5.ハムロとウタマクラ

13.川だ


 アンドロメダ星雲の、とおい彼方から送られてきた、本当にかすかな〈おと〉を、地球にすむ、ある、ひとりの小さな〈音読おとよみの一族〉の子どもが受けとったのは、この上ない幸運であり、また同時に、たくさんの人々の、不幸のはじまりになった。


 その情報を受けて、国際宇宙ステーションが詳細に調べた結果、その〈音〉が発せられた方角に存在した――現在、アンドロトキシアと、仮に名づけられた惑星は、地球にとてもよく似た環境であることが判明した。


音読おとよみの一族〉のいう〈おと〉とは、魂の発する〈音〉のことだ。つまり、アンドロトキシアからとどいた〈音〉というのは、「ここにぼくたちという命がありますよ」という、未知の生命からのメッセージだったのである。そして、それを〈音読おとよみ〉の子どもが受けとめられたのは、異星にすむ彼らもまた、ひとつの〈うから〉であったからに、ほかならない。


      ***


 竜骨りゅうこつ研究所のなかは、警察や、連合政府の関係者で、騒然としていた。先日アルバイトで、はいったばかりのウタマクラは、父親であるキュウイン博士の所長室で、ただ過去のデータを見ることしかできず、じりじりとした心を、なんとか、なだめて過ごしていた。


 デスクに、むかいながら、「はあ」と、ため息をこぼしていると、がちゃり、と扉の開く音がした。ウタマクラが顔をあげると、キュウイン博士が、室内に入ってきた。


「お父さん」

「ああ、すまないな。来てもらったそうそう、こんなことになってしまって」


 疲れた顔をしている、とウタマクラは思った。家族にしか、わからないくらい、眉毛がちょっぴり、さがっているのだ。明らかに、元気がなかった。


「お茶、いれるわね。昆布茶でいいかしら?」

「ああ。たのむ」


 キュウイン博士は、ふかく長い、ため息をつきながら、めずらしくネクタイをゆるめて、ソファの上に、どっかりと腰をおろした。ウタマクラは、部屋のすみにあるミニキッチンに立つと、ポットにミネラルウォーターを注いで、電源をいれた。


「警察のかたは、なんて?」

「わからないと。そうだろうとも。ドアにも、窓にも、厳重にセキュリティが、はられてあるし、監視カメラにも、なにも映っていない。水槽にも、傷ひとつ、ついてはいない。――そうなると、考えられる侵入経路は、ひとつだけだ。魔法でも使わないかぎりな」

「どこ?」

「――川だ」


 ウタマクラは、コップに入れかけていた昆布茶の粉を、あやうく、外に、こぼすところだった。キュウイン博士の後頭部へ、目をむける。


「お父さん、それって……」

「〈竜骨りゅうこつの化石〉の水槽に、川から水を引きいれていることは、お前も知っているだろう?」

むつ鹿たけの、源流からきている、あの川の水よね?」

「そうだ」

「でもあれ、ものすごく細い水路に、せばめてから、なかに引きいれているはずでしょう?」

「――警察より先に、政府の人間がたしかめてきた。外の鉄柵が、二本、切られている」

「に……二本だけ? それ、人は、通れないでしょう?」

「成人なら、な」


 その言葉に、ウタマクラは「あっ」と、声をあげた。


「子ども……?」

「ああ。子どもなら辛うじて通過できる。水の引きいれ口から侵入し、滝から落ちて、〈竜骨りゅうこつの化石〉を抱えて、放流口から出たんだ。出口のほうは、引きいれ口より鉄柵の幅を広くとってあるし、出口の手前にある金網は、取り外しが可能だから。しかし、あそこに竜骨以外のものが入れば、回路が「嘘」と判断して、警報をならすはずなのに」


 ウタマクラの頭のなかに、数日前のことが、よみがえってきた。黄色い地面を、びっしょりとぬらしたあと。ぎゅっと、するどい目で、ウタマクラをにらんだ少年の顔。


 心臓がはげしく脈うつ。あの時、彼がぬれていたのは、そういうことだったんだ。


「お父さん、私、このあいだね、〈嗅感きゅうかん〉の男の子に、あったの」


 キュウイン博士が、もぞりと動いた。それから、ウタマクラのほうへ、目をむけた。


「〈嗅感きゅうかん〉の……?」


 ウタマクラは、こくりとうなずいた。指先がふるえるのを、両手を組みあわせて、にぎりしめることで、なんとか、おさえる。


「ここにきた初日に、道のとちゅうで。多分、十五、六歳くらい。登山用の、伸縮ザイルを使って、木のあいだを、飛びながら移動してたの。ほら、あの黄色と緑の縄のやつ」

「黄色と緑……ノーボルのオリジナル登山用製品か」

「うん。肌が日によく焼けてて、髪は赤かったの。それを短く刈りあげてた。〈嗅感きゅうかん〉って、髪、切らないっていうでしょう? だから、ちょっとおかしいなとは思ってたの。あれ、多分じゃまにならないように切ったんだわ。それで、その子、全身がぬれてた」

「ウタマクラ、それは」

「報告しなくてごめんなさい。あの時あの子、お父さんや研究所のことを悪く言ってたから、言いづらくて。あの子、きっとあの日、川に入って、鉄柵を切るとか、下調べするとか、してたんじゃないかしら。あの回路って、〈嗅感きゅうかん〉には、反応しないわよね?」


 ウタマクラの言葉に、キュウイン博士は、ものすごく難しい顔をしたあと、「このことは、ワタクシがいいと言うまで、他言無用にしなさい」と言って、すっくと立ちあがった。


「しばらく、お前はここへ来てはいけないよ。ワタクシの指示で、しばらく欠勤するように言われたといって、事務所で手続きをして、今すぐ帰りなさい」


 キュウイン博士の言葉に、ウタマクラは「はい」と、うなずくしかなかった。


 自分が、この研究所にとって、〈竜骨りゅうこつの化石〉にとって、とりかえしのつかないミスをしたのだということだけは、たしかだった。



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