6.墨狩りのバッソ

16.蜂蜜ミルクあめ


 暗い森のなか、真っ黒な人影が、高速でかけている。すみりの男の人だ。顔にはやはり、あの白い紙製のお面をつけている。空中の、あちらこちらに散らばっているえんぼくを、白いかみ鉄砲でっぽうで狩り集めるたびに、男の人の長い髪が、天女の羽衣のようにゆれて、おどった。


 ここ一か月くらいの、あいだに、たくさんの人がえんぼくに襲われ、憑りつかれた。すみ抜きのできる医療関係者がいる病院は少ない。受けいれ可能な施設は、もう、ほとんど満床になってしまっている。まちがいなく、あの怨墨本体が、なにかしている。


 あの時、つかまえられなかったのが、腹立たしく、悔しかった。


「うううう」


 どこかから聞こえてきた、うめき声に、墨狩りは、はっとした。紙鉄砲をにぎりなおし、一気に加速する。低い木の茂みを飛びこえると、そこに何人もの少年が、たおれていた。


「これは……」


 真っ赤な長い髪と、日によく焼けた肌から、〈嗅感きゅうかん〉の少年たちだと、わかった。少年たちの身体からは、ふわふわと、怨墨のかけらが、漂い出ている。


(まずい……!)


 墨狩りは、お面のしたで、ぎゅっと眉をよせた。〈嗅感きゅうかん〉は、特に怨墨に対して影響を受けやすい。これは、まだ怨墨に入りこまれてから、そんなに時間がたっていないはず。


 墨狩りは、急いで少年たちのあいだをまわり、その背中で紙鉄砲を、ばあん! ばあん! と鳴らした。それから、彼らの口のなかに、特製の蜂蜜ミルクあめを、ぽんぽん、と放りこんでゆく。すると、苦しんでいた表情が、見るみる、おだやかになっていった。


 ほっと一息ついてから、墨狩りは、木々をぬけていし舞台ぶたいに立った。しかし、満月が明るいだけで、そこにはもう、なにもない。


「逃がしたか……!」


 悔しさに、ぎりっと歯ぎしりを、していると、後ろから、足を引きずるような音が近づいてきた。ふり返ると、ひとりの少年が、痛めたらしい肩を、抱えて立っている。


「助けて、くれたの、あんたか」

「ああ。全員、無事か? 俺が助けたのは、十二人なんだが」


 墨狩りがそう言うと、少年は苦しそうに顔をゆがめて、首を横にふった。


「ハムロが……ハムロが、いない。逃げて、崖から落ちたんだ」


 墨狩りは、たたっと、かけて、崖のきわに、立った。


「高いな」


 その言葉に、少年が泣きそうな顔になる。


「だが、下は川だ」


 見おろす先には、幅の広い、そして深い川が流れている。


「見えるかぎりでは、それらしい人影は、ない。木の茂みを、クッションや手がかりにしながら落ちていけていたなら、うまく着水できているかも知れない」


 墨狩りの言葉に、にわかに、少年の目に光がともる。


「ハムロは、ザイルの使いかたが、とにかくうまいんだ。うまく逃げられたかも……」


 墨狩りは、うなずくと、少年の前にもどった。


「さっき食べさせたあめを、最後までなめられたら、お前たちは自分の集落へもどるんだ。ここからなら、半日くらいで帰れるだろう?」

「――ああ。あんた、〈嗅感きゅうかん〉の集落でおきたことについて、知ってるのか?」


 墨狩りは、こくりとうなずくと、「えんぼくの被害にあった娘がいるな? 長老会から治療要請がきて、連合政府がその依頼を受けた。それで、俺が派遣されてきたんだ」と答えた。


「長老会は……動いてくれていたんだ」


 ショックを受けたような顔をしている少年に、墨狩りは、うなずいてみせた。


「そのハムロというのは、俺が見つけてくる。お前は、ひとまず、このあめを集落にもちかえって、その娘に、なめさせてやってくれ」


 墨狩りは、蜂蜜ミルクあめ入りのふくろを、少年の手にあずけた。


「五つも食べれば、落ちついて眠れるようになる。そのハムロというのを連れもどしたら、俺が紙鉄砲で、墨を抜いてやるから」


 少年が「ありがとう」と頭をさげるのに、うなずいてから、墨狩りは「ああ、そのハムロというのは、どういう少年だ?」と問うた。


「髪を短くしている。ハムロは、怨墨に憑りつかれたマムロの兄だ。白い服の人が、〈嗅感きゅうかん〉からえんぼくを抜くためには〈竜骨りゅうこつの化石〉を使うしかないって言って、それで」

「なに?」


 お面の下で険しい顔をしながら、だけれど、声はなるべくおさえて、墨狩りは少年のほうへ、ふり返った。


「あのニュース……まさか、お前たちが〈竜骨りゅうこつの化石〉を盗んだのか」

「あの白い服の人からは、嘘の「匂い」は、しなかったんだ!」


 悲鳴のような声で、さけぶ少年に、墨狩りは無言のまま、くちびるを引きむすんだ。しかし相手は〈嗅感きゅうかん〉だ。墨狩りが心のなかで思ったことは、全部筒抜けになっていた。少年の顔が、見るみる青ざめてゆく。


「――そんな、まさか……」

「必ず連れてもどる。全員バラバラにならないよう、すぐに集落へむかうんだ。いいな」


 そう言うや、いなや、墨狩りは崖の上から、さっきのハムロのように空中へおどりでた。



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