18.〈魂音族〉


      ***


「はあっ、はあっ、もう、ほんと、冗談じゃないったらっ……!」


 黒白の棒縞のふりそでと、海老茶色のはかまを、びしょぬれにして、ウタマクラは、なんとか川の岸に、はいあがった。ウタマクラの身体と、ほとんど大きさの変わらないものを、その肩に、かついでいる。それを、どしゃり、と砂利の上に、横たえた。それは、気を失った〈嗅感きゅうかん〉の少年、ハムロだった。


 彼らに、まかれて、地団太を踏んだあと、ウタマクラは、必死で〈嗅感きゅうん〉の〈おと〉を、追った。タクシーをつかまえて、道がなくなって、それから歩いて森をかきわけて、川ぞいに進んだ。そうしたら崖の上から、闇夜に響きわたる、少年たちの、つらく苦しそうな悲鳴が聞こえた。見あげれば、意味の分からない黒いもやが、空中に飛び交っていた。


 固唾をのんで見守っていると、少年がひとり「ちくしょう!」と、さけびながら、崖から飛びおりた。あの〈竜骨りゅうこつの化石〉を盗みだした、短髪の男の子だ。ウタマクラは悲鳴をあげたが、少年は、間一髪というところで、その手からザイルを投げ、枝にフックをかけるのに成功した。しかし、いきおいは止まらず、彼の身体は崖の岩にぶつかり、そのあと、大きく茂った木の枝に一度バウンドして、ばちゃんと、川に落ちた。


 それからのウタマクラは、無我夢中だった。考えるまもなく川に飛びこみ、だんだんと流されてゆく少年の身体を追って、一生懸命、水をかいた。突然、深みに足がはまって、頭まで川の水につかったけれど、必死で顔をあげて追いかけた。水のなかに少年の顔が音もなくしずんだ直後、ウタマクラも「すうう」と息を吸いこんで、とぷんとしずんだ。


 川のなかでは、表よりも、しずかに早く水が流れる。ウタマクラのほうへ、まるで助けを求めるように少年の手がのびた。ウタマクラの手は、しっかりと、その手をつかまえた。


 なんとか岸にあげた少年の胸に耳をあてると、心臓の音と、呼吸をしている音が、ちゃんと聞こえた。よかった。気を失っていたから、へんに水を飲まずにすんだらしい。


 ほっとして、少年の胸から耳を離した時だった。


 ――じゃり、と、近くで音がした。


 どきん、とウタマクラの心臓がはねあがる。じゃり、じゃり、と音は近づいてくる。恐怖で顔をあげることができない。水からあがったばかり、しかも、ふりそでを着たままだったから、全身が水をすって重い。逃げられる気がしない。じゃり、じゃり。じゃりっ。


 ウタマクラの視界に、黒いブーツの爪先が入った。


「――そのままのかっこうで、助けに飛びこんだのか。ずいぶんと豪気だな」


 まだ若そうな、そして、どこか、やさしげな青年の声に、ウタマクラは、恐るおそる顔をあげた。すると、そこに立っていたのは、白い紙で、できたお面をかぶった青年だった。


 思わずウタマクラは、ぱちくりとまばたいた。青年は、全身を真っ黒な服で、覆っている。髪も長くて、まっすぐで、真っ黒。まるで、闇のなかから、ぬけでてきたようだ。


「あんたが、そいつを助けてくれたおかげで、俺は川に飛びこまずにすんだ。礼を言う」

「あなた、何者? ……まさか、上でこの子を襲っていたのは――」


 警戒したウタマクラは、とっさに、背後のハムロをかくそうと動いていた。そんな彼女に、黒ずくめの青年は、少しおどろいたそぶりをしてから、「まさか」と、軽く笑った。


「俺は、連合政府からの依頼で、そいつの仲間たちを助けにきたすみりだ。そうしたら、やつらが上でえんぼくに襲われていた」

「えんぼく……? すみり……?」

「上の連中は、もう助けた。墨抜きの処置もすませてある。あとは、崖から落ちたそいつを助けるところだったんだ。早くに見つけられて、本当によかった。そいつには、くわしく話を聞かなきゃならないんだ。あんた、立てそうか」


 言いながら、青年はウタマクラにむけて、その手をのばした。助けおこそうと、してくれているのが、わかったので、ウタマクラは素直に、青年の手に自分の手をのせた。彼の手は、とても大きく、よく使いこまれて、ごつごつとしていた。


「こいつも気の毒にな……えんぼくは人間ではないから、嘘をつかれても「匂い」を察知することはできないんだ。〈嗅感きゅうかん〉の純粋さが、裏目に出てしまったな。かわいそうに」


 お面の下から、青年のやさしいまなざしが、ハムロに、そそがれているのがわかった。そこで、ウタマクラはようやく、その青年からも〈音〉がしているのに、気がついた。



  トゥワーラ トゥオーラ トゥイエン



 この、短い〈音〉をひたすら、くり返す。


「あなた、〈魂音族こんいんぞく〉ね……?」


 ウタマクラの言葉に、すみりは、否定も肯定もしないで、つかんでいたウタマクラの手をひっぱって、立たせた。目線は、同じくらいの高さにあった。


すみりの、鬼打おにうちバッソだ」

「竜骨研究所の、みずウタマクラです」




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