第24話 仲直り

「えっ!? そ、そかな。何も、ないよ!?」


 お姉さんは慌てたようにそう答える。けれどどことなく目が泳いでいる。絶対何もないはずがない。


「そうですか? 何もないようには見えないですけど。……もしかして、俺が昨日お姉さんの事、バカとか言ったから怒ってますか? 失礼な奴だな―って。だとしたらすみません」


 そうじゃない気もするけれど、そうかもしれない可能性も否定できなくて謝った。


「え、えええ、そ、そんなこと、全然!! ないないないない。嬉しかったもん。むしろ」


 するとお姉さんは食事する手を止めて、顔をブンブンと振りながら否定した。その様子に嘘はないようだ。


 その仕草にほっとする。ああ、やっぱり、あの時嬉しそうだったのは間違いじゃなかったんだ。けれど、だったらどうして今日は他人行儀になっているのだろう。もしかして、キス……してしまった事を気にしているのだろうか。


 けれどせっかく、バカって言えるくらい仲良くなれたと思っているのに、そのせいでこのまま他人行儀になってしまうのは正直嫌だなと思う。だから――


「……俺も、嬉しかったですよ? バカとか言ったら喜んでくれたから」


 わざと挑発するような言い方をしてみた。すると。


「えー!? そーゆー言い方すると、私がバカって言われて喜ぶバカみたいじゃんんん」


 お姉さんは急にいつもの雰囲気で、人懐こく拗ねるように言い出した。たぶん、こっちの方が素なんだろうな。他人行儀にしているより、よっぽどこっちの方が可愛いと思う。


 だからこのまま、俺の前でくらいいつものお姉さんでいて欲しい。


「はい。バカなって、思ってます」


「なっ!」


 冗談交じりに本音を言うと、お姉さんは照れたように顔を赤くした。


「でも、天才だとも思ってますよ。昨日あんなうまいメニュー作ったのに、今日はそれをこんなバカうまいメニューに変身させてるんですから。なのに、お姉さんはそれを手抜きだと言った。もう、俺にご飯作るの飽きちゃいましたか?」


「ち、ちがう!! そんなんじゃなくて……ただ、なんか、申し訳なくなっちゃったの。私が勝手になんちゃんに懐いて喜んじゃって。なんちゃんは仕事でしかないのに、と思って」


 なるほどなぁと思う。そんなの気にしなくていいのに。俺だって、本当は懐かれて嬉しいのに。


「なんでそれが申し訳ないんですか。俺はこんな美味しい仕事、他にはないって思ってますよ。お姉さんが俺に懐いてくれたのならそれは喜ばしいことです。でも、もしもお姉さんが俺に気を使って楽しめていないのなら、それは悲しいと思います」


 お姉さんが垣間見せた本音に、俺も少し本音を交ぜて答えた。するとお姉さんは、子供が何かを白状する時のように、小さな声で答えた。


「昨日……、思わせぶりなことしすぎたなって、反省してた」


 ああ、だから俺に触れないようにしたり、どこか他人行儀だったんだ。

 

「でも、俺だけにするんでしょ? そして俺も、俺だけにしてくださいって言ったじゃないですか。それはつまり、俺にはしてもいいってことですよ」


「……いい……んだ……」


 お姉さんは、俯きながらぼそっと答えた。


「もし、これがプライベート同士のやり取りだったら、お姉さんはとんでもない悪女に見えるかもしれないですけど?」


「う。それは……そうかもしれない」


「でも……その自覚があるから、お姉さんは控えようと思ったんでしょ。けど、そもそもお姉さんは、どう見たってその気になれば男なんていくらでも作れるのに、わざわざお金払って俺にだけって言ってる。それは、お姉さんなりの何か理由があるってことでしょ?」


「…………うん」


「だから、別に気にしなくていいですよ。俺はなんでも屋で、お姉さんは依頼主として、この関係は成立してるんですから」


「…………」


 俺の言葉に、お姉さんは無言になった。そう、俺はなんでも屋で、お姉さんは依頼主で、それ以上でもそれ以下でもない。けれど、それでお姉さんが素を出せるのなら、とてもいいことだと思うんだ。


 でも……これ以上何かを話したら、変に意識が働いて、今までのようには戻れない。そんな気がして、俺もなにも言えなくなってしまった。


 するとお姉さんは無言のまま、自分のサラダに入っているエビをフォークでいくつも刺し始めた。


 言葉にならない気持ちを発散してるのかなと思ったら、そのフォークは俺の口元へと運ばれて。


「……なんちゃん、あーん」


 俺の様子を伺うような目をして、俺にエビを食べさせようとしてきた。

 まったく、この人は。これがお姉さんなりの甘え方なんだろうな。


 だったら俺が、乗ってやらないわけがない。


「……エビで俺を、釣ろうとしてますか?」


「うん。だってなんちゃん、エビ、好きでしょ?」

 

「はい。大好きです」


「だから。これからも、エビで釣られて?」


 それはつまり、これからもこの関係でいてねと言っているようで。お姉さんのお願いするような表情に、グッとくる。こんな顔されたら……いくらでも釣られていたくなる。


「……エビ食べる時に、お姉さんが笑ってくれるなら……、俺はいくらでも釣られてやりますよ」


 俺のその言葉に、お姉さんはほっとしたような笑みを浮かべた。


「ふふ。嬉しい。……なんちゃん。あーん」


「あーん」


 そして俺は、その差し出されたフォークを頬張って、たくさんのエビを咀嚼した。

 そんな俺の様子をお姉さんは嬉しそうに眺めてから。


「ねぇ、明日もエビ用意しとくから、食べに来てって、『依頼』……してもいい?」


 お姉さんは上目遣いで聞いてくる。


「……いいですよ。今のところ、エビで鯛じゃなく俺を釣ろうとする人、お姉さんだけなんで」


 別にエビがなくたって、仕事じゃなくたって、俺はお姉さんに会いたいけれど。これは俺の照れ隠し。


「そっか。私にとっては鯛より、なんちゃんの方が上位だけどな」


 なのにお姉さんは、隠すことなくこちらが照れるような事を言う。


「……それは、変わってますね」


「そかな。じゃあ、トマトもつけとくね。はい、あーん」


 そしてお姉さんは、嬉しそうに自分のパスタに入っているトマト俺の好物も、俺の口元に差し出した。


「あーん……」


 お姉さんに食べさせられたトマトは、なぜかいつもより甘酸っぱい。

 けれど、俺だけが釣られるのは少し悔しくて。


「お姉さんは、エビ、好きですか?」


 俺も自分のサラダにトッピングされているエビをいくつもフォークで刺して、お姉さんの口元に差し出した。


 すると、お姉さんは身を乗り出して。


「うん、っ♡」


 俺の差し出したフォークを頬張ると、いつもみたいに人懐っこく、嬉しそうに微笑んだ。

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