第31話 いちゃいちゃと、失態

「なんかね、自分が出来ないことは自分が1番出来ないって分かってるじゃん?」


「はい、それはそうですね」


「だから、化粧品もアクセサリーも、その他の仕事でも、自分がこうしたいーってイメージを、実現してくれそうな人に『こうしたい』って伝えて、その人たちに叶えてもらってたの。そしたら、トントン拍子に仕事がうまくいっちゃって……『敏腕女社長!』みたいなイメージ持たれちゃってさああああああ」


 外では『敏腕オンナ社長』のはずのお姉さんが、俺の前では子供みたいに弱音を吐きはじめた。外で何と言われていようと、本人の中ではそんなつもりがないんだろうな。


 それでも、誰もが真似して出来ることではないし、お姉さんの人当たりの良さだったり、人を見極める能力だったり、それまで積み上げてきた知名度だったり、いろいろな能力があってこそなので、お姉さんはすごいと思う。


 けれど、今はそこを褒めても嬉しくはないんだろうなぁ。そう思ったから。


「んにゃっ!!」


 俺は俺に抱きついたまま俺を見上げるお姉さんのほっぺを、両手で挟んでみた。


「あはは、お姉さん、変な顔ー。タコみたいになってますよ」


「ん、もおおおおおおおお! なんちゃんのバカっ」


 口ではバカとか言いながら、少し嬉しそうだ。もてはやすより対等な立場でいる方が、お姉さんの素に合ってるのかもしれない。


「いつまでも俺に抱きついてるからですー」


「え、あ、ごめんっ。つい!」


 俺の言葉に、咄嗟に腕を解いたお姉さんに俺は言葉を続ける。


「まぁ、いいですけどね。外でのお姉さんを知って、俺も実際、うわ、すげえええって思った口ですけど、俺の前で見せる素のお姉さんも俺は好きですよ。ほら、他にもまだ着てない着たい服があるんでしょ? 今日はもう、このままファッションショーでもしましょうか」


 そして俺はまだ散らかったままの服の山を指差してそう言った。


 たぶん、外ではかっこいいイメージが定着してしまっているお姉さんは、それを壊して失望されるのを怖がっている反面、自分をさらけ出せる相手が欲しかったんだろう。


 そしてその相手がどういうわけか俺だったのなら、俺くらいはお姉さんの弱音を受け止めてあげる存在になりたいと思う。


「えー何その提案、最高じゃん! もう、なんちゃん大好き!! 今日はいっぱい着たかった服着ちゃう。……でーも、その前にぃいいいいい!!」


 お姉さんはイタズラっ子みたいな顔をして、俺の両頬を両手で挟もうとしてきた。


「ちょ、なんですか、お姉さん!!」


「……なんちゃんだけ私のタコの顔見てずるい!! 私もなんちゃんのタコの顔見たい!!」


「え、いやですよ、なんですか、それ!!」


「えーズルいズルいズルい!!」


 子供のじゃれ合いみたいになってきて、いつの間にかソファーの周りで追いかけっこ状態になっていた。そして――


「へへっつーかまーえたぁ♡」


 どうなったのか気付けばお姉さんは俺の腹の上に馬乗りになっていた。


「ちょ……!!」


「なんちゃん、かーくごー!!」


 楽しそうなお姉さんの表情の元、俺はお姉さんの両手で両頬を挟まれてしまったのだけど。


(この体勢、……キスしてしまった時と同じ体勢じゃん)


 俺がそう意識してしまった時、お姉さんの表情も変わって……


「……なんちゃんって、唇可愛いよね」


 急にそんな事を言い始めたから、ドッと顔面から血が吹き出しそうになった。


「あれぇー? なんちゃん、顔、タコみたいに真っ赤だよ? ……可愛い」


 そしてお姉さんはふわっとまた俺に抱きついて。


「……ねぇ、ちゅーしたい」


「!!」


 まるで本能の赴くままに発したようなその小さな声に、俺は抵抗することも忘れて、……ゆっくりと近づくお姉さんの唇に、つい、目を閉じてしまった。


 すると間もなくして微かに2人の唇が重なった気がした。その瞬間、ー気に離されて、お姉さんは『なーんちゃって!!!! ごめん!! うそ、ごめん!! つい!!』真っ赤な顔して慌てるように否定した。


(……ウソって、いや、今……微かにだけど、確かに唇触れたじゃん!!!!)


 そう思うけれど、それは言っちゃいけない気がして言えなくて。


「そーゆーウソを言う口は、どの口ですかああああああああ!!」


 俺は冗談半分で怒るようにお姉さんの両頬を摘まんだ。


「うえー。ごめんなひゃいいいいいいいい」


 もう完全にどっちが年上でどっちが依頼者なのか分からなくなってきた。けれどこんな冗談混じりのじゃれ合いも心地いいなと思う。外では敏腕女社長のお姉さんの、こんな素の部分を知っているのはたぶん俺だけ。それがなんとなく……嬉しい。


 そう思った時。


 ――けたたましく俺のポケットに入れてたスマホが鳴った。


「はい、南谷です!」


 慌てて電話に出てみれば、それは俺のバイト先の米田先輩からで、ちらりと横目で時計を見ると、いつの間にか延長したはずの時間もとっくに過ぎていた。


『南谷ー。連絡ないけどまだ浅見さんのとこ? 終わってたら俺の仕事先手伝って欲しいんだけど……』


「え、あ、すみません! すぐ向かいます! 住所送ってください!!」


 そのやり取りから察したお姉さんは、俺の電話してるわずかな間に今日の代金を用意してくれていて。


 電話を終えると、俺の手に握らせた。


「なんちゃんごめん!! 時間過ぎちゃってたね!! 急いで行って来て。おつりはいらないから!!」


「え、そんなわけには!!」


「いーいーかーら!! ほら、先輩待ってるんでしょ!?」


 そう言ってお姉さんに背中を押されて玄関まで送り出されたから……


「あ、ありがとうございます!」


 後ろ髪引かれつつ、俺は次の現場へと急いで向かったのだった。



 ――だから俺は、気付いていなかったんだ。


 お姉さんから――『次回予約』をもらうのを、すっかり忘れていたことに。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る