第四幕:電氣桜花

 荒廃した東京の郊外、かつて人々の歓声で溢れていた遊園地が、今は静寂に包まれていた。錆びついたジェットコースターのレールが空に向かって伸び、色褪せたメリーゴーラウンドの馬たちが永遠の眠りについているかのようだった。この廃墟と化した遊園地に、薫と綾は身を潜めていた。


 月明かりに照らされた遊園地は、不思議な美しさを湛えていた。朽ちかけた建物や遊具が、月光を受けて幻想的な影を作り出している。その光景は、まるで時が止まったかのような錯覚を起こさせた。


 薫は、綾の手を引いて観覧車に向かった。かつては夜景を楽しむカップルで賑わったであろうその観覧車も、今では錆びついた鉄骨だけが残っていた。しかし、その朽ちた姿にも独特の魅力があった。


 二人が観覧車の近くまで来たとき、薫の足が突然止まった。綾も、薫の異変に気づいて立ち止まる。薫の目が、観覧車の根元に固定されている。


「綾、あれを見て」


 薫の声は、驚きと畏敬の念に満ちていた。綾も薫の視線を追った。


 そこには、信じられない光景が広がっていた。観覧車の根元から、一本の桜の木が生えていたのだ。しかし、それは通常の桜ではなかった。幹や枝は半透明で、内部に青白い光が流れているように見える。その枝々には、淡いピンク色の花びらが咲き誇っていた。それぞれの花びらも、かすかに発光しているようだった。


「これが……電氣桜花」


 綾の声が、夜の静寂を破った。その声には、深い感動が滲んでいた。


 薫と綾は、息を呑んでその光景を見つめた。電氣桜花は、廃墟となった遊園地の中で、まるで希望の象徴のように輝いていた。その光は、周囲の暗闇をやさしく押し返し、幻想的な空間を作り出していた。


 花びらが風に揺れるたびに、光の波紋が走る。それは、まるで生きた電気が花の中を流れているかのようだった。幹を流れる青白い光は、まるで樹液のように上下に脈動している。


 薫は、思わず手を伸ばした。指先が花びらに触れると、かすかな温もりと共に、微弱な電流が指先を走った。それは痛みではなく、むしろ心地よい刺激だった。


「綾、触ってみて」


 薫は綾の手を取り、そっと花に導いた。綾の指が花びらに触れた瞬間、彼女の瞳が驚きで見開かれた。


「温かい……そして、なんだか懐かしい感じがする」


 薫は、綾の言葉を聞いて深く頷いた。彼女の瞳には、理解と驚きが混ざり合っていた。薫は、電氣桜花にもう一度目を向け、その不思議な存在を細かく観察し始めた。


 幹は半透明で、内部には青白い光が脈動しているのが見えた。その様子は、まるで人工的な血管を流れる生命力のようだった。枝々は、通常の桜よりも繊細で、まるでファイバーオプティックケーブルのように光を通していた。花びらは、かすかにピンク色に発光しており、その輝きは呼吸するように微妙に強弱を繰り返していた。


 薫は、慎重に手を伸ばし、幹に触れてみた。予想に反して、その感触は生きた木のようにざらついていた。しかし、指先には微弱な電流が流れ、それは木の鼓動のようにも感じられた。


「綾、これは……」薫は言葉を探しながら、「まるで、自然と科学が一つになったみたいね」と呟いた。


 綾は薫の横に立ち、彼女も同じように電氣桜花に触れた。


「そうですね。でも、どちらかが他方を支配しているわけではない。むしろ……共生しているような」


 二人は黙ってその光景を見つめた。風が吹くたびに、花びらが揺れ、それに合わせて光の強さも変化した。その様子は、まるでこの木が周囲の環境と対話しているかのようだった。


「これは、私たちに何かを教えてくれているのかもしれない」


 薫はつぶやいた。


「人間と複製人間、自然と科学……相反するものが融合し、新しい何かを生み出せるということを」


 綾は薫の言葉に深く頷いた。彼女の目には、感動の涙が浮かんでいた。


「私たちも、この電氣桜花のように、新しい存在になれるのでしょうか」


 薫は綾の手を取り、優しく握った。


「きっとそうよ。私たちは既に、その道を歩み始めているんだから」


 二人は再び電氣桜花を見上げた。その姿は、彼女たちの未来の可能性を象徴しているようだった。荒廃した世界の中で、この不思議な生命体は希望の光を放っていた。それは、薫と綾が歩もうとしている道のりを、静かに、しかし力強く照らし出していたのだ。


