15.これで、もう用は済んだ

      ***


 しゅいん、という、たくさんの音とともに、森のなか、地面の上へ〈嗅感きゅうかん〉の少年たちが、おりたった。ぎゅるるるっという音をたてて、あの黄色と緑のザイルが、手元のリールのなかに、巻きこまれてゆく。すでに日は暮れて、森のなかは暗い。ひとりだけ髪を短く刈りあげている少年が、集まった仲間たちを、注意ぶかく見わたし、かぞえた。


「全員いるな。ケガをしたやつは、いないか?」

「大丈夫だ、ハムロ。みんな、無事だ」


 年長の少年の言葉に、髪の短い少年――ハムロは「ほっ」と、安心の息をついた。


「ふぅ、それにしても、まさか追いかけてくるなんてなぁ」


 別の少年が言うのに、ハムロは「いや、ぐうぜんだろう」と、かえした。


「あの女の「匂い」が、まさかって言ってた」

「そうだな、そんな「匂い」してた」

「うんうん」


 仲間たちの言葉に、ハムロは、ほっとした。やっぱり〈嗅感きゅうかん〉だけでいるのが、一番いい。誰も嘘をつかないし、嘘をつかれない。嗅覚をわざと弱らせて、嘘を見ぬけないようにしてまで、無理に、ほかの〈うから〉と、かかわろうとするなんて、馬鹿みたいだ。そんなことをするから、大切なことをかくされて、利用だけ、されることになるんだ。


 だまされるだけの、人間に、なるなんて、まっぴらだ。


 そもそも、嘘なんかつく、やつらのことを、なぜ信じる。青年会のみんなが、勝手に都会へ出ていくなら、そうしたらいい。でも、〈嗅感きゅうかん〉全体を、巻きこむな。あんなに老人会が、反対していたのは、やっぱり昔、連合の連中に、だまされたことがあるからだ。なんで長老会は、青年会の意見を、受けいれたんだろうか。


(そのせいで、マムロは――。)


 悔しさで、ハムロは頭のなかが、ぐずぐずに、なってしまいそうだ。


 マムロは、すっかり人が変わったように、なってしまった。皿をなげつけ、母さんをひっかき、大声でさけびながら、暴れるように、なってしまった。だから、後ろ手に縄でくくられて、舌をかまないように、口に白い布を巻かれて、地下室に閉じこめられている。妹の、かわいそうな姿を思いだし、ハムロはくちびるを、ぎゅっと、かみしめた。


 マムロは、えんぼくに、憑りつかれてしまったのだ。


嗅感きゅうかん〉は、えんぼくから、特に強い影響を受けてしまう〈うから〉なのだ。いったんえんぼくに憑りつかれたら、もうどうしようもない。本当に大昔なら、一生、地下牢に閉じこめておくようなことも、あったらしい。


 嘘をつき、つかれ、だまし、だまされ、怨み嫌い呪いかなしむ。そういった、黒い感情を生みだしやすい、たくさんの人間や〈うから〉のなかでは、〈嗅感きゅうかん〉は、生きられなかった。だから、大昔に山と森の奥深くに入り、やつらとは、距離をおいて暮らすようになった。山と森のなかならば、怨墨が入りこむようなことは、本来なかったはずなのだ。


 ハムロは、固くこぶしを、にぎりしめると、背中に背負った〈竜骨りゅうこつの化石〉入りの白いふくろを、ぐっと身体に引きよせなおした。


「みんな、急ごう。約束の時間まで、あと少しだ」


 ハムロの言葉を合図に、全員、また伸縮ザイルのフックを、木の高い枝へむけて投げて、飛びあがっていった。


 目的の場所は、いし舞台ぶたいと呼ばれている、平たい大岩のむきだしになった、崖の上だ。木々のあいだをぬけて、全員ほぼ同時に、いし舞台ぶたいの上に着地する。


 月の光が、明るい。


 そして、いし舞台ぶたいの上には、もう約束の相手が立っていた。


 かがやくほどに、真っ白い服を着た人だ。メガネをかけていて、髪型は、短い茶髪。にっこりと笑うと、その人は、両手を大きく左右に広げて、ハムロたちの到着を歓迎した。


「やあ、〈嗅感きゅうかん〉の少年のみなさん、こんばんは。例のもの――そう、あれです。ハムロくんの、妹さんの命を救うための、例のものは、盗ってきてもらえましたか?」

「ここにある」


 ハムロが、背負っていた〈竜骨りゅうこつの化石〉を差しだすと、白い服の人は、目を大きく、まるく見開き「うふふふふふふふふ」と、口を三日月のような形にして、笑った。


「さあ、早く渡して!」


 白い服の人が、ひったくるようにして、ふくろをうばいとる。なかに手をつっこむと、もう用はなくなった、とばかりに、白いふくろを、いし舞台ぶたいの上に、落とした。


「ああああ、これだ。まちがいない、これだ。これこそが、真実の〈竜骨りゅうこつの化石〉だ。いまいましい逆鱗げきりんも、ちゃんとついている。やった……ついに、手に入れた」

「手に入れた……?」


 ハムロの表情が、ぐっと、険しくなった。


「あんた、それで妹に憑りついたえんぼくを抜いてくれるんだろう? 〈嗅感きゅうかん〉から怨墨を抜きとるためには〈竜骨りゅうこつの化石〉を使うしかないって、あんたそう言ったじゃないか。だから俺は、これを竜骨りゅうこつ研究所から盗んできたんだ。あんたのものにするためじゃない!」


 白い服の人は、両手で大切そうに目の高さに、もちあげていた〈竜骨りゅうこつの化石〉から、ちらっと視線を、ハムロへむけて、にいっと、おぞましい笑みを浮かべた。


「お前たち、よく働いてくれた。これで、もう用は済んだ」


 次の瞬間、白い服の人の全身から、ぶわっと、すさまじい量の黒い煙が吹きあがった。


 ――いや、ちがう。これはえんぼくだ!


「どうして!」

「うわあっ」

「怨墨だ! 逃げろ!」


 悲鳴をあげながら、さけび、逃げまどう〈嗅感きゅうかん〉の少年たちに、怨墨が襲いかかる。ザイルを使って、ちりぢりに逃げるが、その怨墨の追ってくる速さは、尋常ではなかった。うねる蛇のように、少年たちの身体にからみつき、首をぐるりとしめて、苦しさで開いた口のなかへ、飛びこんでゆく。ばたばたと、地面に少年たちは、落ちてゆく。


 ハムロは、信じられないものを見ていた。どうして。嘘の「匂い」なんかしなかった。絶対、まちがいない。……でもだまされた。こいつに、だまされたんだ!


 呆然とした、ハムロの目の前で、白い服の人が、「うふふふふふふ」と笑いながら、その手を大きく、ふりかぶる。はっと気づいて、ハムロはふり返り、かけだした。


 後ろから、えんぼくが襲いかかってくる! ああ、仲間たちは、ハムロとマムロを助けるために手伝ってくれたのに、ハムロが、だまされたせいで、みんなが、たいへんなことに。マムロも助けられない。悔しい。信じられない。涙がでてきた。ちくしょう。ちくしょう。


「ちくしょおおおおおっ!」


 えんぼくが、追いつく一瞬前に、ハムロの身体は、空中に、飛び出ていた。


 ああ、満月が、ななめにかしいで、逃げてゆく。


 そうして、ハムロは、えんぼくから逃げきる代わりに、崖の下へ、落ちていった。



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