9.ウタマクラ
***
――ちりりん、がたたん!
「ひゃっ」
それまで、調子よく自転車をこいでいたものを、道に埋まっていた石に、前輪が乗りあげたらしい。それで、ベルが鳴った。ついつい悲鳴もあげてしまう。
ウタマクラの「くるりんぱ」にしてあるハーフポニーテールが、ふぁさっと風に舞った。栗色の
(――ああ、驚いた。)
内心ひとりごとを言いながら、ウタマクラは道を急ぐ。細く長い、黄色い土がむきだしになったままの道だ。それを、お気に入りの赤い自転車にのって、
「好き」に、勝るものはない。身につけるものも、やっぱり「好き」なものがいい。こげ茶色のブーツ、海老茶色の
それにしても、なんていいお天気だろうか。ウタマクラは、風に髪を遊ばせながら、あごを少しだけ、うわむけて、春のにおいを胸いっぱいに吸いこんだ。坂道が、ゆるやかになってきて、もうあと五分もすれば研究所につける、というところだった。
――そんな時に、突然、目の前に、黒い影がひとつ、落ちてきた!
「えっ⁉」
大あわてで、急ブレーキをかける。大丈夫、影とのあいだには、まだ距離がある。見ると、その影が、ゆっくりと立ちあがった。それは、十代半ばくらいの、少年だった。
よく日に焼けた肌。意志の強そうな、ぎゅっとするどい目。真一文字にむすばれた、くちびる。短く刈りあげられた髪は、真っ赤だ。そして、その手には、黄色と緑の二色でなった、太い縄がにぎられている。少年は、今たしかに、ウタマクラから見て、右手の木の上から、その縄を使って道路に、おりたったのだ。
「ああ、びっくりした……」
どきどきと早鐘のようになる心臓を手でおさえながら、ウタマクラは少年をじっと見た。
ウタマクラの、両目の裏がわで、〈音〉が「読みとられ」る。
ニヴェーラ ニヴェール チンチャール ニヴォーラス
まちがいない、これは〈
「ねぇ、きみ」
話しかけようとすると、少年は、ぱちぱちと、二回すばやく、
「――あんた、
まっすぐで、少しだけかすれた声に、ウタマクラは息をのんだ。自分の記憶が、まちがっていなければ、この子の前では、絶対に嘘をついてはいけない。いや、つけない。
「ええ。そうだけど」
「名前は」
ざわざわと、いやな感じが、ウタマクラのお腹のなかを、はいあがる。
「――
少年は、再び、ぱちぱちと、
「ミミズ。そうか、キュウイン博士の家族だな。――子どもか」
「はい」
「あんたは、自分の父親が、いったい、なにをしているのか、わかっているのか?」
「――え?」
少年の目が、ぎゅっと、するどくなる。
「あの〈
次の瞬間、少年の手から、縄がしゅっと投げられた。左がわの木の高い枝に、ぐるりと縄のはしのフックが巻きつく。とたん、少年は、縄に引きあげられるようにして、飛んだ。
「ちょっと!」
ウタマクラが呼びとめるのも聞かず、少年は、そのまま、森のなかへ姿を消した。
しばらく、呆然としてから、ようやくウタマクラは、ひとつ、ため息をついた。
少年が言っていたことの意味は、よくわからなかった。だけど、彼がなんの〈
「〈
しかも、父親であるキュウイン博士が、彼らを利用して、だました、とまで言っていた。
ウタマクラの父は、そんな悪いことをする人間ではない。なにか誤解があるか、もしくは、ウタマクラの知らないところで、良くないことが、起きているのかも知れない。
少年が姿を消した枝先が、ゆさゆさと、ゆれているのを見つめてから、ふと足もとを見おろすと、さっきまで少年がいた場所の土が、びっしょりと、ぬれていた。
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