 やがて二人は、電氣桜花の前に腰を下ろした。その光に照らされた薫と綾の顔には、穏やかな表情が浮かんでいた。彼女たちは言葉を交わすことなく、ただその美しさに見入っていた。


 風が吹くたびに、電氣桜花はかすかな音楽のような音を奏でた。それは、金属音でもなく、自然の音でもない、不思議な響きだった。その音色は、薫と綾の心に直接語りかけてくるようだった。


 時が経つのも忘れ、二人はその場に座り続けた。電氣桜花の光は、彼女たちの未来を照らす道標のようでもあった。人間と複製人間の境界を超えた二人の絆が、この不思議な花にも通じるものがあるように感じられた。


 夜が深まるにつれ、電氣桜花の光はより一層鮮やかさを増していった。それは、闇が濃くなればなるほど、よりいっそう美しく輝くのだ。その姿に、薫と綾は自分たちの姿を重ね合わせていた。


 薫は立ち上がり、綾に手を差し伸べた。綾はその手を取り、ゆっくりと立ち上がる。二人は最後にもう一度、電氣桜花を見つめた。その姿は、彼女たちの心に深く刻み込まれた。


「行きましょう」


 薫は、綾の手を引いて観覧車に乗った。かつては夜景を楽しむカップルで賑わったであろうその観覧車も、今では錆びついた鉄骨だけが残っていた。しかし、その朽ちた姿にも独特の魅力があった。


「綾、ここから見る景色は素晴らしいわ」


 薫は、観覧車の一番上のゴンドラに綾を招き入れた。


 ゴンドラの中から見る夜景は、荒廃しながらも美しい東京の姿を映し出していた。遠くに見える超高層ビル群は、星空と溶け合うように輝いている。その光景は、まるで地上の星座のようだった。


 綾は息を呑んだ。彼女の碧い瞳に、夜景が鮮やかに映り込んでいた。その瞳の中で、光が踊っているように見えた。


「薫さん、こんな景色、初めて見ました」


 綾の声には、感動が滲んでいた。


 薫は綾の横顔を見つめた。月光に照らされた綾の姿は、まるで古い絵画から抜け出してきたかのような美しさだった。その白磁のような肌に、かすかに赤みが差している。長い睫毛が月明かりに輝き、唇が微かに開いている。薫は、その姿に心を奪われた。


「綾……」


 薫は思わず綾の名を呼んだ。綾が振り返る。二人の視線が交差する。


 そのとき、薫は綾の手を取った。その手は、人工的な完璧さを持ちながらも、確かな温もりを伝えてきた。薫は、その温もりに安らぎを覚えた。


「綾、私たちはこれからどうなるのかしら」


 薫の声には、不安と期待が入り混じっていた。


 綾は薫の手を強く握り返した。


「わかりません。でも薫さんと一緒なら、どんな未来でも怖くありません」


 その言葉に、薫は胸が熱くなるのを感じた。


 二人は、互いの想いを確かめ合うように見つめ合った。その瞬間、観覧車のゴンドラが、かすかに揺れた。まるで、二人の気持ちに呼応するかのように。


 薫は、綾の顔を両手で包み込んだ。そして、ゆっくりと顔を近づけていく。綾も、目を閉じて薫を受け入れる。二人は初めて、そっと唇を重ねた。


 しかし、その瞬間――。


 鋭い電子音が、静寂を破った。薫のポケットから、通信機が鳴り響いていた。


 薫は驚いて通信機を取り出した。画面には、永田博士の名前が表示されている。


「どうして博士が……」


 薫は戸惑いながらも、通信を受け入れた。


「久しぶりだね、薫くん。いや、きみにとっては初めまして、かな」


 永田博士の声が、通信機から流れ出た。その声には、どこか打ち解けた調子が混じっていた。


「永田博士……どういうことですか?」


 薫の声が震えた。


「君ももう薄々判っているのだろう? 薫くん、君はね……」


 博士の言葉が、薫の心に突き刺さる。


「私が創った複製人間なんだよ」


 その一言で、薫の世界が崩れ去った。


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