第10話 祭りの日、こもごも

 港祭り自体の盛況を、ここで詳細に取り上げるというのは、ヤボというものでしょう。

 町役場や商工会が直接間接に宣伝していますし、何より、楽しさを味わいたければ、直接、女川にお越しいただければ、いい。

 海上獅子舞の際には、岸壁に消防団員が一定間隔で並んで、観光客の立入を制限します。建前としては、獅子舞にはしゃいで興奮した小学生が、岸壁から海に落ちないように……もちろん予防だけでなく救出も目的で、配置についているのです。けれど、私自身が消防団入団して既に20年以上経ちますが、実際に岸壁から落ちた人なんて、見たことがありません。もっと経歴が古い団員の人たちに尋ねても、皆、知らないと言います。

 都市伝説のたぐいですよ……と私はイスミさんに教えました。彼女は「ここでもライフセービングの用向きは、ナシかあ」と露骨にがっかりしていました。

「普段、海浜地域に住んでない人が来る海水浴場って、意外と限られるのかもしれませんね。有名どころには漏れなく監視員みたいな人がつきますし。穴場という言い方はヘンですけど、ライフセーバーが新規参入できそうなところって、そんなに多くないのかもしれませんね」

 それに、そもそも、イスミさんはライフセービング向きの恰好で、港祭りに来たのでは、ありませんでした。予定通り、海上獅子舞の船に乗り込んで、勇壮に太鼓叩きをしました。他の船はほとんど男ばかり……いえ、オッサンの太鼓手ばかりだったので、法被にサラシを巻いた姿でバチを奮う彼女は、たいそう目立ちました。絵になりました。彼女が現役モデルの美人だったことを、改めて思い出しました。狭い町内で、イスミさんが海碧屋の客人だと知っている「若い衆」からは、彼女を紹介してくれ……と、しつこくせがまれました。祭りが終われば、千葉に帰る人ですよ、と私は婉曲に断りました。

 イスミさんが、シャワーを浴びて着替えて私と合流した頃には、花火用の台船が女川湾中央にデンと出張ってきていました。海上獅子舞で乗せてもらった船主のひとたちに酒を誘われたそうですが、断ってこちらに合流したそうです。花火が終われば、三々五々、町外の人たちは車で石巻方面に向かいます。観光客が少なくなってから、シュガーシャンクで飲みましょうよ……と、イスミさんはウキウキしていました。 町内に来てから、せっかくだからと仕立ててもらった浴衣が、よく似合っていました。

 てれすこ君が、自分の屋号で屋台を出すというので、イモちゃん・ショート君ともども、アルバイトに駆り出されていました。工場長はじめ、我が海碧屋のお年寄りたちは、孫やひ孫が女川に遊びに来ているというので、この日ばかりは一斉に休暇をとっています。

 イスミさんの案内役は、自然、私の役割になりました。祭りを楽しむよりも、ライフセーバーとしての使命感や、不完全燃焼な気分に嘆く彼女を、慰めるのは大変でした。

 開店準備の時、タコの入ってないタコ焼きをご馳走になった「りばあねっと」の出店にも、もちろん、表敬訪問しました。この何日かで見知った若者の他、トンチンカンなことを言ってみんなをケムに巻くコワモテ、牟田口会長の弟さんが、客用ベンチに腰を据えて、買い食いを楽しんでいました。

 牟田口氏は目ざとく私たちを見つけると、手招きしました。

 会釈の一つでもして、そそくさと退散すれば良かったのでしょうけど、縄文顔さんが隣席していて、無視できなかったのです。紺地の渋い浴衣姿の彼の懐には、祭りのパンフレットが丸まって入っていました。私は無難に、中央ステージで唄う予定の演歌歌手の話をしました。

 牟田口氏は私の四方山話を無視して、「アダマンタイトのパンツ」、どーのこーのと切り出しました。原因になった一連の事件は存在しなかったわけで、その護身術の話は今さらだ……と、私は縄文顔さんにもよく聞こえるように返事しました。事件のでっち上げを全く反省していないのか、「それを言うなら、ありもしないマニュアルで罪のない人たちを釣ろうとした誰かさんも、随分な腹黒だと思うけど」と、彼女は聞こえよがしに独り言しました。

 イスミさんが「せっかくのお祭り気分が台無しになる」と私の袖を引っ張りました。

 立ち去ろうとする私たちに、牟田口氏は「相談がある」と声かけてきました。

「今度、ウチでも……りばあねっとじゃなく、私のやってる有志の結社で、格闘技道場を立ち上げようと思ってるんだがね。その名も『オリハルコンのももひき』」

 あからさまにウチのパクリじゃん……と、イスミさんが聞こえるようにつぶやきました。牟田口弟さんは、聞こえないふりをして……いえ、会場の喧噪で本当に聞こえなかったかもしれません……熱弁しはじめました。

「君が今やっていること、やろうとしていることは、全て彼女から聞いた」

 牟田口弟さんの指さす先には、ドヤ顔の縄文顔さんがいます。

「で。例の完全レイプ成功マニュアルの話も聞いた。性犯罪者のやり口に合せて『レイプバスター』『アダマンタイトのパンツ』と、護身術を進化させてきた話も聞いた。素晴らしい」

 牟田口弟さんは、芝居がかかった仕草で両手を高々と上げると、私にチラッ、チラッと視線をくれます。ブルーハワイのかき氷を膝におくと、縄文顔さんだけがパタパタと気のない拍手で、彼の演説を称えました。

