4.盗難事件

10.鎹藻さん


「ごちそうさまでした!」


 ぱちん、と、軽く音をたてて手をあわせると、カイトは自分とミズルチが使いおえた食器を重ねて、台所の流しに運んだ。今日の朝ごはんも、おいしかった。


「ミズルチ、いくよ!」

「ぴにゃっ」


 ぴこん、と頭をあげて、ミズルチが飛びあがった。そして、まだお味噌汁を、すすっている、ばあちゃんの頭の上を飛びこえて、カイトの背中に飛びのる。


「じゃあ、ばあちゃん、ちょっと行ってきます」

「ああ、気をつけて。かすがいさんによろしくね」


 ミズルチを背中にのせたまま、カイトは玄関へむかった。ツナグ兄ちゃんのキャップを、きゅっと頭に押しつけるようにして、かぶる。サイズ調整用のベルト穴も、もう最大だ。


(ぼくの頭では、もう入らなくなっちゃったから、カイトにあげるね。)


 そういって、〈薄明光線クレパスキュラー・レイズ〉号に乗船する朝、ツナグ兄ちゃんはカイトの頭に、この帽子をかぶせてくれた。ぶかぶかのそれを、かぶせてもらった時は、まさか、それが最後の言葉になるだなんて、思いもしなかった。


(兄ちゃん。オレ、あの時の兄ちゃんよりふたつ下だけど、サイズ一緒になっちゃったよ。)


 そんなことを、内心思いながら、スニーカーのひもを、ぎゅっと締めなおした。


 下駄箱と壁のすきまに立てかけてある、スカイアップボードをつかむ。昨日から充電していたコンセントを抜くと、ケーブルをくるりと、ひとまとめにして、下駄箱の上においた。それから、調音機能つきのヘッドホンと、風よけのアイグラスがセットなっている、カイト特注のガードをキャップの上からかぶる。これでもう、誰が誰だか、わからない。


 がらりと引き戸を開けて飛びでると、電源を押してから、ボードを宙に放り投げる。うぃん、と軽い音とともに、ボードは地面から二十センチくらいのところに浮きあがった。


「よっ!」


 ひと声をあげて、カイトはボードに飛びのると、器用に前後のバインディングに足をつっこんだ。カイトは左利きだから、トップには右足を、テールには左足をいれる。ぐっとひざを曲げて、ボードを、もちあげる。それぞれの手で、トップとテールのボタンを、たたいて引きしめると、右足のつま先で、ととんっと作動スイッチを押した。


 ぎゅいん、とスカイアップボードが、三十センチの高さにあがり、背中にミズルチを背負ったままのカイトを、走り出させた。春のあたたかい風が、きもちいい。「ぴいいいっ」と、鳴き声をあげるミズルチも、とてもうれしそうだ。


 かすがいさんは、役場につとめている、おじさんだ。ヒルミ村の、環境保全を担当していて、ふうきんさまの祠まわりのことも、かすがいさんに相談することになっている。今日は、風琴さまの枝をのせている、三方の交換時期について、相談するつもりだった。


 斜面をのぼりきって、崖のところにまで出る。そこまできて、カイトは「えっ」と急ブレーキをかけた。


 かすがいさんがいた。ふらふらと、身体をゆらしながら、山の反対がわから、こっちへ、のぼってきている。なんだか顔色が悪い。目つきも、変な感じだ。あんな、おかしなようすのかすがいさん、カイトは見たことがない。そして、見まちがいじゃなければ、鎹藻さんの両肩と頭の上に、なんだかへんな、黒いもやみたいなものが、まとわりついている。


 カイトの胸が、一気にざわめいた。あれは、絶対に、なにか、よくないものだ。


 「ミズルチ」と、小声で名を呼んで、その身体を右手で背中に抱きよせた。ボードを地面に降下させて電源を切り、急いで木の影にかくれる。見ていると、かすがいさんはほこらさまへむかう石段を、のぼっていった。カイトは肩ごしにふりむき、ミズルチの顔を見た。


「ミズルチ。いいか? 今から、ばあちゃんのところへもどって、湯葉ゆば先生を呼んできてもらって。かすがいさんが、ほこらさまに、むかってるんだけど、ようすがおかしいって。身体に、黒いへんなやつが、くっついてるって。絶対に鳴かないで、しずかに、もどるんだ」


 鳴く代わりに、ミズルチは、しっぽでカイトの背中を、ぺしりとたたくと、木の影のすきまを、かくれるように飛んでいった。カイトは、冷や汗をかきながら、スカイアップボードを木の影にかくすと、ごくりと生つばを飲みこんで、そろりと一歩を、踏みだした。


 ミズルチに「あいうえお」を教えておいてよかった。最近は、しっぽであいうえお表の文字を指して、かんたんな言葉なら伝えられるようになっている。でも、まだ「つなつい」とか「つぐつた」とか、よくわからないことも言うから、ちゃんと伝わるかは不安だった。


 カイトはかすがいさんに気づかれないよう、どきどきしながら、ゆっくり、あとを追った。


 鎹藻さんが通ったあとは明らかだった。さっき見た黒いもやのかけらが、空中にふわふわと残っているのだ。なんだか、いやな気がして、それに身体があたらないよう、よけながら石の階段をのぼる。だから、祠さまのところまでいくのに、すごく時間が、かかってしまった。もう少し、というところまで来て、カイトは身を低くかがめた。背中がざわざわするのが止まらない。すごくいやな予感がする。ガタガタと音がしている。恐るおそる、石段の影から、顔を少しだけあげた。


 かすがいさんが、祠さまの後ろにある用具入れを開けている。見ていると、なかから竹ぼうきを、もちだした。くるりとかすがいさんがふりむく。目がおかしい。黒いもやも、なんだか増えている気がする。かすがいさんは、竹ぼうきをもったまま、ゆっくりと祠さまへ近づいていった。そして、思いきり祠さまにむかって、それを、ふりかぶった!


「だめだ‼」


 気づけば、カイトは、さけんで飛びだしていた。かすがいさんが、カイトのほうへ顔をむける。だけど、その表情は、悪いことをしているのを、見つかったようなものではなかった。うつろで、うろん。どろりと、どこを見ているか分からないような。


「やめてかすがいさん!」


 必死にかすがいさんに飛びついて、竹ぼうきをつかんだ。うばい取ろうとしたけれど、びくともしない。強い大人の、男の人の力だ。カイトみたいな子どもでは、まったく歯が立たない。逆に、かすがいさんが、カイトをふりはらうようにして、竹ぼうきを高く後ろに引っぱった。それに引きずられて、カイトは勢いよく、地面に背中から転がった。


「うっ!」


 強く身体を、うちつけて、息ができない。声も出ない、怖い。ぎゅっと、閉じてしまった目を、必死に、開ける。かすがいさんが、今度こそ竹ぼうきを、ふりあげている。だめだ、ほこらさまが壊される! 再び、ぎゅっと目を閉じた、その時だった。


「やめんかあああ!」



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