第4章 特別な存在

第37話 「なんちゃん専用、だよ?」

 翌日。現場解体の仕事であまりに汗を搔いたので、一旦家に帰ってシャワーを浴びると、俺は急いでお姉さんの部屋へと向かった。 


 そして約束の時間。一旦呼吸を整えてから、マンションのエントランスでお姉さんの部屋番号を押した。

 久しぶりの感覚に、心臓がまだかまだかと囃し立てるのを感じる。けれどそれ以上に、嬉しさで胸がいっぱいだ。


 そしていつも通りエレベーターに乗ってお姉さんの部屋の階で降りると、今日もお姉さんは玄関からひょっこりと顔を覗かせながら俺が来るのを待っていた。


 なんなの? めっちゃ可愛いんだけど。そう思うとまた口元がにやけそうになってきて、それを必死に堪えながら近づいていく。


「へへ。なんちゃんだー!! 嬉しい。待ってた」


「……っ!! お、お待たせしました」


 なんて答えるのが正解なのか分からず言葉に詰まりながら返事をすると、お姉さんは俺の手首を掴んでぐいっと玄関の中へと引き込んだ。


 そして扉が閉まるや否や、お姉さんは俺の腰のあたりに抱きついた。


 玄関で出迎えられてすぐに抱きつかれるこの状況に、米田先輩の言葉がふと過る。


 ――『浅見さんと付き合ってんの? それとも結婚してんの? ……何、新婚?』 


 決して、決してそんな事はないのだけど。会ってすぐにこうも待ち焦がれていたように抱きつかれると、俺だって脳がバグって抱きしめたくなってしまう。けれどお姉さんはお客さん。だからその気持ちはぐっと腹の奥へと押し込んだ。


 するとお姉さんは俺に抱きついたまま俺を見上げて話しかけてきた。


「あれ? なんちゃん、今日はいつものナンデーモTシャツじゃないんだね」


「ああ、はい。夕方までの仕事で汗掻いちゃいましたし、直帰していいって言われたから、まぁいいかなって思って。私服の中からそれっぽいの選んで着て来ました」


「そうなんだ。……私服っぽくて、好き」


(抱きしめたいのを堪えてるのに、好きとか言わないで欲しい。嬉しいけど)


「でも、内緒にしててください。バレたら怒られるかもなんで……」


「ふふ。なんちゃんと私だけの秘密、だね♡」


(なんでこんな意味深な言い方をするんだよ!!)


「……はい」


 心の中ではいろいろ激しくツッコミを入れつつ。口では平静を装ってしまうのは、これが仕事中だからなのか、俺の性格ゆえなのか。



 玄関でそんなやりとりをしてから、部屋の中に入って行く。


「そういえば、お姉さん今日は可愛い服ですね。髪とかも……巻いたんですか?」


「そうなの! 今日はなんちゃん来てくれるって思って。着たかった可愛い系の服に合わせて髪も巻いちゃった♡ ……可愛い?」


 お姉さんはそう言いながら、巻いた髪を両手で少し持ち上げて伺うような上目遣いで聞いてきた。


 ……その顔。可愛い過ぎるからやめて欲しい。と思いつつ。


「はい、可愛いです。……少し、目のやり場に困りますけど、その服装」


 そう言って目を伏せた。今日のお姉さんの服装は、華奢な肩が惜しげもなく出された肩出しトップス(いわゆるオフショルダー)に、細くて綺麗な足が惜しげもなく晒されたミニスカートなのだ。


 セクシー系じゃないのに目のやり場に困るってどういう事だよと思いつつ。

 肩紐ないけど下着とかどうなってるんだよ、とも思いつつ。一番思ってしまうのは……その服、ズルっていったらどうするんだよ!!!! ってこと。


 けど、そんな事は口には出せなくて。目を泳がせていると、お姉さんが拗ねた子供みたいな顔してグイッと近づいてきた。


「えー。なんちゃんに見て欲しくてのに。なんちゃんが見てくれないと意味ないよー」


 至近距離から俺を見上げるお姉さんとの距離感に、思わずお姉さんの綺麗な鎖骨と胸元に目が行った。


(うああああ、この角度。ズルっていったらどうするんだよ、ズルって)


 まだ玄関入ったばかりなのに、俺の心の声が煩くて。正気を取り戻そうと意識を働かせた時、ふと気になった。


「え……? ? お姉さん、また新しく服買ったんですか? しかも俺に見せるために?」


「……うん、買っちゃった♡ 誰かに見せたくて買ったのは初めてだよ。だから、この服は♡」


 ……もう。その意味深に聞こえる言い方、本当にやめて欲しい。俺の理性がまた、どこかに行ってしまいそうになる。


 ただでさえこんな……密室だというのに。

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