶことが可能なことは証明されています。しかし、有機生命体は時空を旅することが出来ない。ヒトが過去に戻れない以上、過去を変えることは不可能なはず・・・」

そこまで呟いて、劉の頭の中で点と点が結びついた。

「だから、アンドロイド・・・」

劉の言葉に、マルガリータ大統領がゆっくりと頷いた。

「さすがリュウちゃん、拉主席が一目置くだけのことはある」

マルガリータ大統領の何気ない相槌に、劉はドギマギした。

「拉国家主席が、私に、、一目置いている?」

青かった顔はみるみる赤くなり、照れと喜悦に汗が噴き出してきた。まるで高値の花と憧れていたクラス一の美人から突然好意を告げられた学生のように、劉は俯いたままモジモジと体を揺らした。拉主席をチラリと見たが、目を合わせる勇気は出ない。

「我々は異常気象の暴走につながる時のうねりを捉え、過去へ向かって流れを遡りました」

マーチ大統領は、穏やかな声で説明を続けた。

「そして、流れの方向を変えうる、一つの分岐点の検出に成功しました」

いつ・・・どこ・・・劉は我を取り戻し、息を止めた。マーチ大統領はゆっくりと答えた。


「今からちょうど100年前の、日本です」


トルコ国立研究機関が見つけ出した歴史の分岐点は、正確に言うと2024年、東京都西東京市で行われた市議会議員選挙であった。この選挙結果を少し操作することで、異常気象の暴走へとつながる時の流れを変えることができるのだと。

しかし、劉の頭にはまだ解決できない問題点があった。

「アンドロイドを過去に送ることは技術的には可能かもしれませんが、時空の操作は国際法で硬く禁止されています。国連機関も国際法に基づいた時空の監視を行っています。他国に気付かれずに時空を飛ぶことは不可能です」

「リュウちゃん、その時空監視プロトコルを作ったのは誰だ?」

「確か、G7主導のもと、COP20の参加国で制定されたと?」

「その通り。つまり、G7で骨格を作って、各国に承認を得た。その骨格作りは先進7カ国共同で行ったわけじゃない。実際に作業にあたったのは中国、トルコ、メキシコの3カ国。そして、プロトコルをデザインする際に、ちゃんと穴も用意していたんだよ」

「穴?」

「他の国には知られないように、時空を移動する抜け穴さ」

軽いトーンで恐ろしい話をする大統領。劉は言葉を失った。

「しかし・・・

劉は払しょくできない恐怖を、力のない言葉で絞り出す。

「過去を操作するのは危険過ぎます・・・」

助けを求めるように、他の2人の首脳へと目をやった。

「人類の滅亡以上の危険など考えられますか?」

マーチ大統領は諭すような口調で尋ねた。

「現在の科学技術の粋を集めた分析では、100年前の日本の地方選挙の結果を少し操作することで、時の流れは良い方向へと向きを変えます。それが分かっていて、何も手を打たないわけにはゆきません」


過去を変えることには大きな危険が伴う。日本の小さな地方選挙とはいえ、その結果を変えることで、歴史は不可逆的に書き換えられてしまう。その影響はどこにどのような形で現れるのか分からない。今この部屋にいる4人の男たちの人生にも影響があるかもしれない。最悪の場合、この世に存在しないことになってしまうかもしれない。劉の前に立っている3人の首脳は、それを承知の上なのだ。

「世界を救えるんだぜ。歴史上決して語られることのない、世界を救ったヒーローなんて、ロマンチックじゃねえか?」

口を閉じたまま会話の行方を見守っていた拉麺麻国家主席が劉の前に歩み出た。

「君の懸念は分かる。しかし、我々には時間がないのだ」

拉主席の声を聞いて、劉の頭の中にかかっていた黒い霧が消えた。

自分は一官僚の分際で、何をごちゃごちゃと3人の首脳に対して意見しているのだ。時間が無いとこは明白である。一週間前にアンドロイドのソフトの準備を始めたのも、1日も無駄にしたくない表れだ。トルコで歴史の分岐点を探している間にソフトを用意しておき、分岐点が検出でき次第、その場所と時代にあった情報をアップロードし、アンドロイドを送りたいのだ。

「大型の台風が北上を始めている。北京が被災する前に手を打たなければ、手遅れになってしまうかもしれぬのだ」

そうだ。人類滅亡へと繋がる超大型台風の連続発生が、既に始まっているのかもしれない。今が、最後のチャンスなのかもしれない。

「ごちゃごちゃと失礼を致しました」

劉は拉主席に敬礼をもって答えた。

「ハードの製作にはどれだけの時間がかかる? 100年前の日本人型アンドロイドだ」

「はい。それならば、3Dプリンタで1時間もあれば製作できるかと」

「ならば直ぐに取り掛かれぃっ!」

拉主席は会議室のドアを指さして劉に命令した。

「はいっ!」

劉は3人の首脳に深々と頭を下げて、会議室から駆け出して行った。

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