8.アキツシマ連合王国・竜骨研究所。

     ***


 〈しゅよう〉郊外、学園都市、T地区。


 緑の豊かな、そのエリアの西の外れに、高い鉄柵で、かこまれた、大きな森がある。柵の上の有刺鉄線には、電流が流れていて、警備の厳重さが、一目見ただけでわかる。


 アキツシマ連合王国・竜骨りゅうこつ研究所。


 外から、研究所へ、つながるのは、ほそい一本道だけだ。出入り口も、表門の一か所だけ。鉄門のわきには、常に守衛が、ふたり立っていて、よその人間が、なかへ入るには、一日使いきりの、紹介QRコードを見せなくてはならない。当然、エリアのなかでも、入っていいのは、ごく一部だけになる。


 エリア内には、一本の川から水が引きこまれている。蛇のうねうねとしたようすに似た、とても長い川だ。その川は、むつ鹿たけからはじまっている。遠く離れた山と森の奥地にある源流から湧きだした水が、長いながい旅をして、この竜骨りゅうこつ研究所の建物のなかに作られた、人口の滝と池に到着するのだ。そして、池の底にしずめられた〈竜骨りゅうこつの化石〉を、つねに新しい水で清らかにしている。この水の循環がなければ、〈竜骨りゅうこつの化石〉は、なげき悲しみ、源流を求めて、飛びでていってしまうのだと言い伝えられてきた。嘘か本当かはわからない。けれど、研究所が池を作っているのだから、おそらく本当なのだろう。


 建物の中央に作られた滝と池は、天井から床までが、強化アクリルガラスに、覆われている。見た目は、まるで水族館の大型水槽、そのものだ。


 池の底にしずんでいる〈竜骨りゅうこつの化石〉は、アクリルガラスの側面から、その実物を見ることができる。そして、そのアクリルガラスのなかにしこまれている読みとり回路が、二十四時間365日、つねに〈竜骨りゅうこつの化石〉を監視し、データをひろって記録を残している。


 その回路は、とある〈うから〉の神経細胞系を、ニューロンモデルとして利用した、いわゆる、神経ニューロ模倣モルフィック工学・エンジニアリングによって、作りだされたものだ。


 その、〈うから〉の名前は、〈嗅感きゅうかん〉という。

嗅感きゅうかん〉は、ごく少人数の〈うから〉だ。その希少さから、レッドリスト入りしている。


 彼らの脳は、眼窩がんか前頭ぜんとうしつという部分が、特殊に発達している。このため、あらゆるものが発する「匂い」から、そこに「嘘」があるかどうかを、かぎわけることができるのだ。そして、その特異な能力のために、彼らの先祖は、とてもひどい迫害を受けたのだという。


「嘘」、というのは、とても難しい。一般的に、それは良いこととは思われないものだが、決して、悪いことのためだけに使われるものでもない。


 だが、生まれついて「嘘」の使えない〈嗅感きゅうかん〉からすれば、「嘘」をつく理由そのものがわからない。また、「嘘」は実際とは矛盾するため、これを指摘せずにはいられなくなる。「嘘」をつくものにとって、この指摘は、とてもこまるものだ。これが、〈嗅感きゅうかん〉と彼ら以外とのあいだに、大きなあつれきを生んだ。結果、〈嗅感きゅうかん〉は、山や森の奥深くに逃れた。彼らの〈うから〉だけで、ひっそりと隠れて暮らすしか、なかったのである。


 しかし、近年では科学が進み、その強すぎる感覚をおさえるための装置も開発され、少しずつ交流が増えてきた。そうして、街におりてきた〈嗅感きゅうかん〉たちの協力を、えられた結果、アキツシマでは研究が進んだ。彼らが「匂い」から嘘を見ぬく根拠が脳にあることが、あきらかとなり、そのしくみが技術として利用されるようになったのである。そして、


「――今日も、竜骨りゅうこつの状態は安定していますね」


 そうつぶやいたのは、どっしりと太った、白衣の男性だった。彼は、新技術の組みこまれた、アクリルガラスのすぐそばで、エアーディスプレイに表示された数値を、ていねいにチェックしている。眉間には、しわがより、顔の筋肉は、きびしく強ばっている。二重あごは、みっしりとしていて、白いワイシャツのえりのなかに、埋もれていた。


 みずキュウイン博士だ。彼は、ここの主席研究員にあたる。


「はい。エラーは見られませんね」


 キュウイン博士のとなりで、エアータッチパネルにチェックを入れているのは、同じく白衣をきた博士だ。つるのほそいメガネをかけていて、髪は短い茶髪にしてある。ちらりとレンズを光らせてから、メガネの博士は、〈竜骨りゅうこつの化石〉へ、視線をむけた。あいかわらず、なにを考えているのか、よくわからない空気を、かもしだしている。


 キュウイン博士は、ひとつ、ため息をつくと、再びディスプレイに目をむけた。すると、「そういえば、今日からでしたよね」と、なにげないふうに、メガネの博士がつぶやいた。


「ウタマクラお嬢さんが、こちらへアルバイトに入られるのは」

「――はい」


 キュウイン博士の表情が、わずかばかりに、硬くなる。


「ここのアルバイトにも入れるなんて、もう、そんなに大きくなられましたか」


 メガネの博士の言葉に、キュウイン博士は、それ以上なにも返すことが、できなかった。


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