「で。君が……君らがやっていることの先取りとして、私は新たな護身術を立ち上げようと思うんだよ。君はレイプ成功マニュアルのバージョンアップに合せて、護身術を立ち上げてきたんだろ? バージョン1への対応か『レイプバスター』で、バージョン2への対応が『アダマンタイトのパンツ』だったっけな? だったら、我々はバージョン3への対応として、『オリハルコンのももひき』をやろうというわけだ」

「だから、そもそも絶対レイプ成功マニュアルなんてもの、存在しませんよ」

「君が書かなきゃ、我々で用意する」

「……単なる格闘術じゃなく、海碧屋の護身術は、男女の性差を無効化するような護身術なんだっていう意味、分かってますか、牟田口さん?」

「そんなこと承知の上だ」

 仕掛けはこうだ……と牟田口氏は、懐からピストルを取り出してきたのです。

「安心したまえ、エアガンだ。残念ながら、殺傷能力はない……いや、人を傷つけることはできても、殺せない」

「男性が……その強力なエアガンを保持すれば、性暴力の加害がより有利になるっていうこと、分かってますか?」

「それは海碧屋さん、エアガンの威力が中途半端だからだよ。ドラゴンボールのスカウターのたとえ、私も聞き及んでいるから、そのたとえでいこう。男の戦闘力が100、女の戦闘力が60だとして、エアガンなんかの相手を傷つける能力が、戦闘力40としてみよう。何ら武器を持たない状況なら、100対60の戦闘力の対比が、140対100になる。男のほうの戦闘力を1と換算して割合をとれば、1対0.6が、1対0.7まで改善されるっていう寸法だ。これは武器として強力なら強力なほど、数値が改善されるってことだ。エアピストルなら……いや思い切って本物のピストルを国民全部に持たせる場合を考えてみたまえ。当たれば必ず殺すことができるレベルのピストルがあるとして、その戦闘力を1000としてみよう。男女各々に携帯させれば、1100対1060、男のほうの数値を1とすれば、1対0.96だ。ほとんど対等な数値じゃないか」

「牟田口さん。その手の検討は、アダマンタイトのパンツの脳内シュミレーションをしているときに、当に検討済ですよ。ついでにいえば、必殺道具の携帯の意味は、相対的な戦闘力うんぬんとは違っています。反撃されたときのリスクが極めて高い。たいていのレイプ行為では、たとえ事の遂行に失敗しても加害者側が大きく傷つく可能性は小さいのに対し、死という最悪の可能性があるから、拳銃携行者には、手が出せないのです。反撃された男が傷つく可能性を考えれば……そう、そもそも戦闘状態に入らせない方法論、と言っていいかも」

「最高じゃないか。そもそも性暴力の発生しない世界なんて」

「市民みんなに拳銃がいきわたった世界が、性暴力を厭う女性にとってのユートピアになるかというと、違うと思いますよ。いちいち脳内シュミレーションをするまでもない。アメリカという実際例があります」

「それは銃が悪いんじゃない。市民が銃をじゅうぶん活用していないのが、悪いんだ」

「全米ライフル協会の回し者みたいなコト、言うんですね」

「銃社会でなくとも、治安が悪くなる例、君らだってよく知ってるだろう? 今のヨーロッパを見てみたまえ、30年前と比べれば、暴力・窃盗・強盗・殺人、なんでもありだ。で、30年前と比べて、ヨーロッパでは拳銃の普及率が大幅に上がったり、したのかね? 違うだろ? この30年でヨーロッパ市民社会で大きな変化と言えば……移民だ」

 この先、牟田口氏が言いたいことは手に取るように分かりましたが、私はあえて黙って傾聴することにしました。

「君、二言目には銃社会アメリカを悪い例として取り上げたがっているようだけれど、そもそもリアル社会でのトレンドをたった一つの要因からだけ導きだそうとするのが、無謀なのだよ。国境を閉ざし、移民が一切入ってこないアメリカ社会を考えてみたまえ。どんなに銃が普及していようと、日本社会なみに犯罪率が劇的に低下した安定社会が実現するに違いない」

「それこそ、願望強めの妄想でしょう。移民イコール治安悪化という決めつけは、偏見であり差別ですよ。開かれた国境というアメリカの国是にも合ってない」

「国是、ねえ。それは女性という女性がレイプされるような世紀末な社会情勢になっても、守るべき価値観なのかな? 私はねえ、日本政府がこのまま移民受け入れを続けて治安悪化していけば、いずれ日本社会も拳銃携帯を受け入れるようになるんじゃないかと、思ってるよ。その時こそ、『オリハルコンのももひき』の出番だ」

「……たとえ日本社会の治安が世紀末状況になっても、代替として受け入れられない策っていうのが、ありますよ。レイプ撲滅のために、日本中の男全員が去勢して、生殖は去勢前に保管しておいた精子で人工授精、なんていう社会、受け入れる人がいると思いますか? 私の『アダマンタイトのパンツ』より、よりよいレイプ対策があるとしても、それは牟田口さん、あなたの『オリハルコンのももひき』じゃない」

「言うじゃないか」

「これこれの政策対策がある……という思い付きを否定する気は、全然ありません。たくさんのアイデアを踏み台にしてしか、画期的なアイデアというのは生まれ得ぬものでしょうから。でも、提案するのが常に暴力に対抗する暴力のありかたである限り、どこかに引くべき一線はあると思いますね」

「海碧屋さん、あんたとは根本のところで相容れないようだ」

「志と、タコ入りのタコ焼きだけもらって、今日は退散しますよ。せっかくのお祭りなんですから」

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