02 奪われた幸せ

 薬局の自動ドアを潜り、薬局に入る。今日はあまり混雑していない、このことに胸をなで下ろす。

 受付カウンターに行き、薬剤師さんに処方箋などを手渡したあと、ソファベンチに深く座り、バッグをここに置く。そして、バッグの中のスマートホンを探ろうとする矢先、着信音が鳴り響きドキッとする。

 相手はきっと芽生めいに違いない――。こう確信し、スマートホンを大慌てで探す、が、こういうときに限ってなかなか見つからない。

 なかなか見つからないスマートホンにいら立ち始めたとき、財布の下から見つかった。

 バッグの中からスマートホンをすぐに取り出し、着信相手を確認すると――やはり芽以だ。

 バッグを肩に下げ「いったん失礼します!」と薬剤師さんに告げ、薬局をそそくさと出る。

 スマートホンのディスプレイをスワイプし「もしもし?」と応対すると「充!!」と芽以が耳を劈かんばかりの勢いで応答する。

「め、芽以……」

「診察! どうだった!?」

「い、いつもと特に変わらないよ……」

 芽以は本当に心配性だなあとそんな彼女に困惑しつつこう答えると「なら、よかったあ……」と安心したように思いを口にする。

「充のことがとにかく心配で心配で……」

「芽以……」

 罪悪感――変えられない過去が原因で芽以を不安にさせてしまう、不安にさせる――私はそんな彼女に何も――。

「ねえ、充」

「……ん?」

 数秒間の沈黙ののち「あの日の自分を絶対に責めないでね、ううん、あの日の自分を責めることは間違っているよ。それに、自分の感情を殺してしまう前に私を頼ってほしいの、ううん、頼って、絶対に」と語気を強め、私に思いを伝えた。

「……ありがとう」

“ありがとう”

 この5文字を発したとき、涙が頬を伝い、これがこぼれ落ちて、アスファルトに小さな水玉模様を作った。

 芽以とこれ以上話したら涙が止まらなくなる、こう判断し「電話、とりあえず切るね。ごめんね。本当にありがとう」と伝え、一方的に電話を切った。

 芽以……ごめんね、ごめんね……。

 スマートホンを強く握りしめ、薬局に戻る。

 と「ああ! 呉島さん! お薬ができあがりましたよ!」と女性の薬剤師さんが大声で知らせ、受付カウンターに慌てて向かう。

「ごめんなさい、お待たせしてしまって……」

「いえいえ、大丈夫ですよ」

 薬剤師さんのおだやかな表情に安堵のため息をつく。

「体調はいかがですか?」

「ああ、特に変わりはありません。先生に新しく追加していただいたレクサプロは自分の体に合っているみたいで。副作用も特にありません」

「そうですか」

 にこっと微笑し、薬の説明をいつも通り始める。耳に胼胝ができるほど聞いたそれを話し終えてから一包化された袋を慣れた手つきで薬袋に入れたあと、それをビニール袋にさっさと入れる。

 その後、私は、ビニール袋の代金を支払い「ありがとうございました」と礼を言って一礼し、薬局を出た。

 薬局を出たあと、ちんたらとした足取りで自宅に続く道を歩く。ここから自宅まで約数十分はかかる。

 容赦なく照りつける日差し、これが原因で自宅までの道のりが地獄に感じられる。

「はあ……」

 漏れるため息――だが、仕方がない。

 バッグをかけ直し、がさごそと耳障りなビニール袋を携えながら、自宅に続く道のりをだらだらと歩いたのだった。

 しばらく歩き続け、自宅の近所にあるコンビニエンスストアにまで戻ってきた。ここの交差点を渡った先にある古い住宅街、そこの一角にわが家はある。

 ここの交差点の横断歩道に立ち、信号が青色に変わるのを待つ。

 と。

「つる……充……」

“充”

 私の名前を呼ぶ、まるで陽だまりのようにあたたかなその声――その声の主を私は覚えている、違う、その声の主が忘れられないのだ。

「巡、お姉ちゃん?……巡お姉ちゃん!!」

 巡お姉ちゃんの名を叫び、はっとする。一体何を……。それに、巡お姉ちゃんはもうこの世にいないのだから……。

 俯いたとき、横断歩道の信号が青色に変わったことを告げる、軽快なメロディーが流れる。

 面を上げ、周囲をぐるりと見回す。私のことなぞ誰も気にも留めない。彼らは、まるで自分の人生を歩むかのように横断歩道を横断し、これを渡った先にある各々の目的地に向かう。

 無関心は優しい、だけれども、痛い。

 ビニール袋をぎゅうっと握りしめ、私も横断歩道を渡る。横断歩道を渡った先にあるわが家――彼女がきっとそこで私の帰りを待っている、待ってくれているに違いない。

 横断歩道を渡りきり、住宅街を足早に歩き、自宅を目指す。息を切らし、吹き出る汗を腕で拭いながら自宅を目指す。と、2階建ての青い屋根の一戸建てが視野に入る。わが家までもう少しだ。

 息を切らしながら歩き続け、我が家にようやく到着した。呉島という御影石の表札を見て、わが家に帰ってきたと安心する。

「着いた……」

 黒色の門扉をがしゃんと勢いよく開け、これをすぐに閉める。そして、石段をバタバタと駆け上がり、これを昇りきるなり玄関引き戸をガラッと開けて「ただいま!」と帰宅時の挨拶をする。

 と。

「充ちゃん! お帰りなさい!」

 祖母が居間から顔を出し、にこやかな笑顔で私を出迎える。

 祖母――よねおばあちゃんの笑顔を見ると、心が和らぐ。

「診察はどうだった? 充ちゃん」

「変わらないよ、いつも通りだよ」

 米おばあちゃんの下に駆け寄り、笑顔でこう伝えた瞬間「充ちゃんのいつも通りが私にとっての何よりの財産だよ」と目に涙を浮かべてそう話す。

「おばあちゃん……」

“いつも通り”

 肩からバッグがずり落ち、手からビニール袋がすべり落ち、私の顔から笑顔が消える、消えた。

「充ちゃん……充ちゃん……」

「おばあ、ちゃん……」

「ごめんね……ごめんね……あさひが……旭があんなことをしたせいで……。旭が……あの馬鹿息子がもっとしっかりしていれば……。充ちゃんも巡ちゃんも早紀さきさんも……皆……皆……」

「ううん……ううん……。お父さんは……お父さんは何も悪くない……何も悪くないよ……お父さんは……」

“お父さんは何も悪くない”

 父親を庇うこの声はきっと震えているに違いない。

「充ちゃん」

 泣いている、それなのに、私の名を呼ぶその声は力強くて。その力強さは自分が父親の母親であることの責任を自覚している、その表れだと思った。

「一家の幸せを奪ったのは紛れもない、私の息子と私なのよ」

 今、その発言が私の中にある大切な何かをぐさりと一突きした、そんな気がした。

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