7.六鹿の森
19.世界は希望に満ちていた。
車のなかだから、ヘッドホンは外している。カーオーディオから流れるのは、三十年近く前に流行したバースデーソングだ。子どものころ、父さんが、誕生日には、テレビ電話でよくこの歌を歌ってくれた。それも遠い昔の話。
家族は、すっかりバラバラになってしまった。全部、自分のせいだ。
カイトは、本心ではそう思っている。父さんと母さんが、どう思っているのか、本当のところは、わからない。だけど、たしかめることなんて、できない。
怖いから。父さんと、母さんの、本当の気もちを知るのが、怖いから。
うとうとと、あたたかい眠気と、胸の奥に、ぬるりとしずむ悲しさに、全身が重くなり、カイトは、そのまま目を閉じた。
兄のツナグは、数学の天才少年だった。十四歳の時には、飛び級で大学に通っていた。母さんは
アンドロメダ星雲にある、惑星アンドロトキシアへむけて、移住探査船〈
乗船メンバーには、医者や看護師をふくめた職員十名のほか、十代の子どもたちが三十人、世界各国から選ばれた。このメンバー選抜の方法には謎が多く、カイトも、くわしいことは知らない。ただ、いろいろと複雑な事情があったことだけは、まちがいない。
ロケットが打ちあげられた朝、世界は希望に満ちていた。
あたらしい、異星の文明との交流の夜明け。かがやかしき、宇宙世紀のはじまり。
そんな言葉とともに、八年と半年前、宇宙に送りだされた彼らだったが、旅立ちから半年後、〈
追跡船によって、本船の破損した部品が、宇宙空間を漂っているのが発見され、〈
そして地球出船から一年後、アンドロトキシアへの移住は、失敗が確定したと、世界政府によって発表された。とうぜん、乗組員は全員が死亡したものとして、あつかわれることになり、遺族には、多額の賠償金が支払われることになった。
ツナグ兄ちゃんは、地球とアンドロトキシアを、つなげられなかったのだ。
ずっと苦しくて、悲しくて、さみしくて、たまらなかった。二階建てベッドの上のほう、布団のなくなった、兄ちゃんのいたスペースで、ひとり、ひざを抱えて泣いた。
でも、三年半前。ミズルチを
それまでのカイトは、ひとりぼっちで小さくなって、自分の気もちを守ることばかり考えていた。そしたら、そういう重たいものが、心と身体のなかで、どんどん勝手に大きく育っていってしまった。あれは、とてもあぶないことだった。ひとりぼっちでいてはだめだった。誰かのためになにかするとか、やらなくてはならないことを、がんばったりとか、つまり、自分の心以外に目をむけたり、自分の頭で考えて行動することが必要だったのだ。
心や体を、今の状態から動かすことで、人ははじめて「心の荷物」を地面におろせる。
そう教えてくれたのが、ミズルチだった。
と、その時だった。
「うわっ」
となりから、あわてた
「湯葉先生、ここハイウェイだよね? 自動走行エリアなのに、なんでブレーキが」
湯葉先生は答えず、眉をよせて前を睨んでいる。カイトは、頭のなかに響きだした〈
「
湯葉先生のさけびに、「ぴにゃっ」とミズルチが鳴いた。
急に、すさまじいクラクションが鳴り響きだす。たくさんの人が車から降りて前のようすを見はじめた。と、遠い前のほうで――ぶわっと、大量の黒いもやが湧きあがった!
「いかん!」
湯葉先生がカイトの前に身体を乗りだし、ダッシュボードを、ばくん! と開けた。なかには、大量の紙鉄砲がつまっている。
「カイトさんとミズルチは、ここにいなさい!」
「先生! オレもいく!」
「ダメだ! ハイウェイの上なんだぞ! 急発進する車に巻きこまれたらどうする!」
「そんなこと言ってたら、なんのために来たのかわかんないよ!」
さけぶと、カイトは、後ろを確認してからドアを押しあけた。
「カイト!」
カイトは、湯葉先生がとめるのも聞かず、後部座席のドアを開けた。
「ぴに?」っと小首をかしげるミズルチに「ミズは、なかでまってて!」とさけびながら、カイトは、足もとにおいていたスカイアップボードを取りだした。かかんっ! とバインディングに、両足を差しこむ。三十センチぶん浮きあがった身体は、車をはさんで、同じように外に出た湯葉先生と、視線の高さが、ほとんど同じだった。
「先生! オレ、やるって決めたんだよ!」
迷いの表情を浮かべていた先生だったが、「わかった」と、低く小さい声でうなずいた。
「ただし、僕の前には出ないこと。必ず、あとからついてくるんだよ」
「わかりました」
次の瞬間、湯葉先生は、手にしていた紙鉄砲をふたつ、カイトへむけて放り投げた。取りおとしそうに、なりながらも、カイトは、なんとか空中でキャッチした。
「それは、いざという時の、身を守るためのお守りだからね。決して自分から
「はい!」
ふたりは、同時に前へむけて走りだした。湯葉先生は、すごく足が速いから、スカイアップボードで飛んでいるカイトでも、追いかけるので、精いっぱいだ。
本当に、
「ぴいいっ!」
「うわっ」
どしっと、カイトの背中に、ミズルチがはりついた。
「ミズ! ちょっと、出てきちゃダメだって!」
「ぴぴっ!」
だけど、カイトはもう走りだしてしまっている。そして、ミズルチが大人しく言うことを聞くはずもない。
「もうっ! 絶対に、離れちゃダメだからね⁉」
「にゃっぴ――っ!」
うれしそうに、高い声をあげたミズルチの身体を、右うでで背負いなおしながら、カイトは右の爪先で、加速ボタンを踏みこんだ。
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