3.怨墨と〈竜骨の化石〉

6.墨狩り

 ――アキツシマ連合王国、〈しゅよう〉。


 丑三つ時(午前二時半)という、真夜中。高層ビルの建ちならぶ、〈しゅよう〉中心部から、少しばかり離れた、旧市街エリア。そこには、今でも古い家々や、商店街が連なっている。


 その、一本奥まった路地裏の塀のそばを、ふらり、ふらりと、ゆれながら歩いて通りすぎる、あやしげな人影が、ひとつあった。


 真っ白だ。暗闇のなか、かがやくほどに真っ白な服を着た人が、ゆっくりと歩いてゆく。


 それは、メガネをかけていた。髪型は短い茶髪だ。ふらり、ふらり、と歩いていたのが、ふいに立ちどまる。そして、その場で両手を高く、もちあげた。


 すると、ある家の窓から、しゅるり、と、黒いすみの、もやのようなものが出てきた。


 それに続くようにして、同じようなすみのもやが、空や、壁のなか、道路などから湧きでてくる。もちあげられた両手のなかに、次から次へと、もやは集まってゆく。どこかしら、禍々しく見えるそれは、その手のなかに、しゅるり、しゅるりと吸いこまれていった。


「ああ、今夜も、たくさんだ」


 満足そうに、メガネの奥の顔が笑った。しかし次の瞬間、その表情が、真顔に代わる。


 白い服の人の前に、ひとつの人影が立っていた。


 男性だった。こちらは反対に、真っ黒な服を着ている。髪も長くてまっすぐで、つやつやしていて真っ黒だ。キャスケット帽子を目深にかぶり、その顔には、白い紙製のお面をつけている。お面に描かれた顔は落書きみたいだ。身長は、低くもなく、高くもなかった。


 その人も、両手を、もちあげた。手には、白い紙を折って作った、大きな三角形のものが、にぎられている。その人は「えんぼくめ」と、忌々しげにつぶやいた。まだ若い声だ。


 えんぼくと、そう呼ばれた白い服の人は、にやりと笑った。


「やあ、こんばんは。すみりさん」


 反対に、すみり、と呼ばれた、落書きお面の男の人は、親しげに話しかけられたのが気に入らなかったのか、「ちっ」と、いやそうに舌打ちした。


えんぼく本体とエンカウントするとはな……えんぼく、きさま、いったい、なにをする気だ」


 すみりが問いかけた。とたん、



「うふふふふふふふふふふふ」



 えんぼくの、気もちの悪い笑い声が、路地裏いっぱいに反響した。そして、えんぼくの全身から、ぶわりと墨のもやが、あふれだした。それが、いっせいにすみりに襲いかかる!


 すみりは、腰を一瞬おとし、両手を大きく左右に広げた。そして、襲いかかってきた墨へむけて、一気に両手を、ふりかぶり、打ちおろした。


 ばあん‼ と、巨大な音とともに、白い三角形の折り紙がふくろ状に広がる! そして、そのなかにすみのもやを、とらえた! 白い三角形は、ふたつとも、その内がわを墨の色で真っ黒に染めている。つまり、この白い三角形は、えんぼくの放った墨を吸いこんだのだ。


 しかし、放たれた墨は、そのふたつだけでは、とらえきれなかった。あとからたくさん湧きだしてくる。すみりは、使いおえたばかりの白い三角形を、地面の上に放りだし、ぱっと、自分の背中に両手を回した。再びふりあげた手には、新たな三角形が、にぎりしめられている。次に襲いかかってきた墨をとらえるのに、すみりが、ばっと身をひるがえした。彼が身につけているヒップバッグには、いくつもの白い三角形が、しこまれていた。


 戦いは、十分ほど続いただろうか。最後の墨がとらえられたあとに、すみりが顔をあげた時にはもう、えんぼくは姿を消してしまっていた。


 すみりは、苦々しそうな顔をしてから、自分の足もとに散らばる、黒くなった三角形を見おろした。それをひろい集めると、今度は、ヒップバッグのなかから、箱入りの燐寸マッチを取りだした。箱のなかから一本を抜きとり、赤茶色の側薬に、シュッとこすりつけて、発火させる。一瞬の、白く激しいスパークがおきた。そのいきおいが落ちついたあと、真っ黒に染まった三角形たちの先に、火のついた燐寸マッチの頭を近づけて、ちらっと着火した。


 ライターでは、ダメなのだ。りんの燃える化学反応でなくては、えんぼくは浄化できない。


 三角形の燃やされた白い煙と、燃えカスのわずかな灰が、風とともに、夜空へ舞いあがる。それらが全て、消えさったころには、その場から、すみりの姿も、消えていた。



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